「ねるねるねるね」と「たべっ子どうぶつ」の哲学


かつてユングは集合的無意識をとなえた。私たちは、みな無意識のうちに全人類的な集合的無意識によって突き動かされているのだと。
だとすれば、ベストセラーになるような身近な商品には、我々を無意識に惹きつけるシンボルが潜んでいるのではないだろうか?
ここでは、日本のお菓子の中に潜む集合的無意識を哲学的に考察してみた。(※遊び半分で読んでください)

以前、書いた「きのこの山とたけのこの里」に関する記事も参照されたい。
https://note.com/sandcake3/n/n9d27fc52afcd

今回は、「ねるねるねるね」と「たべっ子どうぶつ」について考察してみた。


「ねるねるねるね」の哲学

CMに登場する「魔女」と、このお菓子の化学実験的な性質は、中世ヨーロッパの「錬金術」を連想させる。

錬金術は中世の科学(化学)であった。
科学には二面性がある。
・人類の知識と文明を発展させ、自然を征服するエロス(生の欲動)
・自然環境を破壊し、シュミラークルな仮想現実へと誘うタナトス(死の欲動)

同様に、「ねるねるねーるね」も、
・化学実験的な知的作業に伴うエロスと、体の健康に悪そうな色合いに伴うタナトスの象徴を有する。
・さらに、粉末状の材料は麻薬(ドラッグ)を連想させるが、これは科学が有するシュミラークル性(幻覚作用)の象徴である。

このお菓子は当初、「サイバー菓子」(ケミカル菓子)と呼ばれていたが、あまり成功せず、後に「知育菓子」というジャンルに変更されヒットした。
これは、科学(錬金術)が有するある負の面が強調されることによって、ある種の背徳感情が"抑圧"となっていたが、科学(錬金術)が有する正の面が強調され直したことによって、抑圧が解放されたのだと解釈することができる。

さて、錬金術では、「硫黄」(アルカリ性)と「水銀」(酸化)を掛け合わせ、炉で熱して結合させるのことによって、「賢者の石」を生成する。
炉の中では、黒色(ニグレド、死)→白色(アルベド、復活)→赤色(ルベド、完全)と変化して、賢者の石(不老不死の薬)となる。

一方、「ねるねるねるね」のぶどう味では、最初の粉に水を入れてかき混ぜると「青色」(アルカリ性)に変化し、次の粉を入れてかき混ぜると「赤色」(酸性)に変化する。

これらは、

硫黄のアルカリ性→青色になる粉(アルカリ性)
水銀の酸化→赤色になる粉(酸性)

黒色(影)→青色に変色
白色(復活)
赤色(完全)→赤色に変色

に対応する。

したがって、ねるねるねるねのお菓子作りの実験は、錬金術における賢者の石の生成過程(大いなる作業=マグヌス・オプス)を象徴する模倣だと言える。


「たべっ子どうぶつ」の哲学

たべっ子どうぶつは、四角い箱の中にビスケットの動物たちが詰まっているお菓子である。これは、旧約聖書の「ノアの方舟」を象徴している。

ビスケットの各動物には、英語で名前が焼印してある。旧約聖書では、アダムはすべての動物たちに名前を付ける仕事をし、命名は人間の動物たちに対する権威の象徴でもあった。

さらに、「たべっ子どうぶつ」は、お菓子を食べながら英単語を学べる教育的な効果を目的として作られていた。要するに、これはキリスト教的な西欧文明の教化を象徴しているのではないだろうか。

また、この動物たちは全部で47種類あるが、耳が割れてしまうとの理由で、後にコアラだけ取り除かれ、46種類になった。

ところで、コアラはオーストラリア大陸に生息しているが、しばしばノアの洪水の史実性を批判する人々が、ノアの洪水が本当ならば、オーストラリア大陸にいるコアラはどうやって海を渡ったのか?と批判するのである。

すなわち、欧米のキリスト教的な価値観を教化するに際して、コアラの存在は不都合な真実だった故に、無意識的に取り除かれたのではないだろうか?


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