太平洋戦争(または大東亜戦争)の歴史
1941年12月8日〜1945年8月15日
時の支配者
・天皇 昭和天皇
・首相 東条英機
・外相 松岡洋右
・大本営(陸軍・海軍の最高司令部)
・海軍大将 山本五十六
・米大統領 ルーズベルト
・英首相 チャーチル
・ソ連 スターリン
・中国 蒋介石
◎背景
ソ連の南下を警戒していたアメリカは、「日露戦争」(1904年)においては日本に友好的であった。しかし、日本が日露戦争に勝利したとたんアメリカは日本を警戒しはじめた。アメリカは日露戦争で日本が獲得した満州鉄道を共同開発しようと勧めてきたが、日本がこれを拒否したからである。1937年、「日中戦争」が起きた時点ではアメリカはまだ中立を保っていた。しかし、1938年、近衛首相が「大東亜共栄圏」のスローガンを打ち出し、アジアを統合した経済圏を作ろうと述べたことで、アメリカは日本に経済制裁をしかけ、中国を支援しはじめる。石油資源を奪われれば、日中戦争に勝てるわけもない。孤立した日本は、1940年、ドイツとイタリアと手を組み「日独伊三国同盟」に加盟する。これに対し、アメリカと連合国は、「ABCD包囲網」(米・英・中国・オランダ)によって、日本への経済封鎖を強化した。1941年11月、アメリカは日本へ「ハル・ノート」を提出。その内容は、日独伊の同盟破棄、満州支配からの撤退などであった。この無理な要求を、10月に首相となった東条英機は拒否し、真珠湾にてアメリカ海軍に攻撃をしかける。これは、アメリカの威嚇を挫く目的だった。また、同時に、自らの力で石油資源と石油の輸送ルート(シーレーン)を確保するため、「南方作戦」を実行に移す。大義名分としては「大東亜共栄圏」、英米支配の経済体制からのアジアの独立を掲げた。追い込まれた日本、資源や生産力に限界がある日本がアメリカに勝利するためには、短期決戦において勝利するしかなかった。しかし…真珠湾攻撃によってアメリカはかえって激怒する。日本軍は半年間は快勝を続けるものの、戦争が長期化するにつれて、日本側の物資は尽きてくる。一方、アメリカの対日本軍の研究や武器の生産は日本を追い抜いて行き、ミッドウェー海戦をターニングポイントに日本はアメリカに対して劣勢となってゆく…。それでも日本は戦争をやめることができず、太平洋戦争は泥沼化してゆく。
◎1941年(昭和16年)
●12月8日 日本軍、マレー半島(イギリス領)に上陸
●12月8日 真珠湾攻撃(ハワイ・オワフ島奇襲)
・山本五十六による立案。
・米太平洋艦隊4隻を撃沈。しかし、主力空母を撃ち損ねた。
・日本軍の宣戦布告の送信が遅れたため、奇襲攻撃となってしまった。
・アメリカでリメンバーパールハーバーの気運が加熱する。
●12月10日 マレー沖海戦(イギリス領)
・日本軍、ルソン島、グアム島に上陸。
・米艦プリンスオブウェールズ撃沈<勝利>
●12月16日 ボルネオ上陸(イギリス領)
●12月23日 ウェーク島上陸
●12月25日 香港占領(イギリス領)
◎1942年(昭和17年)
●1月2日 マニラ占領(アメリカ領)
●1月11日 セレベス島上陸
●1月23日 ラバウルに上陸開始
●2月4日 ジャワ沖海戦(オランダ領)
・南方資源の獲得が目的。
●2月20日 バリ島沖海戦(オランダ領)
●2月27日 スラバヤ沖海戦(オランダ領)
●3月1日 バタビア沖海戦(オランダ領)
●2月15日 シンガポール占領(イギリス領)
・指揮官山下奉文中将(マレーの虎)
・「華僑虐殺事件」…占領後、シンガポール在住の中国人を反日分子とみなして虐殺した。
●3月 アメリカで、在米の日系人(11万人ほど)が強制収容される
●4月5日 セイロン島沖海戦(イギリス領)
●4月18日 米軍日本初空襲(ドーリットル空襲)
・アーノルド・キング・ドーリトル
・4月2日 空母ホーネットがサンフランシスコを出港
・B‐25爆撃機(16機)による軍事施設への空襲(東京・川崎・横須賀・名古屋・四日市・神戸)
・爆撃機はウラジオストックと上海に着陸
・これを受けて日本軍は、太平洋側からの攻撃に備えて、「太平洋作戦」を加速させる。
●5月7日 珊瑚海海戦(ソロモン諸島南方)
・日本軍はポートモレスビーを目指すが、米軍の空母に食い止められる。
・日米の機動部隊が初めて衝突する。空母VS空母。
・日本軍、空母2隻(祥鳳・翔鶴)が破壊、米軍2隻(レキシントン・ヨークタウン)が破壊される。引き分け。
・日本軍の侵攻が初めて食い止められる。
●5月10日 バターン半島(アメリカ領)
・3月12日、に極東陸軍司令官マッカーサーは、「アイ・シャル・リターン」の言葉を残し、フィリピンを脱出する。
・「バターン死の行進」では、米軍の捕虜が収容所まで60キロの道を強制的に歩かされた。
●6月5日 ミッドウェー海戦
・4月18日に起きた空襲の拠点地であったミッドウェーを奪う目的。
・日本軍の作戦は、①まず主力空母(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)が密かにミッドウェー基地を空襲し、②後続の攻略部隊が上陸して占領、③ハワイ真珠湾から米軍空母を誘い出し、これを壊滅させる、というものだった。
・作戦の頭上演習において、日本軍は劣勢の結果となったが、日本軍は作戦を続行した。
・だが、ハワイの米太平洋艦隊司令部は事前に日本軍の暗号を解読し、「AF」をミッドウェーと特定していた。
・米軍は日本軍の想定外の奇襲攻撃を受け、日本軍は主力空母4隻を失い大敗北するが、この敗戦を大本営は報道しなかった。この敗北がターニングポイントとなり、日本軍は劣勢となってゆく。
●6月7日 日本軍、アリューシャン列島侵攻
・アッツ島、キスカ島
○7月6日~11月12日 ガダルカナル島侵攻
●7月6日 日本軍上陸。米・オーストラリアの連絡を遮断する目的で、飛行場を建設する。
●8月7日 米軍上陸、飛行場占拠される。ヘンダーソン飛行場と改名。
●8月8、9日 第一次ソロモン海戦
・日本軍が反撃に出るも、陸軍は敗北。
●8月23日 第二次ソロモン海戦
●10月26日 南太平洋海戦
・米空母3隻撃破するも、米軍が日本物資輸送船を破壊したため、食料不足に陥る。
●11月12日 第三次ソロモン海戦
・ラバウル補給切れる。3万人戦死。日本軍ガダルカナルを撤退する。
◎1943年(昭和18年)
●3月27日 アッツ島沖海戦(アリューシャン列島)
・日本軍のアッツ島への物資輸送を阻止するため、米軍が攻撃をしかける。
●4月18日 山本五十六戦死
・4月3日、山本五十六長官は、ラバウルに上陸する。ラバウルを出発し、ブーゲンベルト(パプアニューギニア)を目指すが、米P‐38戦闘機(16機)の出撃を受けて、山本長官機は撃墜される。戦死。6月5日、国葬される。
●5月29日 アッツ島守備隊玉砕
・アッツ島に上陸した米軍により日本軍2600人戦死。大本営は「玉砕」という言葉を初めて使用し報道した。
・アッツ島を失ったため、キスカ島の守備隊は脱出・撤退する。
●8月 朝鮮半島に徴兵制を施行する。
●9月8日 イタリア降伏
●9月30日 日本軍、「絶対国防圏」を設定する。
●10月21日 学徒出陣
●11月5、6日 大東亜会議が東京で開催される。
・参加国(日本、満州、中華民国、フィリピン、ビルマ、タイ、インド)
・大東亜共同宣言を発表。
⚫︎11月 カイロ宣言
・ルーズベルト・チャーチル・蒋介石により、対日戦の徹底遂行を宣言する。
●12月、連合軍、日本打倒総合計画を立てる。アーノルド中佐が民間人への空襲計画を立てる。これにより、長距離爆撃機が必要となり、ボーイング社のB‐29爆撃機(スーパーフォートレス)が生産される。翌年4月、アメリカは中国に基地を設置し、B‐29が到着。6月、米軍は、北九州・満州に初の本土空襲を行う。しかし、日本軍が中国基地を破壊したため、空襲の拠点地をサイパンに移転する。
◎1944年(昭和19年)
●3月8日 インパール作戦開始(ビルマ)
・牟田口(むたぐち)司令官、日本+インド軍VS英軍
・連合軍が中国への支援に使った「援蒋ルート」遮断が目的。
・日本軍は物資不足に陥ったが、英軍は連合軍からの空からの救援物資により持ちこたえる。ついにビルマ軍も寝返り、7月、インパール作戦中止。
●6月15日 米軍、サイパン島に上陸。日本街を破壊する。
●6月16日 米、日本の街を初空襲
・B-29(75機)、福岡の八幡製鉄所とその周辺都市を爆撃。死者270名以上。
●6月19日 マリアナ沖海戦
・アメリカの新兵器、MARK12(最新レーダー)とマジックヒューズ(目標に近づくと爆発する)により、日本機動部隊はほぼ全滅する。
●7月9日 サイパン島守備隊玉砕
・兵士4万人、住民1万人の犠牲者。住民の崖(バンザイクリフ)からの飛び降り自殺が相次ぐ。
・サイパンが奪われたことにより、日本の本土空襲が決定的となる。→集団疎開がはじまる。
●7月18日 東条英機内閣が倒れる。小磯内閣成立。
●8月11日 グアム島守備隊玉砕
●10月23日 フィリピン、レイテ島沖海戦
・10月20日、マッカーサーがレイテ島に上陸する。
・戦艦、大和と武蔵。「神風特攻隊」が初出撃する。
・米軍によるフィリピン占拠、レイテ島→ルソン島→ミンダナオ島→ビサヤ諸島
・日本の連合艦隊は壊滅する。
◎1945年(昭和20年)
●2月4日 ヤルタ会談
・米(ルーズベルト)・英(チャーチル)・ソ連(スターリン)の密約。
・ドイツ降伏後の戦後処理、国際連合の設立、ソ連の対日参戦についてなどを協議した。
●2月19日 米軍、硫黄島上陸(小笠原諸島)
・日米の中間地点に飛行場を確保する目的。
・マリアナ諸島からのB29の空襲と、米軍の上陸により、3月26日、日本軍全滅。
●3月10日 東京大空襲
・AM0時8分、B‐29による無差別爆撃、死者10万人以上。1700トンの焼夷弾。
・東京に加え、名古屋、神戸、大阪、京都、神奈川の主要都市、地方都市も連日空襲を受ける。
●3月26日 硫黄島守備隊玉砕
●4月1日 米軍、沖縄本島上陸
・3月26日、米軍はまずケルマ諸島に上陸。
・4月1日、沖縄本当上陸開始。民間人を巻添えにするゲリラ戦となる。
・4月6日、戦艦大和、沖縄に出撃するも、一発も砲弾を放つことなく一日で沈没。
・鉄血勤皇隊(男子学生)や、ひめゆり部隊(女子学生)が戦争に参加させられる。
・住民は洞窟へ避難する。集団自決。神風特攻隊。
・6月23日、陸軍大将牛島満自決、沖縄戦終了。
・死者20万人。
●5月7日 ドイツ降伏。
●7月26日 米英中、「ポツダム宣言」により日本に無条件降伏を勧告。日本軍、これを黙殺。
●8月6日 広島原爆投下
・アメリカは、ヤルタ会談で、ソ連はドイツの降伏から3カ月以内に日本に参戦することを極秘に合意していたため、ソ連参戦前に日本と決着をつけて、大戦後にソ連に優位に立ちたかった。また、原子爆弾の実験をしたかった。そのため、原爆投下を急いだ。
・マリアナ沖・テニアン基地より、原爆搭載機エノラ・ゲイが出発
・午前8時15分投下、死者20万人以上
・ウラン型原子爆弾リトルボーイ
●8月8日 ソ連参戦。
・ソ連、日ソ中立条約を破棄し参戦。サハリン(樺太)・千島列島(北方領土)・満州国を占領。
●8月9日 長崎原爆投下
・午前11時2分投下、死者7万人以上
・プルトニウム型原子爆弾ファットマン
●8月14日 日本、ポツダム宣言受諾。無条件降伏する。
●8月15日 昭和天皇による玉音放送(終戦)
●8月30日 マッカーサー(GHQ)が厚木基地へ上陸。
●9月2日 降伏文書調印式
・東京で、米ミズーリ艦上にて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?