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雲南日本商工会通信2023年8月号「会長の挨拶」

 雲南日本商工会は、2005年に弊社の前社長である故葵文勝氏の呼びかけにより立ち上がったのが始まりです。
 当時はJASをはじめ大手企業も昆明に存在し、その他の企業関係者や個人事業主、留学生等も含めると70~80名ほどが会員となっていたようです。そしてこの商工会通信の第1号が発信されたのが2006年6月。当時事務局長の野口氏、広報の山谷氏、事務局の郷原さんたちの手により『つながり つたえる』というコンセプトを持ってスタートしたそうです。
 その後、広報が山谷氏から佐藤氏、そして土下氏に引き継がれ、事務局が郷原さんから岡野さんに引き継がれたのちに2014年10月に記念すべき第100号が発行されています。8年と4カ月、計算するとちょうど100カ月できっちりと発行されました。継続することを目標に掲げた当時からすると素晴らしい偉業であり、またこの間、様々な方々の投稿や協力によって成り立ってきたことからも『つながり つたえる』というコンセプトが達成された結果とも言えると思います。
 そして広報が榎本氏に、事務局長を渡辺氏、事務局を村上さんに引き継がれてからも粛々と発行され、おかげさまで今回の第200号を発行できる運びとなりました。
 正直申し上げて、2013年より会長をやらせていただいている小職にはこの『つながり つたえる』というコンセプトはほとんど頭に無く、ただ私の代で切らせてはいけないという義務感で続けてきたところがお恥ずかしいところではありますが、そこはバイタリティ溢れる土下氏や榎本氏をはじめとする皆様のおかげで、何とかコンセプトから外れることなく続けてこられたと思っています。ここまで携わっていただいた方々には改めて大変感謝申し上げます。
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 話は少し元に戻って、雲南日本商工会という弊会にも定款というものがあり、その目的と活動内容が記されているのでここで改めて紹介させていただきます。
 
第1条【名称と所在地】
 本会の正式名称を、「雲南日本商工会」(中名:雲南日本商工会、英名:YUNNAN JAPAN CLUB)と定める。
 商工会の所在地は、会長の指定する場所とする。
第2条【目的】
 本会は、会員相互の親睦を図ると共に、会員の円滑な商工活動を相互支援し、以て日中経済交流の発展及び日中友好の増進に資することを目的とする。
第3条【活動の内容】
 本会は、次の活動を行う。
(1)災害など有事の際の日本国大使館、総領事館の指示に基づく連絡、情報活動
(2)会員相互の融和と親睦を図る為の活動
(3)会員の商工活動発展の為の相互援助及び便宜供与
(4)複数の会員に共通する当該地域固有の問題に対しての共同的な解決活動
(5)中国内外の各地域の日本人組織との交流活動
(6)その他、定款第2条に定める目的を達成するために必要な活動で、かつ総会参加会員の過半数の同意をもって承認された案件。但し、特定の法人、個人その他団体の営利を目的とする普遍性のない問題解決活動は行わない。
 
 現状の昆明は、日系企業が開始当初から比べると減っていること、そして尖閣諸島問題及びコロナ禍の影響でさらに在住個人事業主や個人も減ったこともあり、現在の弊会のメンバーは法人5社、個人事業主0、個人17名、メルマガ会員6名という非常に寂しい状況になっています。
 しかしながら、2011年に立ち上げた「雲南日本補習授業校」は、商工会の皆様の援助と授業料のみで7年間継続し、重慶総領事館とのパイプを太くしていく中で2018年には念願の日本政府からの援助を受けることができ、現在でも商工会の事業の一環として継続して行うことができています。
 また、コロナ禍の日本外務省支援事業としての「ジャパンフェスティバル」を2021年11月に成功裏に開催させたほか、2023年の日中友好記念行事でも、盛り上げ役として参加させていただきました。これだけの事業を行うには様々な苦労を伴いましたが、数少ない在住メンバーや日本から昆明に戻れない状況での日本に居るメンバーがそれぞれ個人の得意な分野を持ち寄り、協力しあいながら進めたことが成功を導いた結果だと思っています。
 商工会という名前からして、各企業様や個人事業主にメリットがある会と思われがちですが、そこを残念ながら達成できていない節は常日頃申し訳なく思っています。しかしながら少数精鋭と言っても過言ではない現在のメンバーで、上記定款に掲げられている“目的”はある程度達成できていると自負しております。
 とはいえ、まだまだ足りない部分については今後も皆さんのご意見をいただきながら改善をしていきたいと思っていますので、どうか皆様、今後ともご協力いただけますようよろしくお願いいたします。
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 さて、去る7月29日に補習校の引っ越しをしましたのでご報告いたします。政府からの援助は継続していただいておりますが、上述のように現在では生徒数も減少し、今までの部屋では家賃負担が賄えきれないといった背景から引っ越しを決断しました。
 2011年に始めた当時、例えば10歳だった子供たちが現在では成人し、各国で人生を歩んでいます。彼らの人生において昆明での補習校は少なからず役に立っていることを思うと、やはりこの補習校は継続してゆきたいという想いがあります。たくさんの思い出の詰まっている校舎を後にするのは寂しい想いもありますし、皆さんからもたくさんの思い出のお便りもいただきました。しかしながら、今回の引っ越しは継続のためという観点から、新たなスタートとして捉えていただければ幸いです。

 ところで、今回の200号発行に際しては「運がいいのか、悪いのか」をテーマに皆さんに原稿を募らせていただきました。
 私の場合、それを聞いて真っ先に思い浮かぶのが、2017年10月に飲酒運転で逮捕されたことです。
 当時は中国も少しずつ飲酒運転の規制が強くはなっていましたが、それでもまだ多数の人々が呑んだ後も平気で運転をしていました。特に私の住む馬金鋪は昆明より40キロほど離れた新興の工業団地のため、規制も緩いという意識もありました。しかも食事をしながら吞んだ場所は、会社(自宅)から1キロも離れていない馴染みのレストランで、お客さんも同行していたのでいつもより多めに白いお酒をいただきました。
 ところが、食事が終わって帰る途中、過去に一度もお目にかかった事のないような場所で飲酒検問をやっていたのです。お酒もかなり入っていたことは事実で、その場で何の機転も利かずにただ警察の言うなりに病院に連れて行かれて血液を採られ、正式測定をした結果、その濃度の高さから酒気帯びの基準を超える値での飲酒運転として、その場で逮捕されました。
 幸い一晩警察のお世話になっただけで牢屋に入ることは無かったのですが、翌年2月の裁判が終わるまで運転免許証とパスポートは没収され、警察や検察の事情徴収に何度も出向きました。当時の私にとってあの状況は、「運が悪かった」以外の何物でもないと思っていました。また、根っからクルマの運転な好きな自分が5年間免許の取り消しという処分を受けたことが何よりのショックでした。
 ところが、処分を受けて2~3年が過ぎたころから少しずつ考えが変わってきました。
 
☆自分が捕まった当日やその後何か月かは上司や同僚に多くの迷惑をかけた。そして本当に真剣に自分を助けようとしてくれた人たちに感謝こそすれ運が悪いなどと片付けてはいけない。

☆裁判で結果は有罪ではあるが執行猶予を設けてもらって監獄に入らずに済んだ。

☆もしあの時に捕まっていなければそのあとも飲酒運転を行い、交通事故や人の命に関わる事件を起こしていたかもしれない。

☆自分で運転をすることが無いため、その後の会合等では気楽に呑むことができた。

☆ちょうど滴滴打車というシステムが広がり、いつでもスマホ一つで車を呼ぶことができた。しかも、いつまでたっても中国語が話せない自分でも確実に目的地に運んでくれた。

☆5年が過ぎ、昨年、無事に運転免許を取得できたが、昔よりはかなり安全運転となり、当然飲酒運転は一度もしていない。

☆裁判の際に依頼した公式通訳の女の子が縁あって同僚と結婚をし、今では幸せな家庭生活を送っている。
 
 そう、悪いことは一つもないのです。そして最後に、
 
☆運が悪いと思うような出来事は、自分への戒めになると同時に考え方ひとつで運が良いと思えるようになる。
 
 「そう考えられる自分に変えてくれたことが、何よりも運が良かった」と、今では思っています。そしてこの先も、自分にとって運の悪いことは決して起きないと思えます。

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