正月・去年・六日     389-3/21Ⅴ


     正月や日々ゆっくりと過ぎていく

     去年果たすはずの予定や今となり

     もち麦と鰯缶食うや六日かな

 六日という新年の季語は、正月六日を指すということである。六日の例句に「文月や六日も常の夜には似ず(芭蕉『奥の細道』)」があった。文月は七月の別称である。この句の六日は七夕の前日の六日のことである。疑問に思って調べてみた。「増殖する俳句歳時記」に次のように載っていた。

凭らざりし机の塵も六日かな
                           安住 敦
季語は「六日」。元日から七日まではすべて季語として用いられてきたが、最近の歳時記では「六日」を外してしまったものが多い。実作で用いるにしても、掲句のように、正月が去っていくという漠然たる哀感を伝えることくらいしかできないからだろう。もはや、特別の日の感じは薄いのである。ところがどっこい、少なくとも江戸期まではとても重要な日とされていたようだ。上島鬼貫に「一きほひ六日の晩や打薺」がある。「薺(なずな)」は春の七種の一つだ。そこでお勉強。昔は六日の日を「六日年」とか「六日年越」と呼んで、もう一度年をとり直す日だった。つまり翌七日が「七日正月」の式日なので、それが強く意識され、六日の夕方には採ってきた薺などを切りながら歌をうたい祝ったという。♪七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に……。こうして準備した菜は、もちろん翌朝の七種粥に入れて食べる。すなわち、二度目の大晦日(年越し)だったというわけだ。このように私たちの祖先は何かにこと寄せては、生活のなかで楽しみを見出していた。庶民の知恵というものだろうが、我々現代人もまた、クリスマスだのバレンタインだのと西洋の言い伝えにまで凭(よ)っているのだから、似たようなものである。が、決定的に異なるのは、昔の日本人には楽しみはすべて八百万の神々によって与えられるものという意識が強かった点だろう。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)

 芭蕉は江戸時代前期の人である。歳時記自体、四季の事物や年中行事などをまとめた書物で、江戸時代に季語を集めて分類したものなのである。俳諧や俳句が元になっているのである。今の私のように季語を使って作るというより、実生活が四季に沿って行われているから、きっと思うままに詠んでいれば自ずと季節感が出ていたのだろうと思われる。だから、六日が新年の季語だというのはあと付けであって、分類に凝り固まった私のような者はすぐに疑問をもってしまう。季語を頼りに詠んでいる今の実態が明らかになってしまった。
 それにしても、俳句に触れるようになって、季語で季節を感じることが多くなり、季語にはとても感謝している。虹一つにしても、あ、虹だと思うことはあっても、それがいつの季節だったのかはきれいさっぱり忘れていた。「冬の虹」という季語を知って初めて冬にも虹が出ることを知ったりしているのである。

 二句目は、日めくりのことばシリーズのことである。
 ということで、

日めくりのことばシリーズ(最終回)

言わぬは言うにまさる 黙っているほうが、口に出して言うよりもかえって切実な思いをよく表す。(「goo国語辞書」から)

 上のことばは毎日の取組みに通ずるものがあって、去年の暮れに見ているはずなのに初めて見るような感覚だ。沈黙は金ということばは知っている。

目は心の鏡 目にはその人の心の正邪が表れるということ。(「故事ことわざ辞典」から)

 映画タイタニックのローズの目を思い出す。

悪銭身に付かず 盗み・賭け事などで得た金銭は、むだに使われてすぐになくなってしまう。(「goo国語辞書」から)
得手に帆を揚げる 絶好の機会が到来し、それを利用してはりきって行動を起こすこと。(「故事ことわざ辞典」から)
得意なわざを発揮できる好機が到来し、調子に乗って事を行う。(「goo国語辞書」から
終わり良ければすべて良し 物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は問題にならないということ。(「故事ことわざ辞典」から)

 12月28日には「納めの不動」と書かれていて、どうやらこの日がすべての縁日の、年の最終日となるようである。日めくりには、非常にたくさんの情報が載っていて、知りたがりやのなあにの私にとってはおもしろくもあり、そして軽く自分のキャパシティーを越えていくものであった。少し興味の湧いたものを調べるだけでも多くのエネルギーを必要とした。「知らぬが仏」を実感する。

 三句目については、正月六日は「節日である七日正月の前日で、この日に年をとりなおすといって、麦飯をたいて、赤イワシを食べる風習がある。」とあったので、もち麦を茹でた。鰯缶を買ってきたら完璧だと思った。結果はカレーである。だから実際は、こうである。

     もち麦にカレーをかけて六日かな     


異存・難色の発声(5回でアウト)

 セーフ。きょうはお天気が良かったせいか、日が長くなったように感じた。冬至から16日経ったからだいぶ長くなってきたことは確かだろう。日没が遅くなる分、不利になっていくような気がするのは正しいか。正しいような気がする。カウント4から日没までがほんと長かった。
 あ、カウント5だ、と思ってカーテンを寄せて外を見たら日没後だった。新しい日の1カウント目である。

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