ドラクエのスライムの哲学


人間の行動の背後には無意識が存在する。ゲームの開発者がどこまで意図的に創作したかは未知数だが、開発者の無意識も作品に投影されている。そして社会的に大ヒットして長年親しまれている作品には無意識の元型が潜んでいることが多い。なぜなら、その作品に集合的無意識の元型を呼び覚ます作用があるからこそヒットするからである。

今回はドラゴンクエストの中に登場するスライムというモンスターの中に潜む集合的無意識を考察してみよう。

スライムとは、ねばねばした汚い液体上のもののことである。ヘドロのようなイメージに近いかもしれない。もしこのモンスターが実在したなら、粘菌のような姿をしているかも知れない。もし高速で動く粘菌モンスターに遭遇したら、部分を斬っても斬っても動きつづけるので、非常に脅威と感じるだろう。

さて、ドラクエにおけるスライムは、最弱のモンスターという性質を持ち、もしくは液体上の性質を持つ。そして、色々な種類のスライムは、どれも人間の無意識にある根源的な不安や恐れを表している。

それはスライムの持つ角のような形状に象徴されている。元々はその形は粘質のある水玉をイメージしているのかもしれないが、あの角がなければ、スライムはここまで人気のキャラクターになってはいなかっただろう。あの角は人間の持つ根源的な欲望や攻撃性を表すファルスを象徴しているのだ。スライムを見つめる者はあの角に、自らが去勢された精神的なファルスを無意識的に感じ取り、スライムに対する衝動的な攻撃性を掻き立てられるのである。

また、スライムのあの薄気味悪い笑顔(スマイル)は、『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫のように我々の根源的な不安や恐怖を掻き立てる。最弱なモンスターのはずなのにあの何かを企んでいるかのような余裕の表情は、何度倒そうとも湧いて出て来る、根絶やしにできない自然的な猛威を象徴しているのである。

スライムは色々な種類が存在するが、代表的なスライムがそれぞれどんな人類の根源的な恐怖を象徴しているのかを、以下で考察していく。

まず、スライムの青は海を表し、ギリシャ・ローマ的な帝国支配を象徴する。対して、スライムベスの赤は大地の液体(マグマ)を表し、オリエント的な帝国支配を象徴する。"ベス"が何を意味するかは正確には不明だが、ポンペイを滅ぼしたベスビオス火山のベスかも知れない。

スライムがオスなのに対し、スライムベスがメスとされるのは、陰陽的な対概念を示唆するし、天的な青と地的な赤の対比である。スライムベスは火山の噴火のような自然災害に対する根源的な恐怖を表しているのかも知れない。

バブルスライムは有害な化学物質を象徴している。メタルスライムは水銀を象徴している。古代におけるタタラ場における水銀中毒、有害な化学物質による公害。どちらも、自然破壊による公害に対する人類の根源的な恐怖を表している。

メタルスライムやはぐれメタルは攻撃の身をひらりと交わし、すぐに逃げる戦法を持つ。社会的弱者の生存戦略の一つである。しかし、彼らは会心の一撃で倒すと大きな経験値を得られるため、かえって強者の闘争心を煽る。普通のスライムを倒しても勇者としての名誉はないが、メタルスライムを倒すと勲章になる。したがって、このような弱者戦法はむしろ普通のスライムの生き方よりも攻撃の的になるだろう。

キングスライムは群衆の力に対する根源的な恐怖、つまり民主主義の象徴である。一人一人は最弱な生き物であっても、群れを成せばどんな強い王様をも倒すことができる。こうして民衆がキング(王)になるのだ。こうした革命理論によって民主主義は成立した。しかし、群衆による政治は衆愚政治をもたらしかねないため、群衆の力は人類が制御できない根源的な恐怖なのである。

ホイミスライムはエイリアン(外部者の意味)の元型である。それはSF小説の父であるH.G.ウェルズの『宇宙戦争』における宇宙人の姿を原型とする。タコ型の火星人の姿はこれをモデルにしている。ホイミスライムの上部はアダムスキー型UFO、下部の触手はキャトルミューティレーション(UFOから降り注ぐ光によって牛などが連れ去られる)にも投影される。こうした元型イメージが成立するのは、宇宙の外部者は上から下に救いの手を差し伸べるために無数の触手を伸ばす必要があるからである。その上から下へと伸びる無数の癒し(ホイミ)の手は、千手観音のそれと関連するだろう。すなわち、神による癒しは宇宙外から降り注ぐ救いの神の手(聖霊)によるのだ。それは傷口を癒す『風の谷のナウシカ』の王蟲の触手と同等である。したがって、ホイミスライムが空中に浮遊しているのは、まさにそれがエリアソン(外部者)の象徴だからであり、無意識のUFO的な元型であり、超越性に対する根源的な畏怖を表している。

ゴールデンスライムは金色のメダル型をしている。それは貨幣経済の持つ根源的な恐怖を表す。スライムは通常液状だが、経済は社会にとって血液のような流動性を持つので、メダル型の硬いスライムであってもスライムとして成立する。貨幣は人間が作り出したものだが、貨幣経済は人間の手で完全にコントロールすることができないものであり、経済的不況や世界恐慌を引き起こしかねない。そうした根源的な恐怖を象徴している。

スライムナイトは緑色のスライムの上に騎士が乗っている。これは原住民を支配する帝国支配に対する根源的な恐怖を表す。間接的には、スライムの緑色はアイルランドの大地を表し、騎士は『アーサー王物語』をルーツとするイングランド起源のヨーロッパの騎士道を表し、ケルト人を支配するイングランド、あるいはローマ帝国を象徴している。こうした帝国支配は人類にとって脅威であり、常に根源的な恐怖の対象である。

ぶちスライムは公式に「身体中にぶちも模様のあるスライムの仲間。過酷な環境にさらされて見た目によらず強く育った。昔は相当なワルだったがマブダチの説得でカタギになり家族の食いぶちを かせぐためぶちぶち言わず 働くように」とあるが、このぶちは奴隷の焼印や鞭で打たれたアザを象徴し、かつ不良やヤンキーの刺青やタトゥーを象徴する。彼らは普通のスライムより弱小である設定だから、より根本的な社会的弱者の象徴である。こうした貧困者やならず者たちは、ある意味で無敵な人になる恐れを有している。ぶちスライムはそうした根源的な恐怖を象徴している。

以上のように、さまざまなスライムは一つ一つは弱小とされながらも決して根絶やしにはできないものに対する人類の根源的な恐怖を象徴していることが理解できた。

弱者は不敵な笑みを浮かべる。絶望の先にはむしろ笑いがあるからである。笑いとは、生物にとって異常事態に遭遇した際の警報の解除を意味していると言われている。この異常な世界に絶望した人間はむしろこの異常な世界を俯瞰視して笑うしかなくなるのだ。よって、失うものをすべて亡くした弱者は、まさに無敵の人なのである。彼らは何をしでかすか分からない。弱者が持つこうした無敵さに対する根源的な恐怖をスライムの笑みは象徴していると言える。

人間のおぞましさの一つに、敵を非人間(=魔物)とみなすことで殺すことができてしまうというものがある。バルバロイ(野蛮人)とみなされ悪魔化された人間は、もはや人間扱いはされない。こうした人間が無意識に持っているバルバロイに対する敵意と恐れ、それこそがRPGのモンスターの正体である。モンスターは人間であってはならないのである。しかし、本当のモンスターは弱い心を持つ人間の内面にこそ存在しているのかも知れない。スライムはその投影物であり、彼らは最弱ながらモンスターの王者と言えるのではないだろうか。

ちなみに、代表的なスライムは他にマリーンスライムがいるが、これはただの海に生息するサザエであり、深みがないと思われるため考察から除外した。

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