自分を信じるとはどういうことを意味するかースピリチュアル否定者への警句ー


自分を信じると言う人たちへ。なぜ自分を信じられるのですか?

他人のことは分からないから自分を信じるのだ、と。

つまり、自分の判断力を信じる"しかない"から信じるという消極的な感じなのでしょうか?

ある程度、自分の論理的思考を信じているならば、自分の論理や感覚こそが信じるに足り得ないことが分かるはずです。

もし、信じる根拠がないことこそが信じられることなら何も信じない方が自分に忠実なのではないでしょうか?

自分の信念には何の根拠もないけど、自分を信じるしかないから信じる、と言うのは、実のところスピリチュアルと同じですよね。

正解は何も分からないのに自分の判断を信じるんだから、やはりスピリチュアルだと思うのです。

自分を信じる人たちはスピリチュアルと同じ思考をしているのに、なんでスピリチュアルを否定するのでしょうか?

スピリチュアルな信念がなければ、人は何も判断し行動できないのですよ?ならば、人間が生きるにはスピリチュアルが必要だということではないですか?

むしろ、何も分からないという不安定な状態にとどまることが、一番自分に忠実な態度なのではないでしょうか?そしてそれがスピリチュアルの根源である。

つまり、何も分からないという不安定な状態にとどまることこそが自分を信じるということなんですよ。それ以外の信念は自分以外の何かを信じてしまっている。

何も分からないという不安定な状態にとどまるのが恐怖だから、人は神や仏や科学などを信じるんですよ。それは自分に忠実でいる強さがないからです。

何も分からない状態にとどまる人は弱いと言われがちです。しかし、そういう人の方が自分に忠実であるという意味では強いと言える。

だから、安易に自分を信じているなんて言わない方がいいと思う。大抵の人は自分以外の何かを信じてしまっているし、それこそ大抵の人は偶像的にスピリチュアルを信じているのだから。

いさぎよく弱さを認めるならば、何かにすがって生きるのも一つの人生でしょう。自分の弱さを認める強さというのもあるからです。

しかし、自分を信じると言う人たちへ。本当にあなたは自分を信じる覚悟がありますか?それは易しい道でも幸せな道でもないです。自分は本当のところ何を信じているのか?自分の胸に問いかけてみてください。

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