見出し画像

もし外出がポイント制になったら、僕らの生活はどのように変わるだろうか?

緊急事態宣言はひとまず解除となったものの、この「コロナ禍」がもたらしたラディカルな行動の変革・態度の変容の多くが不可逆なものであることに疑いはないだろう。未だウイルスの完全撲滅には至ってない以上、僕たちはすでに「コロナウイルスが発生した後の世界を」「コロナウイルスが存在している前提で」過ごしているわけであり、まさに「アフター・コロナ」「ウィズ・コロナ」に生きていると言える。「世界の日常の中に落ちている未来の兆しをすくい上げる」ことを標榜するSandSとして、この変化に向き合わないわけにはいかない。

この先の未来を直接覗くことはできないけど、つぶさに想像することはできる。「思い切りミクロに、思い切り主観的に」というSandSのモットーを言い訳に、ひとつのSF的な未来シナリオを描いてみた。

あらかじめ断っておくが、僕らは未来を特別に悲観も楽観もしていないし、何か政治的な主張をしたいわけでもない。定量的なマーケティングレポートやアクションプランは、プロフェッショナルなコンサルタントやエージェンシーがいくつも出すだろう。その役割は彼らに任せて、僕らはこの箱庭的なシチュエーションの中で遊ぶように思考実験をしてみようと思う。

01 -Prologue-

2019年に突如として現れ、全世界を第二次世界大戦以来の大混乱に陥れた新型コロナウイルス。それが人類にもたらしたのは、50万人を超える死者と1億人以上の失業者という莫大な打撃だった。

その多大な犠牲を経て、レムデシビルなど新型コロナウイルスの治療にある程度有効だと思われる薬がいくつか見つかり(そして副作用に片目をつぶった特例承認がなされ)、医療崩壊の危機はすんでのところで免れることができた。

しかし、2021年を迎えても特効薬やワクチンの開発にまでは至らず、感染の拡大と収束、緊急事態宣言の発令と解除を繰り返しながら騙し騙しやり過ごす日常は続いた。
短期的なウイルス根絶の見込みがない以上、人類はこの望まれない新たな隣人との共存に舵を切るほかなかった。

当然、2021年に延期された東京オリンピックは、再度無期限に延期され、事実上の中止となった。

しかし、経済成長の袋小路に追い込まれ、自国でのオリンピック開催に一発逆転、国威発揚の夢を託していた日本政府にとって、そのIOCの決定は到底飲めるものではなかった。
即座に遺憾の意を表すと同時に、新型コロナウイルス感染症の徹底管理(アンダー・コントロール)を宣言。その管理体制確立を条件に東京オリンピック開催の確約をIOCに迫り、半ば強引に承認させた。

そうして生まれたのがこの「ニュー・ムーブ政策」である。

「ウィズ・コロナ時代に適応した、日本発の新たな移動の概念」と銘打たれ、莫大な国債発行と、大手SIer7社と5つの大学系研究機関への(まるで戦時接収のような)随意契約によってわずか2年で構築されたこの国家システムは、全国民の行動を監視し、「ムーブ」というポイントによって行動を制限するものである。

医療機関の受診や、週2回までの買い出し、30分以内の散歩など、日常生活に最低限必要なものは除外されるものの、それ以外のあらゆる移動と行動には、その距離・時間・密集度、そして当人の免疫獲得度によって算出されるムーブ数が課され、移動・行動に応じて保有ムーブが消費される。
つまり、基本的にはムーブがなければ感染拡大につながる可能性のある移動・行動はできない。特に、スタジアムでのスポーツ観戦や音楽ライブなど、密集度が高く飛沫感染の可能性が高いアクティビティや、飛行機や新幹線・高速バスなど、長時間密閉された環境を避けられない移動は大量のムーブが必要な贅沢品となった。

全国民は出生証明書の提出と同時にマイナンバーの発行が義務付けられ、生後2ヶ月の予防接種の際、左手の親指付け根と首の後ろの2箇所に5mm程度のチップを埋め込まれる。
生体電気信号によって稼働するこのチップによって、位置情報のモニタリングと「ムーブ」の管理が行われるのだ。

この政策案が発表されると当然、人権をおびやかし、純然たる監視社会の成立を意味するとして、野党は猛反発した。
twitter上でもサーバが日に3度も落ちるほどの大規模なオンラインデモが連日行われ、大論争が巻き起こった。

しかし、コロナ禍によって壊滅的な打撃を受けていた株式市場が社会システム一新の特需を見越して息を吹き返すと、徐々に世論の潮目が変わり、ニュー・ムーブ政策と引き換えに消費税・保育料・高校までの学費の完全無償化方針が発表されると、大勢は決した。
その裏には、ここ数年で急増した失業者など、これまでの資本(至上)主義社会の中で弱者として虐げられていた者たちの、一種の「革命」を望む、すがるような思いも込められていたのかもしれない。

こうした紆余曲折を経てムーブ・システムは社会実装され、2025年現在、(未だ若干の奇妙さや局地的なハレーションは残るものの)変化の大きさの割には急速に日常に溶け込み始めている。

「ビフォア・コロナ」と比べて変わったことと言えば、「お金」の価値の相対的な低下だ。
何しろ、いくら大金を持っていたとしても、「ムーブ」がなければ自由に行動することはできないのだから。
ムーブはブロックチェーンで管理されており、お金での売買や換金はできない。基本的には、毎月国から加算されるムーブをやりくりすることになる。ムーブは消滅しないので、使わずに残った分は永久に繰り越すことができるが、どうしても一時的にムーブを稼がなければならないときは、政府の認定するボランティア業務(街の消毒、介護や行政業務の単純事務作業など)に従事するほかない。

そのほかにムーブを大きく得られる可能性があるのは、結婚・相続だ。
毎月国から加算されるムーブ数は、全国民一律ではない。細かな変数はいくつかあるものの、職業による変数が最も大きい。
長距離移動が前提となる物流・運送業などは、業務に付随してムーブ消費も多くなるため、毎月のベースムーブ数は高めに設定されている。ほかにも、ニュー・ムーブ政策下で需要の増した医療・介護・保育従事者や、社会上不可欠な一部のインフラ系の仕事については、その業務上の必要性に加え、就業インセンティブ確保の観点からムーブ消費免除などの優遇がなされ、人気が急騰した。
この職業によるベースムーブの差は、就職人気ランキングだけでなく、恋愛・結婚にも大きな変動をもたらした。というのも、基本的に生活空間や行動を同じくする同一世帯内でのムーブの融通は例外的に許可されているため、ムーブ消費が免除される職業の「玉の輿」婚が急増したのだ。このままいくと、将来的にはムーブを溜め込んだ高齢者を狙った結婚詐欺なんかも出てくるかもしれない。

他に大きく変わったこととして、外国が遠くなったことへの言及は避けられない。
海外旅行は消費ムーブの大きさから一生のうちに何度行けるかというレベルの贅沢になってしまったし、そもそもR値(実効再生産数)が1を上回る国や地域への渡航は許可されない。
訪日観光客も大きく冷え込んだ。当然だ。自国の「免疫証明書」の保証レベルによっては免除されるとはいえ、基本的に海外からの渡航者は入国時にチップ入りのリストバンド装着を義務付けられるのだから。
ただ一方で、ニュー・ムーブ政策後、国外脱出や国籍離脱の動きも活発化したが、徹底的な感染症対策と高福祉を求めて日本にやってくる移民も増えている。

仕事は、学校は? 食事は、ファッションは? この世界における新たな「日常」とはどんなものだろう?
コロナ禍を契機に、独自の社会体制に大きく舵を切った架空の日本を舞台に、ここで少しずつ思考実験をしてみようと思う。

02 -In the case of Kota-



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?