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不動産営業職 コウタ(29歳)の場合

01 -Prologue-

02 -In the case of Kota-

コウタは今日も酒を飲んでいる。
正確に言うと飲まされている。
「だからさぁ、お前の努力が足りないのよ。ダメな時は足で稼げよ、足で!俺がこの部署に来る前はな、社長も驚くほどの営業成績でなぁ……」
赤ら顔の部長がテーブルに肘をついて、得意気に話し始めた。いつものことだ。
ビール2杯にハイボール3杯、ついに安い白ワインのボトルも半分が空いた。
酒は好きだが全く酔えない。

学生時代からキラキラした一軍が苦手だったコウタは、コツコツ積み上げることを得意とするタイプだった。
新型コロナウイルスの影響で就職が困難になったときも地道に努力し、ニュー・ムーブ政策が発案されたときも、彼なりに思うところはあったが、自分なりに咀嚼し時代に適応することを選んだ。
努力を怠らず、コツコツ積み上げる先にこそ、幸せがあると思っていた。
だから、地道な営業活動が必要な不動産業界に採用された時には天職だと感じていた。
就職して数年たった今、学生時代にキラキラしていたであろう同期のエースはオンライン営業のみで成績を上げることができるが、コウタは極端に短期集中のオンライン営業が苦手だ。
結果的に、ムーブを使ってまでわざわざ会いに来てくれた親切な営業マンというキャラクターでマンションを売っている。
でも、そんな仕事のやり方にもコウタはやりがいを感じていた。

コウタは部長の機嫌を損ねないような相槌を打ちながら、週末の予定を考えていた。
結婚を考えている彼女のタカコと久々に伊豆へドライブに出かける予定だ。東京からだと数時間で行けるし、お目当てのレストランは2ヶ月前から予約していた超人気店である。
遠くに出かけるのは楽しいが、いかんせんムーブを消費する。
前回、遠くに出かけたのは確か3ヶ月くらい前だった。
医療従事者などの職業と比べるとムーブの支給が少ない職業に就いている自分を詫びると、「ムーブが少ないなんて気にしないよ。ムーブは少しずつ貯めればいいじゃん」と、気にする素振りも見せず、タカコは笑った。
タカコのリクエストに応えるべく、無駄なムーブの消費は控えてきた。
しかし、ここへきて部長からの飲みの誘いである。
今日だけではない。会社の営業成績が下がると、度々飲み屋に誘われ説教なのか自慢なのか精神論を数時間聞かされ、何の解決方法も議論されないまま、部長は気持ちよく帰っていく。
居酒屋はムーブを消費する。しかし部長はお構いなしだ。
部長は妻が医療関係者ということもあり、ムーブの支給がコウタより格段に多い。
つまり、気にすることなく飲みに行ける。
コウタはムーブメーターに目をやった。
まずい、これ以上ムーブを消費すると、タカコとの伊豆へのドライブが危うくなる。
なんとか、部長をごまかして、家路についた。

タカコと伊豆に行く前日の金曜日。
以前から営業をしていた顧客から、マンションの購入を前向きに検討したいから会って話したいと連絡が来た。
この物件が売れると、コウタの成績も上がるし、なにより部長の機嫌が良くなるから飲みの誘いから逃げられる。
しかし、顧客に会いに行くと明日の伊豆の分のムーブは足りなくなる。
どちらを取るべきか悩んだコウタだったが、正直にタカコに電話をしたところ、タカコは仕事を取るべきだと言ってくれた。タカコに背中を押されたコウタは、顧客との商談に向かい無事受注することができた。

翌日、コウタは埋め合わせがしたいと思い、伊豆は無理だが、いつもよりも値が張る食材を揃えて自宅で料理を振る舞おうとタカコに連絡を取った。
しかしタカコは体調を崩したらしく、今日は大事を取ってPCR検査に行くらしい。
確かに、コロナウイルスの感染が疑わしいのに放置し、なおかつ感染していた事が後でわかったら罰則があるので、無理されるよりは賢明な判断だとタカコに会うのは諦めた。

しかし、タカコが向かったのはPCR検査のための病院ではなく、大学時代の友人に誘われた医療従事者が集まる合コンだった。

03 -In the case of Takako-


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