「おっとっと」の哲学
かつてユングは集合的無意識をとなえた。私たちは、みな無意識のうちに全人類的な集合的無意識によって突き動かされているのだと。だとすれば、ベストセラーになるような身近な商品には、我々を無意識に惹きつける元型やシンボルが潜んでいるのではないだろうか?ここでは、日本のお菓子の中に潜む集合的無意識を哲学的に考察してみた。(※遊び半分で読んでください)
以前、書いた「きのこの山」と「たけのこの里」「ねるねるねるね」と「たべっ子どうぶつ」に関する記事も参照されたい。
https://note.com/sandcake3/n/n9d27fc52afcd
https://note.com/sandcake3/n/ncc856108d960
今回は、「おっとっと」について考察してみた。
「おっとっとの哲学」
森永製菓の「おっとっと」は1982年に発売された。
「おっとっと」のキャラクターはクジラ(鯨野とと丸)である。飲み屋で社員が酒をこぼしそうになり、"おっとっと"と口をついたことから、このネーミングになったという。恐らくは、「とと」が"幼児"言葉で「魚」をイメージするからだろう。
クジラは、進化論的には海から陸に上がり、また海に戻っていった動物である。これは母なる海から生まれ、また海へ還って行くという、フロイト的な幼児退行の集合的無意識を表している。
このクジラ(とと丸)は、リアルなクジラというよりも、くじら雲のような丸くて小さな尾がある形をしており、色も上半分は夕日のように赤く、下半分は青い海のようである。また、白い海兵帽を被っている。
ここから、とと丸は太平洋戦争で沈没した日本軍の戦艦であり、かつ戦争で亡くなった兵士(英霊)たちの集合体を連想させる。とと丸の形は霊魂の形の表象なのである。また、とと丸やパッケージの赤い空と海の青からは、一つの時代の夕暮れと新たな時代の幕開けの両面性、戦火と大和魂の炎の両面性といった表象も重ねられている。
クジラといえば、日本では、海に漂着したクジラの死体は、日本神話のえびす様と同一視され、寄り神として崇められた。寄り神が漂着すると、大漁が訪れるというのである。
実際、日本は戦争に負けた後、皮肉にも高度経済成長(1955〜1972年)を遂げた。そして、「おっとっと」が発売されたのは1982年で、まさに日本経済がバブル(海の泡、1986〜1991年)に突入しようとしていた時期なのである。
すなわち、英霊の魂の集合体は寄り神なのである。この高度経済成長は寄り神がもたらした大漁を表しており、この大漁は「おっとっと」のパッケージの中に多種多様な海の生物たちのクラッカーが詰まっていることによって表現されている。
同時に、クラッカーの中身は空洞でスカスカだから、手にした大漁(富)はバブル(海の泡)のようであるという暗示も受け取れるのである。
したがって、「おっとっと」は、私たち日本人は多くの英霊たちの犠牲の上に築かれた高度経済成長の恩恵を受けているということを無意識に自覚し、それを悼み懐かしんでおり、そのノスタルジー的な幼児退行願望とコンプレックスが無意識に投影されたものだと言えよう。
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