春惜しむ・春夕      435-1/21Ⅴ


     風揺らす青木の影ぞ春惜しむ  暦

     三時半やはらかき日に惜しむ春  暦

 確かこのくらいの時間だったと思う。夏の日差しとは異なって、晩春の日差しの暖かくて穏やかなさまを思った。最初は、「やはらかき夕前の日に惜しむ春」と詠んで、夕方とはいつのことを指すのか調べたら、気象庁では天気予報等に用いる用語として「15時頃から18時頃まで」としている。そうすると「夕前」だと午後三時前ということになる。私の感覚としては、夕方の日というと夕焼けになりそうな日、もうすぐ沈むような夕日が思われたのだった。「昼過ぎ」は気象庁では「12時頃から15時頃まで」である。まだ十分明るいので昼過ぎと言ってもよさそうだった。もっと適切に表したいと思って、昼過ぎと夕方の中間を指すことばを探索しているうちに、ずばり時刻でいいかと思い立って音数にぴったりの三時半とした。ことばの意味はきっと人によって微妙な違いがあるだろうと思われる。場合によっては大幅に違うこともあり得る。三時半だって、場所によっても違うだろうし、そう考えると、ことばで伝わることってあるのだろうかと大仰に考えたりもする。

     葉の影とガラスに映る春夕日  暦

     窓ガラス映る葉の影春夕日  暦

     ガラス戸のよごれに映る日春夕  暦

 同じことを言っている。最初に葉の影を葉影(はかげ)として音を減らそうとした。「葉影の間ガラスに映る春夕日」と。「はかげ」は「葉陰」が主流のようであった。言いたいのは影である。それよりも言いたいのは日である。ふと、ガラスは透明なのにどうして影や日が映っているのか疑問が湧いてきた。ガラスのよごれのせいかと思い拭いてみた。影や日が少し薄くなったような気がした。何度も拭いた。内側も外側も拭いた。映っているところだけ。ガラスが二重だからかとか考えた。日が薄くなってきても真相は曖昧なままだった。
 句の方は、ガラスの一句目と二句目はまったく同じで、このガラスというのが窓ガラスだと言いたかったのかと思う。ガラスの三句目はよごれがあるから映っているという仮説から詠んだ。これが正しいかどうかはいまだ謎である。それと、「春夕日」ということばに引っかかったので、歳時記に載っている「春夕」を使うことにした。


異存・難色の発声(5回でアウト)

 カウント2でセーフだった。

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