かんたん経済学
古典派(アダム・スミス)…ミクロ経済学
経済は国家が国民の安全と公正さを管理さえすれば、後は自由放任していても「(神の)見えざる手」により自然に調整される。
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新古典派(マーシャル)…ミクロ経済学
経済学を数式化しよう。個人が欲望の満足度を最大化するために合理的に行動することで需要と供給は自然に決まる。自由放任で良い。
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左派: コミュニズム(マルクス)
資本主義のシステムは格差が拡大して必ず崩壊を招く。資本主義により生じる格差を是正し、富を平等に再分配すべき。
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中道: リベラリズム(ケインズ)…マクロ経済学、大きな政府
自由放任では失業者は増え世界恐慌になる。政府は経済に積極的に介入し、公共事業などで財政出動することで雇用を支えるべき。
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右派: ネオリベラリズム(ハイエク、フリードマン)…マクロ経済学、小さな政府
全体主義は危険だから自由放任でよい。政府は経済に極力介入せず、国民の身の安全を守ることに専念し(夜警国家)、後はお金の流れを調整する(金融政策)だけでいい(マネタリズム)。
時勢的には現在は、保護主義やコロナ禍、MMT理論やベーシックインカムの台頭などから、ネオリベラリズムからリベラルに戻るベクトルが働いている世界情勢。中道ネオリベラリズムと言った具合か。
ちなみにコミュニズムでもネオリベラリズムでも、極端に振り切ればどちらもアナキズム(無政府主義)になる。
日本では近年「芸術や学問などに国民の税金を自由に使わせるな(政府は介入して国民のお金を守れ)」というリベラルの主張と、「国民の表現や学問の自由を擁護せよ(政府は介入せず自然に任せろ)」というネオリベの主張の闘争とかがある。ここにリベラルとネオリベの違いがよく現れている。
リベラルは自分の税金の使い道はきちんと守って欲しいと考えるので、行為の自由は犠牲にしてでも平等を求めている。ネオリベは自分の税金の使い道が自分の意向と合わずに損失するという不平等になったとしても、自由を求めている。
すなわち、同じ自由主義でも、リベラルはより平等(非差別)志向で、ネオリベはより自由志向である。こうした徹底した自由志向を自由至上主義(リバタリアニズム)という。
主著
アダム・スミス
『国富論』(1776)
アルフレッド・マーシャル
『経済学原理』(1890)
カール・マルクス
『資本論』(1867,1885,1894)
ジョン・メイナード・ケインズ
『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)
フリードリヒ・ハイエク
(オーストリア学派)
『隷属への道』(1944)
ミルトン・フリードマン
(シカゴ学派)
『資本主義と自由』(1962)
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