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きっともう無理なひとたち

最近はやりたいことがたくさんあって、活力が溢れている。
その代わり、私が悲しい時にやさしくしてもらった悲しい顔をするのが上手な人たちへの興味がごっそりなくなってしまった。

活力が戻る少し前は嫌気がさして、関わると嫌いになってしまうのが怖くて見ないようにしていた。
「私は今他人とのかかわりをお休みしているだけ」と言い聞かせて触れないようにしていたが、
やりたいことをできるくらいにモチベーションが回復してしまった今、自分の辛い悲しいを他人に見せびらかすという行為は、たとえかけがえのない友人であっても無理なことだと自覚してしまった。

辛さ悲しさを見せびらかす”行為”に興味を失ったのならよかった。
が、それを行う”人”への興味を失ってしまった。
きっともう、素敵なものをもらっても、私のことを大切にしてくれたとしても、私は話半分でしか言葉を交わせないきがする。
とても悲しい。

このことを他人に相談しない理由は、具体的な人物が伴うからだ。
さらに、こういったことを相談されたら「考え方が変わると関わる人も変わるから好きに疎遠になればいい」と私なら思う。
だって相談者が話す”相手”のことは、相談する人も受ける人も干渉できない。

私はきっとこれから、「その人は悲しみを見せびらかす人だ」という認識すら忘れるくらい興味を失い、上手に疎遠になることを目標とするのだろう。
悲しみを見せびらかしていない部分に興味が持てたらいいな。

だって、嫌いになりたくないから。




とかいって、私の恋愛の終わり際は「嫌いになりたくない」からの「嫌いだと気づいた」コンボだから、きっともう無理だとおもう。


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