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ぶっ飛び広報ってなんだ?



広報部の岩田梨恵子です。

編集長が私の顔を見る度にしつこく
「noteの記事書いてよ」
と言ってくるので困っています。

私は働く2児の母です。
毎朝、子供たちを送り出して、せっせと仕事をして、子供を迎えにいって、帰宅して洗濯をして掃除をして食事を作って子供をお風呂に入れてママ友とLINEしてネトフリ観て発言小町見てふらふらになって布団に飛び込んで……って、
いまどこに「noteの記事を書く」という言葉を差し挟む余地がありましたか?

私、noteを読むのは大好きですが、
すみません、noteを書く余裕はないのですね。

だから
ああ、はい、いずれ、また、しかるべきときにと、
丁重に言葉を濁していたところ、
ふいに編集長が
「“ぶっ飛び広報”について書いてよ」
なんて言うものですから、

ああ

私の中で渦巻いていた黒いものが、
神聖なるnoteという舞台に
ドボドボとこぼれだしてきちゃったじゃないですか。

ぶっ飛び広報ねえ…。


たしかに、
我が社はこれまで、
とても書籍の売上につながるとは思えないような、
奇想天外なプロモーションを数多くおこなってきました。


これらは、私がまだ2児の母ではなく、
独身だったり、結婚間もないころの話です。


初対面の書店員さんたち(みなさん自腹)と、
初めましてからのスカイダイビングをしてみたり…
(私は無理で、部下と営業と編集長に行かせた)

スカイダイビング

まるで空軍時代の戦友のようだが、全員出版関係者である





新刊を、カレー屋さんとか、定食屋さんとか、薬局とか、漢方のお店とかに頭を下げて陳列してもらったり…
(合成写真ではありません)

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『思考をやわらかくする授業』本田直之著 
もう、おわかりいただけただろうか?




池袋サンシャインシティの展望台で、
カジノ設備を持ち込み、プロのディーラーとバニーガールたちを雇って、
読者と一緒に遊んだり…

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写真はイメージ。でも実際は夜景のパノラマもありもっとゴージャスでした



皇居の周辺で、マラソンガチ勢たちと無謀な駅伝をしたり…

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日頃の運動不足が祟り、スタッフからは棄権者が続出した



渋谷の駅前でラッピングバスもどきをやってみたり…


メイクバス

一重まぶたの通行人を捕まえて、バスの中でメイクを施すというPR
いまだったら炎上ギリギリかもしれない






年賀状を使って社員対抗レースを開催したり…

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金ダライが頭上に落ちるギリギリをどこまで狙うかを競うレース
1位2位の的中者には松阪牛のプレゼントがあった



他にも、年賀状ネタは「ふわふわスリッパ履いて、ぐるぐるバットの後に徒競走inつるつる滑る体育館」「頭に巨大な筆をつけて、寒中、素っ裸で人間書き初め」などあった。控え目に言ってブラック企業だな!!




江ノ島の海の家を借り切って、読者たちと豚の丸焼き、流しそうめん、砂のお城などを興じたり…

海の家イベント3

結果、テラスハウスに出演していそうな日焼け美男美女が多く集まり、
本来、主催側であるはずの弊社スタッフたちは完全に浮いていた。




まあ、いろいろやった。

とにかくやった。

本が1冊出るたびに、なんかやった。

数え上げたらきりがありません。


(ねえ? 遊び心のある会社でしょ?)


という自慢が、微塵も無いかといえばウソになります。



しかし、一つだけ言わせていただきたい。

いったい誰得だったのかと。



残念ながら、
当時はまだスマホが成熟しておらず、
You TubeもTwitterもインスタも未発達の時代でした。
スマホの画質も粗かったので、記録はほとんど安いデジカメ。
そのデータだって、何度かの機種変更によってほとんど紛失。

だから、
何日もかけて準備をして、場所をおさえて、
あちこちに頭を下げて参加してもらって、
お金が足りねー! 連絡がいってねー! 身内が全然協力しねー!
と数え切れないほどのストレスを溜め込みながら
どうにかこうにか実現にこぎつけても、
その事の顛末を発信することはほとんどなく、
残されるのは
「こういうことをやったなあ」
という参加者の思い出だけ。


いまとなっては、
若いスタッフと飲んで酔っ払うたびに出てくる
恒例の「先輩のウザい武勇伝」
みたいになっているかもしれません。


うう(T_T)

それでも私は
「ぶっとび広報をやる人」
であり続けたかった。

たとえ周囲のスタッフから
この忙しいときになにをやってるんだ?
って白い目で見られたとしても、
時間と体力とコンプライアンスの許す限り、
ぶっとび広報をやっていたかった。


なぜか?


そのきっかけとなった出来事は、
ずっと、まったく思い当たらなかったんだけど、
年齢のせいでしょうか、
ふと巷に秋風が吹いて、
センチメンタルな気分になったとき、
ふと、私がサンクチュアリ出版に入社して、
最初にもらったお仕事のことを思い出しました。


人間、仕事内容がわからなすぎるとこうなる


私がサンクチュアリ出版に入社して、
すぐに発売されたのが『三国志男』という本でした。

いまでは幻冬舎から文庫が出ています



三国志ファンで自称6流旅行作家のさくら剛さんが、
中国にある三国志遺跡をめぐる様子を
おもしろおかしく綴った旅行記です。

そして入社早々、
副社長(当時は広報部の役員だった)から突如こう言われました。
「岩田さん、なにかおもしろいPRを期待してるから」

サンクチュアリ出版に入社する前、
じつはテレビ制作の仕事をしていた私。
「広報」については完全にド素人。

右も左もわからない状態なので、
もちろん先輩社員から手とり足とり、
広報のいろはについて教えてもらえるんだろうなと期待していました。

(F2層にリーチするためにはこういうアプローチがあると思うんだ)
(このジャンルのオピニオンリーダーにプッシュしてもらったどうだろう?)
(マスに訴えかけよう!)


そういう先輩社員(イケメン)からのPR的なアドバイスの数々を期待していました。
期待は外れました。
先輩は一人いましたが、もう辞めることになっていました。

「自由にやってくれていいから」

会社から言われたのは、たったこのひと言だけ。

このときもそうですし、いまもずっと変わりませんが、

じゆうに…自由に。どうぞ、ご自由に。

自由に仕事を、と言われたところで、
そもそも不自由な仕事すら、なんなのかわかっていないのです。

私は広報未経験者だと、面接のときにお伝えしました。
そもそも『三国志』をまったく知らない。
何をどう考えればいいのかわからないです、
どうしたらいいでしょうか、私言ってることおかしいでしょうか、
と泣きつく間もなく、
ダンボール箱に入ったコミック『三国志』全60巻をドサッと渡されて、
ヒッと小さく叫ぶ。


とりあえず、これを読むしかないのか。


入社したばかりの私。
他の社員が忙しそうに立ち働いている中、
なんにもないデスクでひとり、
姿勢を正してマンガ『三国志』を、神妙な面持ちで読み続ける私。

本当にこんなんでいいのだろうか?
広報のお仕事というものは?
心なしか周りの社員の目も冷たい気がする。
でもとりあえずこれを読めと言われたのだから読むしかない。

で、ようやく読み終わりました。

で、考えました。





面白かった。




これはうっかりファンになりそうだ。

実際、三国志のファンは多い。

副社長も編集長もデザイナーの新八さんも三国志のファンだ。

…が逆にいうと、
それ以外の人にとっては、全く興味がないもの。
人生に特に無くても困らないもの。
もしこんな機会がなければ、
私はリュービとかショカツリョーといった名前さえ知らずに一生を終えただろう。

だったら、マスに訴えなくてもいい。

もう徹底的に、
日本に存在しているであろう何百万人?
かの三国志ヲタに、
『三国志男』という新刊の存在を知らしめてやればいい!
かも。

ちょうどこのころ運良く、
ジョン・ウー監督の『レッド・クリフ』という三国志をテーマにしたハリウッド映画の公開が決まり、ちょっとした三国志ブームが起こりそうな予感もありました。
新作映画をきっかけに、新たな三国志ファンも生まれるかもしれない。

そこで私は考えた。

いや考えられない。

選択肢がなかったから。

これしか思いつかなかった。



新聞。





「岩田の考える、なにかおもしろいPR」

「岩田の考える、自由にやってくれていいから」
を掛け算すると、

もう絶対に私の場合

新聞

しかなかった。

「三国志新聞」という
三国志関連情報だけを集めたフリーペーパーを作って、
あちこちで配布しよう、

よしやろう。

もうそれしかすることがないので、
三国志関連情報ってどんなのがあるんだろう?
って、インターネットで調べたら、

三国志関連グッズだけを扱った通販ショップ。
三国志をモチーフにしたおしゃれなTシャツショップ。
山口県にある「三国志城博物館」
三国志の情報だけをひたすら発信しているサイト。
など、出てくる出てくる。

三国志が好き、
という共通点だけで
がっちり結束している方々が
この世にはめちゃくちゃいる。

これらの方々に取材協力していただきながら、
読み物もほしいのでさくら剛さんと男目線のコラムと、
三国志マニアの女子に、女性目線で三国志の英雄たちのかっこよさについて語ってもらうコラムを載せ、
がっつり『三国志男』の宣伝も載せました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://sangokushi.chugen.net/tag/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%96%B0%E8%81%9E/
(三国志新聞の記事/三国志ブログ英傑群像通信)

なぜかサイトの埋め込みができませんが、まだ元気いっぱいに活動してらっしゃる様子。
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フリーペーパー制作なんて、
はじめてのことだったので要領も悪く、
夜遅くまで会社に残って「一人新聞」を作る日々。

こんな手作り感満載の三国志新聞を
3000部ほど印刷し、
本の発売と同時に
書店さんや博物館、ショップやイベントなどに置いてもらいました。

でもまあ、そう言っても、新聞です。
いくら10年以上前のこととはいえ、
こんなアナログなPRがうまくいくはずもありません。

はじめは誰だって失敗するもの。

この失敗を糧に、次のPRをがんばろう。

そう考えていました。

ただ、こんなメールが届きました。

「本屋さんでたまたま三国志新聞を読んで、とてもおもしろかったから、本も買っちゃいました」

それから、新聞でつながった団体さんから、
さくら剛さんを三国志の大きなイベントにゲストで呼んでいただきました。

あと、映画配給会社さんから「レッドクリフ」のプレミア試写会にも招待していただきました。

結果的に『三国志男』は、2〜3万部ほど売れたのかな。
マニアックなテーマにしては異例。
本場?中国でも翻訳出版されましたし、文庫化もされましたし。

新聞も、第5号くらいまで発行しました。

でも正直いって、
一体この三国志新聞が、どのくらい本の売上に貢献したのか?
KPIとしては計測不能です。


でも、私はうれしかったんです。


自分一人の
まったくのゼロからの発想で
アクションを起こしたことによって
小さいながらも社会に「反響」を生み出せたことが。

これは、今までの仕事では得られなかった体験でした。

当時はSNSがなかったので、
地道にフリーペーパーを配布するしかなかったんだけど、
かえってそれが
より強く実感を抱かせてくれたのかもしれません。

私はあの入社当時のときめきを、
いまでも、心のどこかで追いかけている?


…いや、違うな。




やっぱり振り返ってみても、
全然よくわかりませんでした。


ちなみに、
当時はあんなに三国志についてコツコツ調べたのに、
今となっては、劉備と曹操と孫堅が戦って最後は劉備が勝ったんだよね、くらいの知識しか残っていません。

三国志好きの編集長注:記憶が雑すぎますよ、三国志の決着がついたときは劉備も曹操もメインキャラは皆死んでますし、「孫堅」は「孫権」のお父さんだし、劉備のいた蜀は、曹操がいた魏に滅ぼされて、魏は司馬炎にクーデーターで乗っ取られて、孫権がいた呉も司馬炎に滅ぼされてあっけなく終了するから無常感ハンパない物語なんすよって誰も読んでないかこんな注。



以上、広報担当の岩田梨恵子でした。


テキスト 岩田 梨恵子(いわた りえこ)
1980年佐賀県生まれ。サンクチュアリ出版宣伝チーム。2人の子どものワンオペ育児に奮闘中。いかに日々の家事と仕事を手抜き…効率化できるか? 日々模索しています
編集 橋本圭右(はしもとけいすけ)
1974年東京生まれ。サンクチュアリ出版編集長/宣伝部長/公式note編集長。主に山と電車とファミレスで活動。楽しい編集、わかりやすいライティング、面白いPR。アイデアのヒントは主にゲームから。養蜂はじめます。ベイスターズが好きです。



(画像提供:iStock.com/SolStock)

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