私達はいつもマイノリティのことを忘れてしまう
東京で緊急事態宣言があった。
不要不急の外出は控えるようにとのアナウンスもあった。
色々と苦しかった。
6月に何とか解除された。嬉しかった。
以前の暮らしとは程遠いけれど。
7月になり、8月になった。
一通のLINEが届いた。
高校時代の恩師が歩行困難になってしまった、と。
元々病気のリハビリ中だったときに緊急事態宣言となり、家から出られず、リハビリが出来ず、歩行困難になってしまった、と。
ショックだった。恩師の状態が、そして自分のことしか考えていなかった自分の身勝手さが。
緊急事態宣言下での外出自粛は、健常者には我慢すべき不都合でしかないけれど、そうでない方々には、感染と同等かそれ以上の事態かもしれないことを、全く考えもしなかった。
リハビリが出来なくて命の危機になる方もいるかもしれない。
白杖のトレーニングが中断されて、怖くて外出出来なくなる盲目の方もいるかもしれない。
車椅子で公道を進むトレーニングが出来なくなって、外出意欲がなくなり、寝たきりになってしまう方もいるかもしれない。
家で虐待され、学校でもいじめに遭って、唯一の逃げ場だった施設に行かれなくなり、死の危険にさらされている子供もいるかもしれない。
緊急事態だから、みんな我慢しているんだから、みんな同じなんだから。
はたしてそうだろうか?
そのみんな同じで、死んでしまうかもしれない人も、身体が動かなくなるかもしれない人も、仕方ないのだろうか?
具体的に誰がどう困るのか、その場合はどう対処すべきなのか、何をしてよくて何はダメなのか、それを社会の助け合いで解決すべきというのなら、普段からそのための教育や報道や啓蒙がなされていただろうか?
感染者の数だけが注目されるけれど、関連した死者や死に瀕している人数は把握されているのだろうか?
これは誰かへの批判ではない。自戒である。
そこへ意識が及ばなかったことへの。
私達はいつもマイノリティのことを忘れてしまう。
それでいいわけない。いいわけないんだ。
仕方ない命なんてない。
目の届く範囲だけでもいい。今、自分が出来ることを。