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Web編集者 タカコ(28歳)の場合

02 -In the case of Kota-

03 -In the case of Takako-

土曜日。
「せっかくだけど、実はちょっと熱っぽくて。念のため今日は検査行っておこうと思ってるんだ」
コウタからの埋め合わせの申し出に対して、タカコはそう答えた。
苦しげな声に聞こえるように、ざらついたヴォイス・フィルターを少しだけかけてある。

コウタの心配そうな、でもどこかほっとしたような
「そっか……じゃあ伊豆はやめておいて正解だったかもね。お大事に」
と気遣う言葉に
「うん、じゃあね。ありがと」
と返すと、タカコは小さく空咳をしながら通話を切った。

ふう、と短く息をつき、再びスマートフォンにメッセージを吹き込む。
「チカへ。誘ってくれてありがとう。今日の18時、楽しみにしてる。また後でね」

コウタとは大学時代のバイト先で出会った。付き合ってもう5年になる。
誰にでも優しいところが好き。コツコツ努力できるところも尊敬してる。
でも。優しすぎる、のかもしれない。
彼なりの頑張り方であることは理解しているものの、いわゆるIT業界でWebメディア運営に携わっているタカコからすると、「営業は足で稼ぐもの」なんて考えから抜け出せない旧時代的な上司に強く言えないコウタが、効率の悪い努力の仕方で思考停止しているように見えるときがある。

若い頃はそれでもよかった。ゲームみたいにやりくりしながらムーブを貯めて、ふたりでささやかな遠出をするのが楽しかったし、幸せだった。
でも、いつまでもそれでいいわけじゃない。ふたりだけならまだしも、もし将来子どもが生まれたら、その子にまで我慢をさせてしまうのだろうか。そんな焦りにも似た、もやもやとした思いはずっと心の片隅にあった。

久しぶりのドライブデートを翌日に控えた金曜日、急な仕事が入りそうだとコウタから相談の電話が来たのと、ゼミで仲の良かったチカから合コンの誘いがあったのは、ほぼ同時だった。
もちろん最初は合コンなんて断るつもりだった。でも、ふと頭によぎった「コウタ以外の可能性は本当にゼロなのか」という問いから目を背けきれなかったのは事実だ。
罪悪感にチクリと胸が痛んだが、仕事とデートどちらを取るかの判断と責任をタカコに委ねた、コウタの優柔不断さと無意識の甘えに反発するように、タカコは衝動的に「行く」と答えていた。

指示された店は、繁華街から一本裏手に入ったところにある、カジュアルだけど落ち着いた雰囲気のダイニングだった。
テーブルはゆったりとした間隔を空けて配置され、席と席の間はエアカーテンで区切られている。
カトラリーは滅菌パックに封入され、消毒液の染み込んだおしぼりと一緒に、一席ずつ置かれている。もはや見慣れた光景だ。
先に店に入っていたチカが手を挙げてタカコを呼ぶ。
「タカコ、久しぶり!来てくれたの意外だったよ」
「チカから誘っておいて何言ってんの」
そう笑ってごまかしながら、タカコはチカの隣にひとつ空けて座った。

今日の相手は、都内の大学病院に勤める研修医の二人だった。26歳と27歳。どちらも年下だ。
最初は久々の合コンに気を張っていたタカコだったが、むしろ食事会と呼んだほうが相応しいこの小さな会は和やかに進んだ。
タカコと話が弾んだのは、タカコの右斜め向かいに座ったショウという若い方の男だった。
「まだまだ見習いみたいなものなんで、バリバリ働いてるタカコさんに比べたら給料も安いし大変ですよ」
そう謙遜して笑うが、言葉ほどその雰囲気に悲壮感はない。
それはそうだろう。あらゆるコンテンツがインターネットの中に取り込まれ、5Gの電波が空気のように行き渡っている今、娯楽を享受する金銭的コストは限りなく下がっている。人々の「あれをしたい、これをしたい」という欲求の枷になっているのは今やお金よりもムーブであり、この社会を最前線で支えるエリートである医療従事者のショウたちには、ムーブ消費免除の特権が与えられているのだから。

主な話題は、わざわざ電車で1時間もかかる店にラーメンを食べに行ったことだとか、このあいだのストリーミングでないライブコンサートがとてもよかったことだとか、そういう他愛もないものばかりだったが、ムーブを気にせずに遊べるショウたちの自由さが、タカコはたまらなく羨ましかった。昨日からのコウタとのやりとりを思うと、自分たちがまるで牢にでもつながれているような気さえした。

笑って相槌を打ちながら話を聞いていたのに、不意に鼻の奥からツンと涙の気配を感じて焦る。暗くなりかけた気持ちを振り払うように、タカコは明るい声でカクテルのおかわりを注文した。

04 -In the case of Chika-


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