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3分講談「明治七年のクリスマス」(テーマ「クリスマス」)


 「散切り頭を叩いて見れば 文明開化の音がする」―、華々しい明治時代の幕開けとともに、たくさんの西洋文化が、日本に流れ込んでまいりました。中でもキリスト教の教えは、身分秩序の中で暮らしてきた人々には新鮮だったようで、洗礼を受ける者も少なくありませんでした。
 江戸は八丁堀南町奉行所の与力の家に生まれました、原胤昭(たねあき)もその一人。胤昭十四歳の時に明治維新が起こり、その後は東京都の職員として働いておりましたが、十九歳の時、東京第一長老教会にて洗礼を受け、クリスチャンとなりました。洗礼を施したのは、カロゾルスというアメリカ人宣教師。胤昭はその御礼をしようと思い、クリスマスパーティーを企画することにしました。
 さて、とはいうものの、クリスマスの何たるかも知らず、見たこともない日本人がしつらえるのですから、どうもおかしな塩梅になります。とりあえず、キリスト様をくくりつけた十字架を用意し、なんだか寂しいからといって蜜柑で飾り付けをしたものですから、正月のお飾りみたいになった。これをアメリカの役人が見てびっくり仰天し、「こんな飾り付けはけしからん」と叱られまして、渋々撤去することに。それでも、何にも無いのは寂しいからと、造花でも飾ろうとしたのですが、もう会は明日に迫っている。用意は到底間に合わないから、急いで浅草の仲見世へ使いをやりまして、色とりどりの花かんざしを軒並み買い占めた。それを壁際や窓辺一面に吊り下げまして、ともかくも飾り付けを済ませました。
 また、聞きかじりでクリスマスツリーも用意しました。始めから見えていたのでは面白みがないからと、隠し幕を取り付けて、お客をあっと言わせようと企んだ。さあしかし、そんな大きな幕がどこにあるか…、そうだ、新富座へ行って芝居の落とし幕を借りてこよう―。
 新富座といえば、歌舞伎はもちろん、後に近代演劇の発展に貢献した大劇場ですから、座付きの若い者がたくさんおりました。「クリスマス?そりゃいったいなんです?」「キリストさまの誕生日なのだ」「ふーん、何だかしらねえが、めでたいんですね?それなら、落とし幕だけでなく、提灯もお貸ししますよ」血気盛んな大勢の若者が、面白がってやいのやいのと詰めかけ、会場いっぱいに提灯を吊しましたから、壁一面の花かんざしに真っ赤な提灯。こうして、クリスマスだか神田明神の祭りだか分からない、何とも珍妙な光景に仕上がりました。
 さて、当日は無礼講。いい感じにお酒も進んだところへ、サンタクロースの登場と相なりました。「三太九郎?誰だいそりゃ」「何でも、貧しい人の家に小判を届けてくれるらしいぜ」「なんだ鼠小僧か?」―若い者が好き放題言っているところへ、幕の後ろから威風堂々と登場しましたのは、赤い服に赤い帽子…ではなく、裃を着けて大小を指したさむらい風の男。けれどもよく見ると、頭には三文芝居に使うような大森かつらをかぶり、金縁めがねを掛けている。「やあやあ皆の衆、吾こそは三太九郎なるぞ」―。実はこれは胤昭のこだわりで、せっかく日本でやるのだから、サンタクロースくらいは純日本風にしたいということだったそうです。その甲斐あってか、会場は大盛り上がり。洗礼の御礼…になったのかどうかは分かりませんが、ともかくも日本で最初のクリスマスパーティーがつつがなく決行されたという、「明治七年のクリスマス」というお話でございます。

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