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メタファー:リファンタジオ。ペルソナシリーズのアトラスが差別を取り扱うことに対する不安について

ペルソナシリーズの開発スタッフが手掛ける新作RPG、メタファー:リファンタジオをとても楽しみにしています。

様々な種族が住み、ニンゲンという忌み嫌われる存在が破壊を繰り返す世界で、王を決める選挙魔法の混乱に巻き込まれていく少数民族の主人公、そこで現れてくる格差や差別という世界観・テーマに魅力を感じますし、ゲーム画面を見ても全方位にかなり力が入っているのがわかります。移動のシーンが大きくフィーチャーされてるのも印象的ですね。あと相変わらずメニュー画面がカッコ良すぎる。

一方で、私はペルソナシリーズの大ファンでたくさんある派生作も含めて全てプレイ済みですが、ペルソナシリーズのアトラスが差別を取り扱うと聞くと、つい不安を感じてしまうのも事実です。

私は(P3以降の)ペルソナシリーズからは「持てる者の無自覚な踏み躙り、その内面化」を読み取っていて、そこから制作者のこの領域についての限界を現時点の私は感じてしまっているからです。

もちろんP3以降も、プレイヤーたちはある意味はぐれもの、中心にいない存在として基本的に描かれますが、実際の描写を見るとどうしても、持てる者、陽キャ、中心にいられる魅力的な人物として描かれているように思えます。

P3以降のシリーズでは、中心にいるものによる無自覚の傲慢さのような描写が鼻につく場面がしばしば見られます。ペルソナ4で繰り返されるゲイに対する無神経な描写。クボミツオは凶行に至るまで何を考えていたのでしょうか?ミスコンで敗れた柏木先生と大谷花子は旅館で何を話していたのでしょうか?彼女たちに寄り添う人はいなかったのでしょうか?自分が書いたポエムを毎回勝手に読まれるマリーの気持ちはどこにいくのでしょうか?

P4におけるLGBT関連の取り扱いについてはまあギリ時代ということで許せる気もしますが(しますか?)、その後のPQ、P5などでも同じようなノリを引き継いでおり、特にP5では、「普通」から弾き出されてしまった人々を描いていながら、いわゆるオネエのキャラたちの扱いがあまりにもだったことにはガッカリしてしまいました。

差別を取り扱う上で厄介なのは、私たちそれぞれの無自覚な領域・自明だと考えている領域にあるものこそ、真に取り上げなければならないトピックだということです。それは「差別は絶対良くないよね、『だけど』ー」の、『だけど』のその先にあるものです。これまでのペルソナシリーズの描写を見る限り、この辺りに対する取り扱いの手つきは乱雑であると言わざるを得ません。元々持っていて時々顔を出していたこの辺りの無神経さが改めて顕在化してしまうことを恐れています。

もちろんP5からも既に何年も経っていますし、メタファーがそれらをきちんと取り扱ってくれるかもしれません。杞憂に終わることを祈りながら、何よりメチャクチャ面白そうな期待のゲームとして楽しみにしています。

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