クリスマス(制定の歴史とキリストの実際の誕生時期の推定)


◆クリスマス制定の歴史

ローマ帝国におけるミトラス教の太陽神ミトラスの誕生日は冬至の12月25日であった。

神学者オリゲネス(185-245)は誕生日を祝うことに否定的であった。「全ての聖なる人の中で、自分やその子供の誕生日に祝宴や宴会を催したと記録されている人はいない。(ヘロデやエジプトのファラオのような)罪人だけが誕生の日に喜びの宴を催す」(『レビ 記講話』8, 3,(2))。

313年 コンスタンティヌス帝、ミラノの勅令でキリスト教を公認する。

325年 コンスタンティヌス帝、ニケア公会議を開く。この時にクリスマスが制定された?

336年 ローマの行事を記しているフィロカルスの暦の中には「12月25日に、キリストはユダヤのベツレヘムでお生れになった」と書かれている。

354年 教皇ユリウス1世、イエスの生誕は12月25日であると布告する。

したがって、クリスマスは325〜354年の間に制定された可能性が高い。


◆実際にキリストが生まれた時期の推定

「さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ2:8)

タルムードのミシュナーでは、羊飼いたちが野宿できる季節は、「前の雨(秋の雨)」(申命記11:14, ヨエル2:23)までの期間とされる。したがって、11月以降は冬の寒さのために野営しない。


ヨハネの父ゼカリヤはアビヤ組の祭司(ルカ1:5)。

アビヤ組の祭司は第8組。祭司は24組に分かれていた。当時、各組が2週間交代の当番制で神殿の奉仕に就いていた。アビヤ組は第8番目の組なので、エルサレム神殿での奉仕は"ユダヤ暦第4の月の後半(6-7月)"であったと計算できる(歴代1 24:7-19)。

ゼカリヤの「務めの期間が終わった」後、妻エリザベツはヨハネを懐胎した(ルカ1:23)。つまり、"ユダヤ暦第5の月(7-8月)のはじめ"。

その6ヶ月目、イエスの母マリアが身ごもった(ルカ1:24-26)。つまり、"ユダヤ暦第10の月(12-1月)"。

エリザベスは妊娠して"5ヶ月間"引きこもり(ルカ1:24)、"6ヶ月目"にマリアと会い(ルカ1:26, 1:36, 1:39)、マリアは"3ヶ月間"エリザベスと共にあり(ルカ1:56)、「月が満ちて」ヨハネを産んだ(ルカ1:57)。すなわち、妊娠期間は9ヶ月間。

エリザベスと同様に、マリアも「月が満ちて」(すなわち9ヶ月間)イエスを産んだ(ルカ2:6-7)。すると、洗礼者ヨハネの誕生の半年後、"ユダヤ暦第7の月(9-10月)"にイエスは生まれたことになる。


さらに、イエスの誕生は、仮庵の祭り(第7の月の15日から7日間、レビ23:34-43)に対応する可能性は神学的に考えられるだろう。祭りが始まる第7の月の15日に誕生したとすると、それは10月1〜2日に相当する。

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