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雲南日本商工会通信2022年9月号「編集後記」

 日本ではこの夏、ウォン・カーウァイ作品が4Kレストア版で再公開されました。『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』『2046』の5作品を五月雨式に上映したのですが、意外なほど観客を集めていました。
 それを記念して、『恋する惑星』を何十回も見てきた私による、同作品にまつわるウンチク話を披露したいと思います(だれも望んではないでしょうが)。

その1:原題『重慶森林』の由来が村上春樹の『ノルウェーの森』なのは良く知られるところですが、日本文化との関わりは他にもあります。
 中環・蘭桂坊にあるコーヒースタンド「ミッドナイト・エクスプレス」。金城武演じる警官223は、恋人のメイに振られ、スタンドのマスターに慰められます。ここで(字幕では適当に訳されていた)金城のモノローグ。
 「メイがこの店を好きなのは、マスターが山口百恵に似ていると言ったから。彼女が僕を嫌いになったのは、僕が三浦友和ぽくなくなってきたから」
 (阿May很喜歓来這辺,因為老板説她長得很像山口百恵。最近我和她分手了,因為她説我越来越不像三浦友和)
 その後、失恋が完全に確定したとき、金城はエスカレーターを駆け上がりながら「三浦友和,我要殺了你!」(字幕では確か「もうダメだ!」)と叫びます。

その2:『恋する惑星』が最初に上映されたのは言うまでもなく香港です。それと国際版(日本などで上映されたもの)では、バージョンが違うという話がありました。何が違うのか知りたかった私はかつて、わざわざ香港の海賊版屋を回って香港版と思われるVCD(懐かしい)を入手。その違いを確認したことがあります。
 そして異なるシーンを数カ所見つけました。その1つが、金城武がマクドナルドの店の前で座っているシーン。香港版では背景がマクドナルドからビクトリアハーバーの夜景に変わっていました。
 なんでだろうと考え、やがて気づきました。『恋する惑星』は香港という街が生き生きと活写されているように見えますが、よく見ると香港らしいアイコンをなるべく隠しているのに気づきます。世界の大都市ならばどこでも見られるようなものを中心に描かれているのです。その観点でいえば、ビクトリアハーバーよりマクドナルドのほうが正しい選択ということになります。
 そしてその分、姉妹編といえる『天使の涙』では香港らしい風景やローカルな人間関係を前に押し出すことで、香港の別の一面を描き出したと言えます。

その3:トニー・レオン演じる警官633。登場人物の誰もが彼を633と呼んでいますが、最後の方で「ミッドナイト・エクスプレス」のマスターが「633もなかなかやるな」と言ったとき、脇役の店員が「663だよ」と何気なくつぶやくシーンがあります。キャストのクレジットでも警官633となっているので、意味のないセリフだと思っていたのですが、あらためて映画を見返すとトニー・レオンの肩章に「663」の数字が付いていました。つまり本当は「警官663」なのです。ストーカーするほどトニー・レオンに恋するフェイ・ウォン(フェイ)ですら、その人の名前どころか番号すら正確に覚えていなかったというわけです。その「軽さ」に思わず「やられた」と思いました。
 作品の中で描かれる飛行機、エスカレーター、コンビニ、時計、数字、巧みなカメラワーク、多人種、多言語……。同作品は期せずして、イタロ・カルヴィーノが『新たな千年紀のための六つのメモ』で示した今後の文学に必要なもの――「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」を包含したものになっており、それがいまだに観客を集める要因の1つなのだと思います。

 ところで同時期に、こちらは客がまばらでしたが、『時代革命』も観ました。民主化を求める若者たちが香港の自由を死守しようと奮闘し、鎮圧されるまでのドキュメンタリーです。
 『恋する惑星』が撮影されたのは1994年。その25年後、時代が逆回転し、圧倒的に別世界となった香港のありさまを見せつけられ、絶句しました。
 一瞬の個人的なきらめきだけを味わう『恋する惑星』の登場人物のような「軽さ」を、もう香港の若者が味わえなくなった――そう思うと同情に堪えません。しかし時代は回ります。「がんばれ、香港」と言いたいです。

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