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rooftop.

ギィィィイン!
斬撃に似た確かな劈き(つんざき)が、僕を眠りから一瞬で覚醒させた。ギュッと目を瞑って、また開ける。部屋だ。何だ、今のすごい音、夢?どこかが痛い気がする…!

 ベッドで胎児みたいに丸まったまま、痺れた(寝相が悪かったのだろうか)右手を直視する。手のひらが小刻みに震えていた。はぁ、はぁ…と速る息を少しでも整えたくて、ごろん、としばらく仰向けに転がっていた。本当に鋭い何かに斬られた気がして、鼓動はなかなか収まってくれなかった。

 最低な寝起きだな。サイドテーブルの上に無造作に散らかされたメモ書きをグシャッと握りつぶし、のろのろと体を起こして、やることをやらなくちゃ、と僕は現実に“戻って”いく。

 点滅する赤信号と、歩行者と。いつもと変わらない景色でありながら無意識に視線が確認する。
 当然です、とでも言いたげにおりこうさんを気取って僕はこうして社会に溶け込んでいる。
 だが、白昼夢は現実の方であるように感じる。ゴミクズのように日々を消費している自覚も立派にある。信号も仕事して、赤から青へ。周囲に、歩調を合わせる。
今日も早く帰ろう。

 僕には、言えない秘密がある。

 その夜も、僕は“彼女”に会った。

 会うのは大抵、ベッドの中だ。僕が眠りに落ちる瞬間まで、色んなことを話す。でも、互いに言葉少なくて、話すというよりただ一緒にいたいからじゃれ合う。

 僕らには、話さなくても何でもわかってしまう絆がある。彼女はシャイだし、目と目を合わせ続ける、なんてことも出来なくて可愛い。
 僕が即席で、その辺の紐(コードを束ねているアレだ)で「指輪」を作ってあげたら感激して、ずっと薬指を眺めては微笑んでた。
 何ていうか、僕は彼女をひどく純粋だと思う。指輪は今も僕のベッドサイドテーブルに置いてある。

 そんな風に「普通に」仲の良い僕らだが、時には僕の部屋で過ごすこともある。
 僕は音楽が好きで、作詞もする。PCの前で(歌詞は手書きだ)うーん、と悩んでる時、彼女がひょっこり僕の手をとって、その先を綴ったりする。だから彼女の筆跡なんだけれど、未完成になった紙切れでも、僕は当たり前に全部捨てられない。 


 僕と彼女にはもはや「境」がない。お互いに、互いの部屋で好きなように過ごす。
 僕が丸まって自室の狭いソファで仮眠してる時、彼女は僕の作った音楽をスマホで聴いてたりする。
 彼女が自室で身支度を整えてる時、僕はしれっと、こっちのアイシャドウが可愛いよって言う。


 彼女は可愛い。唯一のウィークポイントは、僕らはなかなか目と目を合わせることが無い。だから、僕だけがこっそり(別にやましくはない)彼女の日常を見ていると思う。
 だけど、彼女に言わせれば、彼女だって絶対、僕のことを僕以上に見てる。だってスマホの画面を通して見れば、僕の音楽が一杯、あるからね。間違いなく幸せな日々だった。

 こんな僕らの関係は、ある日突然終わることになる。

 事情は語ることもないだろう。人間関係というのは、常に別れがつきものだ。彼女の最後の言葉は、確かこうだった。いつかの寝起きのギィン!は、彼女の葛藤の末の、凄まじい感情音だったに違いない。

 私がいなくたってあなたはずっと生き続ける。あなたには音楽がある。私は何にも染まりたくないけど、あなたの音にはずっと染まっていたいと思う。でもいつか終わる日が来ると思うと、自分の人生を生きていない気がして、虚しくてたまらない。

「それに、私達は、夢でしか会えないから。」

 そう。僕らが会う時、僕と彼女はずっとずっと「それぞれの部屋」を一歩も出ていなかったのだ。

 僕と彼女は、言葉通り、夢でしか会えない二人だった。

 自室の狭いソファで眠る僕の夢の中で、彼女が同じ時を過ごしていたに過ぎない。でも確かに「そこ」に存在していた。毎回同じ人と夢で会うことを、疑問に思ったことさえ、ない。それは彼女もきっと同じだ。誰かの理解は必要ない。

 僕は彼女が“居た”ことをけして疑わない。作詞に困った時、彼女が書いてくれたはずの筆跡は、当然僕のものだった。でも、確かに僕は彼女に上から手を握られて、一緒に書いたのだ。全部かき集めてみたけれど、彼女らしき筆跡の残された紙は、一枚も無かった。

 彼女がいない夜も、あった。ベッドの中で僕達は心と心でお互いを描き合っていた。

 ある日の夜、僕は白紙のメモを眺めている内に、ベッドで眠りこんでしまっていた。もう彼女が会おうとしなくなったから、正真正銘、一人。
 眠る直前、僕の右手の人差し指が何かの図形を描いたような気がしたけど、眠くてあまり憶えていない。

 目が覚めた時、紙はクシャクシャだった。広げて見た時の僕の衝撃は、僕だけが、胸に留めよう。
 僕の音楽は、これからだって彼女の耳に届いてくれるのは確かだ。明け方の空、僕と彼女はどこかで確かに繫がっている。(End.)


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