なぜ世界に悪が存在するのか:アウグスティヌスの答え

神は残酷なのだろうか。神が神聖ならばなぜ悪はこの世に存在し、神はその悪を取り除かないのか。 アウグスティヌスはこう弁明する。神は人間に自由意志を与えた。それは人が機械のように強制的ではなく、自らの意志で神を愛すると選択して神に仕えることを望まれたからである。

神と人は離れられず、人は神から離れて生きれるようには造られなかった。神を愛してその掟を守るなら人は幸福になり、神を愛さずその掟を守らないなら人は不幸になると、神は最初から予め人に伝えていた。

しかし、人間は自らの意志で神に仕えないことを選択した。それゆえ人間は神から離れ、神の掟を破り、自ら自由に文明を築いていった。しかし、それによって人類は数々の災いを被り、社会は混乱し、悪がはびこったのである。

神はなぜその悪をすぐに止めなかったのか。それは人間が神から離れて生きるなら不幸になるということを人間が思い知るためである。人間は神から離れられず、神を愛し、その掟を守ることでこそ、幸福になる。それを人間が自ら悟り、再び自らの意志で神を愛するのを待っているのである。

神はただ冷淡に世界を見つめているのではない。神はキリスト(我が子)を世に遣わし、人間を救済する手立てを備えられた。罪を行えば死す。これは公正な倫理の基準である。人間は誰しもが堕落してしまったので、罪を為さない者は誰もいない。だから人間は当然の報いを受けて死すのである。

しかし、キリストは自らの命を犠牲として捧げて全人類の罪を清算し、贖った。この神の大いなる恩寵により、自らの神に対する罪を認めて、キリストを信じる者は神に生前の罪を赦される。そして死後、終末後に回復した新しい世界で彼らは復活する。神のこの大いなる愛を信じない者には、もはや何の救いもなく、永遠の死が待ち受けている。

人類が自ら滅亡の道を歩むことで地を破滅させ、自らの力で文明を築いても何もうまく行かないことを悟ることで終末が訪れた時に、神は再び世に現れる。そして、神はキリストを信じる者を救済し、信じない者を滅ぼされる。 救済された者は回復された新しい世界(神の国)で神と共に、神の保護下で、永久に平和に幸福に生きる。

だから、この世に悪が存在するのは、神が人間に自由意志を与えたからである。そして未だにこの世に悪があるのは、人類が自らの意志で神を愛さないことを選択しているからである。しかし、神は世界を救済する意志と目的を持っていて、救済の手立ても備えている。後は人類が自らの限界を悟る時を待つのみである。

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