七つの教会

◆七つの教会(宛先)
①エフェソス
②スミュルナ(イズミール)
③ペルガモン(ベルガマ)
④テュアテイラ(アクヒサル)
⑤サルデイス(サルト)
⑥フィラデルフィア(アラシェヒル)
⑦ラオディケイア(デニズリ)


◆エフェソス
・エフェソスの語源はアパソスから由来。アルテミス女神を崇拝した女族アマゾンの女王アパソスの名はアパサス(蜜蜂)に由来する。またアルザワ王国の都市はアパサである。エフェソスの貨幣には蜜蜂が描かれ、女神像の多数の胸は巣から顔を出す蜂の子とも言われる。エフェソスのシンボルは蜜蜂である。
・ヒッタイト時代のアルザワ王国の都市アパサはエフェソスと同定される。
・前10世紀 イオニア人によって建てられた。
・アルテミス神殿
 エフェソスは小アジアにおけるアルテミス崇拝の中心都市であった。アナトリアで崇拝された女神クババが、フリギアで崇拝されたキュベレーと習合され、さらにギリシャのアルテミスと習合された。
 前7世紀洪水によって破壊され、前550年頃に再建される。356年に放火により再び破壊され、前323年から再建が始まった。
 アルテミス女神像は胸部に多数の卵型の飾りを持ち、ギリシャのアルテミスとは異質であり、豊穣や多産の女神とされる。
・前3世紀 大劇場
 ヘレニズム時代に建設される。収容人数2万4千人。クラウディウス帝(41‐54年)が始めた拡張工事がトラヤヌス帝(98‐117年)の時代に完成した。
・前2世紀 ヴァリウスの浴場
 温度の異なる3つの浴室や、マッサージ室、図書室、サロン、トイレなどを完備
・前1世紀 国営アゴラ(上のアゴラ)と商業アゴラ(下のアゴラ)
・1世紀 公衆トイレ
・前33年 マルクス・アントニウスがクレオパトラと共に滞在した。
・前27年 ローマ初代皇帝アウグストゥスはエフェソスをアジア属州の首府とした。
・セルシウス図書館
 110年代建設開始、135年に完成。セルシウスの墓所を覆う建物として息子が建設した。177年に図書館が開設された。1万2千冊の蔵書を誇った。当時、アレキサンドリア、ぺルガモンに次ぐ世界第三の図書館だった。
・52年頃 使徒パウロは第二回宣教旅行の際、アクラとプリスキラを伴いエフェソスに来訪した。ユダヤの会堂でユダヤ人と論じた後、長期滞在することなく立ち去った。アクラとプリスキラはエフェソスに残り、ヨハネの洗礼しか知らなかったアポロに伝道した。
・53‐55年頃 使徒パウロはエフェソスに長期滞在する。3ヵ月間ユダヤの会堂で説教するが、その後は【ティラノの講堂】(哲学者ティラノの教室か?未発掘)で2年間説教した。パウロは悪霊から病人を癒す奇跡を行った。ユダヤ教徒もその真似をしたが失敗した。このことでキリスト教が広まった。それでエフェソスの多くの信者は自分の魔術の本を焼き払った。【アルテミス神殿】の銀製の模型を売っていたデメテリオは暴動を引き起こした。人々はガイオとアリスタルコを【大劇場】へ引きずり出した。パウロは入場を止められる。記録官が暴動を鎮めて一件落着する。その後パウロはエフェソスを去るが、ミレトスからエフェソスに使いを送り、エフェソスの長老たちを励ました。
・ドミティアヌス神殿
 ドミティアヌス帝(61-96)はエフェソスに最初にネオコロス(皇帝神殿所有の都市)に指定した。彼のために建てられた神殿。
・62年頃 伝承では使徒パウロがローマの獄中から『エフェソス書簡』を書き送った。
・100~150年 小劇場(オデオン)建設。音楽堂で政治集会にも用いられた。収容人数1400人。
・102~104年 トラヤヌスの泉
トラヤヌス皇帝に捧げられた泉。
・145年 ハドリアヌス神殿
・263年 ゴート族によって破壊される。
・4世紀 聖母マリアの家 
 ドイツの修道女カタリナ・エンメリックが聖母マリアが住んでいた家の場所を示す幻視を見る。これを元に調査したところ、1891年に遺跡が発見される。ローマ法王庁は1951年にこの地を聖地として認めた。
・431年 エフェソス公会議主催地(ネストリオス派異端宣告)
・449年 エフェソス強盗会議(単性説が正統とされる)


◆スミュルナ(イズミール)
・スミュルナは「没薬」を意味する。
・前1000年頃、アイオリス人によって建設される。後にイオニア人が定住する。
・前580年にリュディアの攻撃によって破壊される。
・前4世紀にギリシャ人によって建てられたアゴラは、前178年の地震によって破壊されたが、ローマ時代にマルクス・アウレリウス・アントニウス帝(121-180)によって再建された。アゴラはパゴス山の麓に建設され、古代都市の商業、司法、政治の中心地だった。
・パゴス山にはアクロポリスが建設された。斜面にはゼウス・アクライオス神殿があった。アクライオスは「丘に住む」という意味。
・前290年にリュシマコスが再建する。
・前195年にはローマの女神の神殿が存在した。
・前133年にローマのアジア州に組み込まれる。
・26年、ティベリウス帝はスミュルナに最初の皇帝の神殿を建てる特権を与えた。
・エフェソスとペルガモンで「アジア第一の都市」の称号を争う。
・ポリュカルポスはこの地で殉教した。
・詩人ホメロスの出身地。

◆ペルガモン(ベルガマ)
・アクロポリス遺跡は335メートルの丘の上にあり、上市、中市、下市があった。上市には宮殿、トラヤヌス神殿、アテナ神殿、円形劇場、ゼウスの大祭壇、アゴラ、図書館などの遺跡がある。
・前282‐133年 アッタロス朝ペルガモン(ペルガモン王国)の首都
・前133年 エウメネス2世はペルガモン王国をローマに遺贈する。
・前129年 ローマ帝国のアジア属州となる。
・17年 大地震で被害を受ける。
・前4‐後4世紀 アスクレピオン
 医療の神アスクレピオスにちなんで名付けられた世界最古の総合病院。精神的な治療が主で、マッサージ、水浴、薬草などを用いて治療した。劇場も隣接する。
・前250-200年 円形劇場(アンフィテアトル)
 丘の斜面を利用して建設された。収容人数1万人。
・前220-159年 ペルガモン図書館
 エウメネス2世(前197-159年)が建設。20万巻の蔵書を誇る。当時エジプトのアレクサンドリア図書館に次ぐ蔵書数を誇った。4つの部屋があり、外壁と本棚の壁の間に隙間を作り二重壁にすることで空気循環を良くして本を湿気から守る構造で作られた。3メートルほどのアテナ像が立っていた。アテナ神殿は図書館の隣にある。
・前2世紀 デュオニソス神殿
 劇場のそばに建てられた。
・アテナ神殿
・2世紀中頃 トラヤヌス神殿
 トラヤヌス帝(98-117)の治世時に勅許を得て建設を始め、ハドリアヌス帝(117-138)の時代に完成した。
・前180‐170年頃 ゼウスの大祭壇
 エウメネス2世が宿敵ガラテア人との戦いの勝利をゼウスとアテナに捧げた祭壇。未完成。コの字型の祭壇の壁には神々と巨人族の戦いが彫刻で描かれている。黙示録2:13の「サタンの王座」であるとの解釈もある。
・羊皮紙(英語のparchment(パーチメント)はペルガモンが由来)の発祥地。エジプトからパピルス紙を輸入していたが、エジプト側が図書館の蔵書数の世界一の地位を脅かされようになると輸出を止めた。これにより紙が不足し、羊皮紙が発明された。
・「ペルガモン博物館」はドイツのベルリンにある。ペルガモンのゼウスの大祭壇、ミレトスの市場門、バビロンのイシュタル門などが展示されている。


◆テュアテイラ(アクヒサル)(娘)
・前290年、ペロピアという古代ギリシャの都市だった。
・セレウコス1世(前358-前281)によりテュアテイラ(娘)と名付けられた。敵の侵入を食い止める駐屯地として用いられた。
・兵士たちはリュデア地方の太陽神テュリムノスを町の守護神として崇拝し、神殿があった。ギリシャ神話のアポロンと習合した。
・前190年、セレウコス朝滅亡後は一時ペルガモン王国に所属していた。
・前133年、ローマ帝国の統治下に入る。
・比較的小さな平凡な町。発掘された遺跡も小さい。
・紫布の貿易の中心地だった。
・同業組合(ギルド)が発達していた。発掘された碑文によれば、ウールの労働者、リネンの労働者、外衣のメーカー、染色屋、革職人、製革業者、陶芸家、パン屋、奴隷のディーラー、青銅細工師などのギルドがあったとされる。
・50年、パウロがマケドニアのフィリピに伝道した時に最初に信徒になったのは、テュアテイラ出身の紫布の商人リュディア(ルデア)だった。
・黙示録によれば、テュアテイラの教会には預言者を自称するイゼベルが居た。一説では、生計を立てるためにはギルドに加入する必要があるが、それにより偶像崇拝や不道徳に巻き込まれる危険があった。イゼベルはギルド加入を容認したと推察される。


◆サルデイス(サルト)
・前7世紀、古代リュディア王国(世界初貨幣を鋳造した王国)の首都だった。
・トモロス山(Tmolos)の麓、ヘルモス川(Hermos)の流域にある。砂金が産出されるパクトロス川(Pactolus)が都市に流れていた。現在はサルト(Sart)という村である。
・パクトロス川では琥珀金(エレクトラム:主に金と銀の天然合金)が豊富に産出された。前670年頃、この砂金でリュディア王国は世界初の鋳造貨幣(エレクトロン貨)を発明した。
・パクトロス川にはミダス王(前8世紀のフリュギアの王)の伝説が残っている。ミダス王は酒神ディオニュソスに、自分の身体に触れるものはすべて黄金になるという願いを適えてもらった。しかし、口に触れるもの、抱きしめるもの、自分の娘まで、すべてが黄金になってしまうので、ミダス王はディオニュソスに元に戻して欲しいと懇願した。そこでディオニュソスは、王にパクトロス川で身を清めるように指示した。王が身を清めると、触れるものすべてが黄金になる力はパクトロス川に譲られた。こうしてパクトロス川は砂金を産出するようになった。
・前547年、リュディア王国の最後の王クロイソス(560‐547)は、アケメネス朝ペルシアのキュロス王に征服され、サルデイスは陥落、王は捕虜となり、リュディア王国は滅亡した。ヘロドトスの『歴史』には、この時のことが書かれている。要約すると、『アクロポリスを包囲したペルシア軍はどうやって攻めるか考え込んでいた。ある時、城内にいたリュディアの兵士はヘルメットを断崖の下に落とし、岩の割れ目を足場を使ってヘルメットを取り、また戻っていった。この様子を見ていたペルシアの兵士は、夜間にその足場をたどって城内に攻め込んだ。リュディアの夜警は居眠りしていたため戦いに敗れた』。
・ペルシア帝国時代、サルデイスは都ペルセポリスから発する「王の道」の終着駅だった。
・イオニアの反乱(前499‐前493)は、ペルシア帝国の支配に対するイオニア地方の反乱である。ペルシア帝国に忠誠を誓うミレトスの僭主アリスタゴラスは、西部開拓のために赴いたナクソス遠征に失敗すると、失脚を恐れて態度を一変させ、ミレトスを中心とするイオニア地方の諸都市を扇動して、ペルシア帝国に対する反乱を呼びかけた。エーゲ海沿岸部のアテナイとエレトリアは救援軍を派遣した(スパルタは救援を断った)。前498年、救援軍とエフェソスで合流した反乱軍は、サルデイスに侵攻して都市を焼き払った。
・前493年、ペルシア軍はサルデイスの【キュベレー神殿】を焼き討ちした報復との大義名分で、反乱に加わったアナトリアの諸都市は破壊され、ミレトスは陥落し、人々はスサに連れ去れた。
・前334年、ペルシア帝国はアレキサンダー大王に征服される。彼の死後、その王国は4つに分割され、セレウコス朝はサルデイスを行政の中心地とした。
・前214年、アンティオコス大王に征服される。
・前3世紀、【アルテミス神殿】の建設が始まり、何世紀にもわたって建設が続いた。神殿の西側に前5世紀の古い祭壇が残っている。ゼウスとローマ皇帝の崇拝もここで行われた可能性もある。現在は二本の柱が残っている。神殿に隣接して4世紀のキリスト教会の遺構も残っている。
・前190年、ローマのアジア州の一部になる。
・17年の大地震により都市は破壊されたが、ティベリウス帝は5年間の税金の免除をし、この援助により都市は再建された。
・北側の別の遺構では、復元された【ギムナシオン】(古代のトレーニング・ジム、体育館)のファサード(建物正面のこと)がある。西側にはユダヤ人の【シナゴーグ】があり、ギムナシオンの背後には【公衆浴場】(2世紀半ば)がある。ギムナシオン、シナゴーグ、公衆浴場の複合施設だったのである。また、現在の幹線道路に沿って古代ローマの街道の石畳が残っており、その道沿いに商店街の跡も残っている。
・シナゴーグは230‐250年に建設され、4世紀に改築され、616年まで使用された。多数のモザイクの床(4世紀のもの)が残っている。また80以上のギリシア碑文、7つのヘブライ語の碑文が残っている。ユダヤ人はローマの市民行政の議席を持っていた。
・ローマ帝国時代、サルデイスには、プロコンスル(執政官代理:属州総督)の総督府があった。
・ローマ時代には、毛織物、染色業、金細工などで栄えていた。


◆フィラデルフィア(アラシェヒル)(兄弟愛)
・前189年、アッタロス朝ペルガモン王国の王、エウメネス2世により建設された。弟アッタロス3世への友愛から「彼の兄弟」を意味するフィラデルフォスというあだ名を付け、それが兄弟愛を意味する都市の名前の由来となった。
・前133年、アッタロス3世はペルガモン王国をローマに遺贈する。
・前129年、ローマ帝国のアジア属州に組み込まれる。
・17年、大地震が起きる。アウグスティヌスは税を免税する。
・600年頃、聖ヨハネ教会が建てられ、現在遺跡の柱部分が残っている。


◆ラオディケイア(デニズリ)
メアンデル川(ミアンダー川)の支流リュコス川(ルーカス川)に面する。現在のデニズリ県内にある。デニズリ(Denisli)の遺跡には、ルュコスのラオディケイア(Laodikeia)遺跡、ヒエラポリス(Hierapolis)遺跡、コロサイ(Colossae)遺跡などがあり、ネクロポリス(巨大な墓地)を形成していた。
・前3世紀半ば、アンティオコス2世(前261-246)がディオスポリスと呼ばれた町を、自分の妻ラオディケにちなんで名付けた。
・アンティオコス3世(前223-187)は2000人のユダヤ人をバビロニアからフリュギアとリュディア地方に移住させた。前62年には推定5万人のユダヤ人がいた。
・前188年、ペルガモン王国に渡された。
・前133年、ローマの支配下に入った。
・黒い羊毛、大理石の貿易、金融業、綿花栽培により裕福だった。
・17年、60年、大地震が起こり、都市は破壊される。ネロ帝国は再建の援助を申し出たが、皇帝の援助を受けず自費で直した。
・医療学校があり、郊外のアットゥダ(デニズリ)の町で生産された「フリュギアの粉末」(目薬)も知られていた。
・80年、伝承では使徒フィリポはヒエラポリスで二人の娘と共に殉教した。
・84、85年 シリア通りの建設。西のエフェソスと東のシリアを結ぶ幹線道路。通りの端は屋根付きで店が立ち並んだ。
・ヒエラポリスには、パムッカレ(Pamukkale)という石灰棚プールがある。温泉に含まれる石灰が沈澱して純白の棚田のような美しい景観を形成している。現在は温泉水が減少して大部分が干からびている。ヒエラポリスは「聖なる都市」、パムッカレは「綿の宮城」という意味。
・ラオディケイアは二つの町から水道橋によって水を引いてきた。ヒエラポリスからは温泉の温水を、コロサイからは川の雪解け水の冷水を。ラオディケイアまで到着する頃にはぬるま湯となったかも知れない。
・コロサイやヒエラポリスの近くにある(コロサイ4:16)。
・コロサイ書によれば、パウロはラオディケイアへの書簡も書かれたが現存しない(コロサイ4:16)。エフェソス書は本当はラオディケイアへの書簡ではないかとも言われている。
・ラオディケイア遺跡からはシリア通り、神殿A、アゴラ、二つの劇場、競技場、最古の教会などが発掘されている。
・4世紀の小アジア最古の教会遺跡が発掘されている。

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