梵我一如、超越論(バラモン教)と相関主義(仏教)

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科学でいう宇宙はブラフマンではなく現象界のこと。ブラフマンは現象界を観照する神。科学でいう自己はアートマンではなく意識(心)。アートマンは意識に宿る魂。非宗教化させた単なる哲学とみなすのは間違いで、インド哲学は宗教哲学(神学)なのである。

ところで、

バラモン教(ウパニシャッド哲学)は、現象界を超越した神と魂について探究し、実践し、一体となることで解脱できるとした。

仏教は、超越論は無記でも解脱できるとし、現象界の宇宙と意識(心)について探究し、実践し、一体になることで解脱できるとした。

確かに、全と点の無限性について理解できなくても、現象界(斜線の部分)の面積は、全と点の一体の面積(全と点の相関関係)と同質である。だから現象界(相関主義)の探求でも超越論(本質主義)の探究でも、同じ計算結果(梵我一如)を弾き出せる。

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