雲南日本商工会通信2024年1月号「副会長の挨拶」
新年のごあいさつ
2024年 明けましておめでとうございます。
何がおめでたいのか、ですが、とりあえずは隣国が攻めてきて戦争になることもなかったですし、コロナ自粛も開けましたし、南海トラフや首都直下地震もなかったですし、経済の地盤沈下や物価の値上がり、ため息が出るような政治資金の不正、企業の不正はあったとしても、生きて新年を迎えられたのはおめでたいのでしょう。
今年の干支は、甲辰(きのえたつ)です。
甲は鎧(よろい)で、草木の芽や種子が、殻を破って頭を持ち上げたという象形文字だそうです。これは旧体制がほころびを見せて、革新の動きが始まる年まわりということで、自民党の政治資金パーティーの長きにわたる裏金作り、企業癒着がほころびを見せたのも、ダイハツが34年間に亘って検査不正を隠してきたことも、殻がやぶられて事実が見え始めたことと奇妙に符合しています。
辰は、震、振の文字と同じく、旧と新がぶつかり合い、激しく衝突するという会意文字だそうです。
この干と支が巡り会った「甲辰」の意味は、やっと長年の課題の本質が隠蔽という殻を破って見えては来たが、既得権益、利害関係の抵抗や妨害もあり、衝突、紛糾が続く年回りということのようです。
この問題に一応の解決の方向が見えるのは、来年の乙巳(きのとみ)まで待たなければならず、やっと殻を破って出てきた芽が、真っ直ぐには伸びられないが曲がりながら伸びようとしている形が「乙(きのと)」で、「巳(へび)」はやっと地中から地上に出てきて紛糾も已(や)むということのようです。
この干支の意味の通りなら、ウクライナの戦争もイスラエルパレスチナの紛争も、政治資金改革も2024年にはあまり劇的な解決的進展はなく、一応の紛争解決が見えるのは2025年を待つ必要があるということになりますが、どうなのでしょうか。
自民党のパーティー券販売を利用した裏金作り(脱税)といい、ダイハツの検査不正といい、人工知能やデジタル化が進んでいるこの時代に、悪代官と悪徳商人のような関係がまだあるのですねえ。科学技術は変化するのに、人間の欲に対する業は変化しないから、今後もいろいろと新しい軋轢は起きそうで、面白いですね。
「貧すれば鈍す」ということわざが日本にありますが、経済的に貧しくなれば精神や能力が低下するというのが直接的な意味で、バブル崩壊以降、停滞が続き、国際的にも一人当たりGDPが1988年の2位から現在の24位と貧しくなったのが原因か? それとも開国し列強と伍して行こうと危機感と緊張感が社会にあった明治時代や、戦後の敗戦、焼け野原から戦死した仲間のためにも国の復興を目指した昭和などと違い、平成、令和と「こころざし」自体が貧しくなったために起きたことなのか?
経済なのか精神なのかはわかりませんが、「貧して鈍してる」という事象が目に付くのは、日本人としては淋しいところです。
生存と繁殖
地球上に存在している生物はすべて「生存と繁殖」において極めて優れた素質を持っている――。
これを否定することはできないでしょう。何百万年、何億年の進化を生き残って現存しているものは、「生存と繁殖」に秀でていたからに間違いなく、その素質がない個体は「繁殖の機会」もなく、遺伝子が引き継がれることも無かったわけで、もともと私たちは「生存と繁殖」の超優等生です。ネアンデルタール人もデニソア人もマンモスも「生存と繁殖」競争に敗れたから地球上から消えたわけでしょう。
「道徳や規則」と「生存と繁殖」で綱引きが起きた場合にどちらを優先するかと言えば、生物の本質から言えば、もちろん「生存と繁殖」でしょう。強盗も強姦も「生存と繁殖」のための行動を優先した結果で、その成功率が一定比率あるからどの時代にも生き残ってきたと考えると納得できます。
そう考えると、「貧すれば鈍す」という意味も違って見えてきます。
貧するというのは生存が楽観できない状態ですから、より「繁殖に有利」な方向に舵を切るというのも生物としては必然の反応。戦場で兵士が婦女子を暴行するのも、生存に危機が訪れれば遺伝子を残そうとする行動として理解できます(賛成ではなく理解です)。
花に窒素肥料をやり過ぎると、葉ばかりが茂って花が咲きません。成長養分が過剰であれば繁殖よりも成長を優先します。喰うに困らなければ子供よりも自分の生活レベルの維持を優先して子供を作りたがらない先進国のようなものです。
逆にタマネギを苗の段階で干ばつに当てると分球して、タマネギが二つ、三つに割れてしまいます。生存の危険があればタマネギでさえ遺伝子を残そうとします。アフリカなど後進国が自分の食事さえ困難なのに子供が多い状況に似ています。
少子化対策で、子ども手当の拡充が話題となっていますが、現実は貧しい国が子沢山であり、先進国は少子化、貧しい時代は子沢山で豊かになると少子化という現実も、生物の仕組みとして理解すると一応の説明は可能です。
現代はお金の多寡、経済力の有無が「繁殖の機会」に直結する世の中なので、貧すれば「道徳や規則」よりも「お金」を優先するのも生物の原則とすれば理解はできそうです。
統一教会など宗教があらゆる洗脳手段を使ってお金を集めるのも、食品会社が身体に悪いが良く売れる糖質と添加物を使って安価で暴利な商品を売り込むのも、病院や医者が、病人が減るのを懸念して「糖質制限は身体に悪い」と提灯記事を書くのも、製薬会社が不健康な人をカモにするために食事の適正化という本質に目をつむり症状の緩和薬ばかりを売り込むのも、すべては「お金」を優先した結果という社会の構図も見えてきます。
熊でもライオンでも狼でも鮎でも野鳥でも、多くの生物は縄張りを持ちますから、縄張りが増えれば生存機会が増えたと喜び、侵略され土地を奪われれば本能的に怒りを覚えます。ウクライナでもガザでも竹島でも尖閣でも北方領土でも、増えれば喜び、他国に侵略されれば怒ります。たとえそれが戦争によって亡くなる死者の墓地の面積にも満たない土であっても、侵略されば「怒りの反撃」に収束はなく、実利よりも感情を優先してしまいます。
私たちの本能に根ざす「生存と繁殖」という二つの野蛮な野獣を、現代人の理性が手懐けることができるのか。不正も戦争も根は同じという構図が見えてきます。
将棋のように人間の思考や理性をAIが手助けして人間が進歩する時代が来るのでしょうか?
AIの結論が人間感情に逆らうものであったとき、人間はそれを受け入れるのでしょうか?
ともかくも、2024年の激震を耐えて、2025年の新しい萌芽に備えましょう。
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