カルト問題ースピリチュアリズムと科学、エビデンスとフェイクの溝



スピリチュアリズムでは、古代の神話が宇宙人に転化している。

チャネラーたちは宇宙人の出身の星の名前も特定しているのだから、その星を中心に調べたらいいものである。

生命はそんなに簡単に発生しないことはほぼ自明である。この宇宙の広さと言えども何度も起きることではない。では地球以外に宇宙人はいるのか。彼らの論理はこうだ。地球が初めての宇宙人ではない、ということ。

地球の前に、他の星で生命が発生していて、高度に知性を発達させた宇宙人が、他の星に生命の種を拡散してきたということ。

宇宙人は連合を作っており、地球人もその一員であり、だから宇宙人はコンタクトを取りに来るのだと。

古代の神話の神々や聖人(キリストやブッダなど)は、実は宇宙人だったのだ、と。

人間は宇宙人が労働させるために作ったという話は、メソポタミア神話がモデルになっている。

これは、ゼカリヤ・シッチンという人がメソポタミア神話をスピリチュアリズムに接合した。

19世紀後半から今にかけて西洋で発生したスピリチュアリズムは、西洋と東洋のスピリチュアルを融合し、霊性進化論を導入した神智学が源流で、それ以前にはなかった一定の特徴がある新しい宗教運動である。

スピリチュアリズムは、キリスト教に代替する宗教の復興を目指すニューソートという運動の一貫だった。

既存の宗教権威への懐疑と自由主義が生み出した潮流である。

現代社会とカルトの問題は超難問であり、技術の発達により、非常に難しい時代に突入している。

自由主義や民主主義の極地として、あらゆる権威に対する懐疑があり、エビデンスとフェイクの見分けがつかない、説得もできない、それにより社会や家庭が混乱する、人権問題が生じる、という状況になっている。

宗教問題は、本人だけの問題だけで済まないことが問題であり、特に子供などがパターナリックな被害に遭うケースが問題である。

また、マインドコントロールは本人の意志による信教の自由とは言えず、組織的な洗脳であるケースもあるという状況がある。

ニュース関連では、科学技術の発展や陰謀論により、情報の信憑性の見分けがつかないとか、フェイクやデマの拡散という問題もある。

スピリチュアリズムでは、松果体が宇宙人との霊的交信(チャネリング)をする身体的部位、第三の眼であるとする。松果体を肉体と精神の核(魂のありか)と考えたのは哲学者デカルトであった。

彼らはデカルトの観察ミスを未だに真実だと言い張っている。デカルトの功罪と言えばそうだが…。

松果体はメラトニンを生成し、概日リズム(体内時計)を調整する。

松果体は脳の中心部にある。そして松ぼっくりのような形をしているとされる。脳の断面図はホルスの右眼と似ているとか、古代の松ぼっくりのシンボルは松果体を指す、などと言って、松果体は第三の眼(第六チャクラ)に相当するのだ、と言っている。

松果体はちょうど、第六チャクラの位置にある。松果体は光を感じる部位でもある、だから第三の眼だと。

松果体を使って動物はテレパシーを行なっているなどとも言われた。鳥は松果体を使ってテレパシーを行なっているとか。

しかし、量子生物学によって、鳥の網膜は量子効果を使って地球の磁場を見ているから道に迷わない、ということが科学的に解明されてきている。

宇宙人から知恵を授かった超古代文明の人々が、オーパーツとして古代の遺跡にスピリチュアルな真実を刻み込んだと、彼らは考えている。

だから、ホルスの右眼や松ぼっくりのシンボルは、松果体という第三の眼を表している古代人の知恵なのだ、と。飛躍がいくつもある。 



古代エジプト人が脳を切断して観察し、ホルスの右眼の図案をデザインしたのかは知らないが、仮にそうだとしても、少なくともこれは松果体の図ではなく視床の図である。ここに松果体は一切描いていない。

古代エジプト人が第三の眼として松果体を信じていたのなら、松果体を描くべきである。少なくとも、そういう根拠としてホルスの右眼を持ってくるのならば、である。

また、プレアデス星団を構成する星々は太陽のような恒星であり、生命が住めるような星ではない。

1億3千万年前に生まれた星で、地球よりも若い。地球で生命が誕生したとされる年代(約35億年前)の方がはるかに古い。

すると彼らはこう言うだろう。プレアデス星団の周りに惑星があって、宇宙人はそちらに住んでいるのだと。さらに、プレアデスは最初の星ではなく、後から移住してきた星なのだと。

科学者は彼らを反駁はできない。どこまでここは変だよ、という証拠を出しても、逃げ道を作って逃げる。こちらは彼らが証拠だとするものを検証するが、彼らは証拠だとするものは、いつも証拠としては弱いアナロジーである。信じたい情報だけ集める確証バイアスが強くかかってる。

彼らにとっては証拠はそこまで重要でなく、厳密な証拠は求めていない。ただ信仰を補強してくれるものを探している。だから、何でも簡単に証拠にしてしまう。

信仰の自由と科学的正確さは不平等条約だ。信仰の自由は不確かなことでも証拠にしてもいいことになる。しかし、科学的正確さはその何倍も努力をして検証しなければならない。そしてやっと検証して証拠を提出しても、いとも簡単に否定され、逃げ道を作って逃げられ、また証拠でない証拠を突きつけてくる。この不毛ないたちごっこをしても、洗脳されて教団の餌食になった信者は救えない。そういう可能性もあるな、あったらいいな、くらいに思ってくれたらいいのに、証拠も弱いのに真理だと宣言する。これは嘘であって犯罪ではないのか?

プレアデス出身を名乗る宇宙人から交信があったとする。本人はそう思っている。こちらは、プレアデス星団には通常生物は住めないと伝える。するとプレアデスの惑星にいると言い出す。そう思うなら、生命が住める惑星を見つけてから言って欲しい。こちらはまたそれを検証しなければならない。チャネラーには、本当に交信があったから間違いなわけない、という前提がある。だとしても、その交信が妄想である可能性や、伝えてきた霊が嘘つきである可能性も同時に考えなければならないはずだ。でも、それは実在する正しい霊であることは疑わない。だから、プレアデスに生命が住めないなら、惑星があるかもしれないという思考になるのだ。

極端な科学主義者からすればそれは精神的な妄想になるし、キリスト教徒からすればそれは悪霊の仕業になるだろう。スピリチュアリストからすればそれは紛れもなく宇宙人との交信なのだ。

信仰には根拠はない。元々無根拠なのだ。だから、その相手に妥当性を示しても、「それってただの妥当性ですよね?」と言われておしまいだ。究極こういう話である。だったら無根拠に信じればよいのだが、根拠を探してきて、〜だから真理だ、とすると、途端に社会的迷惑に繋がる。そもそも、真理を検証するためにそれを述べているのではなく、信仰を補強したくて根拠ぽいものを並べ立てているだけだからだ。初めから検証する気も、きちんと対話する気もない。護教論とはそういものである。

この宗教と科学の溝は永遠に埋まらない。ここに人間への失望がある。

一度カルトに染まった人を説得的に救うことはできないことを意味するからだ。両親や配偶者や子供であっても…。

そして、自分もまたいつそうなるか分からないのである。

こうした事態になるのは、人間がリアリストのまま、ニュートラルのまま生き続けることがあまりに辛いからである。人間は知性をもった生き物であるがゆえに辛いし、知性を憎んでそれを失えば容易にカルトに取り込まれる。

はじめ、科学は信仰を探究し、確証する目的で生まれた。科学を追求すれば正しい信仰に至れると考えた。すでにある信仰を立証してくれるとも考えた。でもそれはキリスト教を擁護してくれなかった。だから宗教と科学は分離した。次いで、科学を追求すればキリスト教の代替となる新しい信仰に達するのではないかと考えた。しかし、そう甘くはなかった。科学的にどんなに証拠を提出しても、宗教はこれを妥当性だという理由だけで拒否できてしまうからだ。つまり、宗教と科学の溝は永遠に埋まらないということが分かってしまった。宗教と科学は共に発展するというわけではないことが分かってしまったのだ。

科学はあくまで生活上の技術的(物理操作的)なことを担当し、宗教は生活上の生き方や姿勢を担当する。こういうダブルスタンダードな論理になった。

「それってあなたの感想ですよね?」と「それってただの妥当性ですよね?」の溝はどう埋まるのか。知性主義と反知性主義の溝はどう埋まるのか。この対立は社会の混乱を招く。エビデンスとフェイクの溝は埋まらず、まさに対話不能状態なのである。

デマの拡散は宗教行為なら許される。それが信教の自由であり、人間の意識は外部から不可視であるがゆえに、詐欺師であっても法で守られるのである。



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