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別腹 松笠揚げをめぐるちいさな旅

毎年、京都に出かけている。寺社巡りはしないし、嵐山にも近づかない。鴨川沿いを散歩し、京都市役所裏界隈か出町柳あたりで食事をする。和食はあまり食べない。美味しいのだろうが、ぼくのちんけな金銭感覚では高すぎる。
今年の春は、珍しく天ぷらを食べた。老舗や有名店ではない。研究熱心だが、そのぶん変人そうな、まだ若い店主がやっている店のインスタグラムを見つけたからだ。
開店前と閉店間際に予約の電話を入れたが、どちらも応答はなかった。仕方ないので、メールで問い合わせたが、その返信があったのも翌々日だった。旅先での大事な一食だと考えれば、やめておいたほうが無難な店だとは思ったが、逆に興味を惹かれて予約した。繰り返しで恐縮だが、ぼくのちんけな金銭感覚では、東京の天ぷら屋の値段の高騰にはついていけず、最近はもっぱら旅先で天ぷらを食べている。京都の天ぷら屋も高くなっているが、この店はそれほどでもなさそうだったこともある。ぼくは動物的勘が働くほうではないが、好物に対してだけは鼻が効く自信もあった。
ぼくの勘は当たった。天ぷらは美味しく、店主は変人だった。天ぷら界の現状を饒舌に語り、頂点に立つと評価されている店のいくつかを、遠慮なく腐した。いつか自分が頂点に立つとの鼻息の荒さで、天ぷら粉がカウンター越しに飛んできそうだった。
コースの途中で、おっと思うひと品が出た。甘鯛の松笠揚げ。京都らしいといえばその通りだが、ぼくには別の感慨というか、記憶が浮かんできた。
若い頃、まだ天ぷらという料理に魅せられて間もない頃の記憶だ。ぼくが何度か足を運んだ店のひとつに、渋谷の天ぷら屋があった。そこでぼくは初めて、甘鯛の松笠揚げに出会ったのだった。穴子のうまさがようやくわかってきたばかりのぼくには、とても新鮮な一品だった。
その話を店主にすると、やや自嘲気味の言葉が返ってきた。本来の天ぷら種である、きす、はぜといった魚があまり獲れなくなり、いいものは奪い合いになっているので、違う魚に手を出さざるを得ないのだそうだ。
お勘定は、ぼくの予想よりも安かった。今日は仕入れが揃わなかったので、と店主は答えた。
京都は宿題店が列を成しているが、また来ようと決めた。

初夏に、群馬の天ぷら屋を訪れた。以前から行きたいと思っていたのだが、やや辺鄙な場所にあり、躊躇っていた店だ。なぜ重い腰を上げたかといえば、店主が、甘鯛の天ぷらが出てきた渋谷の天ぷら屋の出身だったからだ。
中年の店主が揚げる天ぷらは、品良くオーソドックスでありながら、種に工夫がされていて口が飽きることがなかった。きす、はぜの不在に、京都の店主の言葉が思い出されたが、舌は素直に喜んでいた。
ばくは頃合いを見て渋谷の天ぷら屋の話をした。すると店主は、店のカウンターは修行先から貰い受けたものだと教えてくれた。
きれいに磨かれたカウンターを、ぼくはそっと撫でた。貰ったときに一センチ削ったそうだが、それからでも十数年を経ているのに、染みひとつない。毎日、閉店後に手入れをしていると聞いて感心した。
この店では出なかったが、甘鯛の松笠揚げのことも話した。ぼくが通っていた頃の料理長が、京都出身で、それまでの江戸前にない天ぷら種を使うひとだったそうだ。
店主は、修行先の先輩が山梨で天ぷら屋をやっているが、ご存知ですかと尋ねてきた。ぼくは知らなかった。
ここのお勘定も、十分に納得のいくものだった。店を後にするとき、店の前に置いている石のオブジェも貰ったものだと言われた。帰りに見ると、たしかに渋谷の店を入ってすぐにあった、見覚えのあるオブジェだった。



夏になってすぐ、ぼくは山梨の天ぷら屋に予約の電話を入れた。早めの予約でだけ受け付けて
いる特撰コースを頼むつもりだったからだが、電話に出た女将さんらしき声は、量が多いとあまり勧めてこなかった。いまどき、商売っ気のない対応に、逆にぼくの期待は高まった。しつこいが、ぼくはちんけな金銭感覚の持ち主なので、少しほっともした。
ややくたびれた町はずれの通りから、目立ちたくないとばかりに半歩引いて、整った構えの店があった。昔からこういう店が好きだし、歳とともにますます好きになっている。
電話に出た女将さんはぼくの天ぷら好きを見抜き、天ぷらばかりのコースを勧めてくれた。ぼくに否はない。
年配の店主が静かに揚げ場に立つ。群馬の店主の先輩というが、年齢はたぶん親子ほども離れていそうだ。
余分な才気が削げ落ちた天ぷらコースが粛々と進み、やがてぼくの目を惹くひと品が皿に置かれた。
群馬の店では出なかった、甘鯛の松笠揚げだ。
それを機会に、ぼくは京都の天ぷら屋から始めて、群馬の天ぷら屋、そしてふたりの店主の修行先だった渋谷の天ぷら屋との縁を話した。寡黙だった店主の口が滑らかになり、女将さんも加わって、話に花が咲いた。
店を開いて三十六年になるそうだ。ぼくが渋谷の天ぷら屋に伺っていた頃と重なる。聞けば店主は富山の出身ですぐ東京に出てきたというから、京都にいた料理長ではない。ないが、そのひとの下で二番手を務めていたのではないか。ぼくはたぶん若い頃に、店主の揚げる天ぷらを食べている。感慨と同時に、群馬の店主に感謝し、さらにそんなに長い間この店を知らなかった不明を恥じた。隠れてやっていますから、と店主は笑った。
群馬の店では出なかった甘鯛の松笠揚げは、皮目のさくさく、身のほくほくのあと、しみじみ昔の味がした。


渋谷の天ぷら屋はいまはない。だがその記憶はぼくのなかに残り、美味しい天ぷらに味以上の味わいをくれた。この春から夏にかけてで、再訪すべき天ぷら屋が三軒もできてしまった。

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