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ブータンを離れる日の朝

任地であったプンツォリンの住居を引き払って、今首都ティンプーに来ています。この記事を書きはじめた時点ではブータン出発2日前の朝ですが、公開自体は首都を出てパロ空港に向かう直前に行うことになるでしょう。

今、首都は12月17日(日)に迫った建国記念日を前に、大変な浮かれムードです。外国から大勢の億万長者が招待されているそうで、インフラ整備が急ピッチで進められています。私が首都入りした11日(月)はティンプーに入って来るバベサ地区の国道が舗装作業のために車線規制されていて、渋滞区間を抜けるのに相当な時間がかかりました。

こんな渋滞はブータンで初めて遭遇した
ラッピングバスも、少し前まで見たことがない

ティンプー随一の繁華街ノルジンラム大通りも、ここは欧米かと思うようなイルミネーション。(あ、これは誇張ですね。昔、1980年代後半の米国留学で長距離バス旅行をした時に通った南部州の都市のクリスマスイルミネーションを思い出しました。)

ここが、警察官が交通整理をいつもしている、ティンプーの中心地

さらに、街の中心ともいえるクロックタワー広場は、期末試験を終えた小中高生を吸い寄せる遊園地と化していて、夜になるとステージでは大音響の歌唱ショーやダンスパフォーマンスが開かれて、ステージの裏通りでは多くの露店がいろいろな物品を販売していました。私はいつもクロックタワー広場北隣にあるホテルに泊まるのですが、広場に面した客室では、夜はうるさすぎて室内にいても何も手につかず、今度という今度は、ここに泊まったことを後悔しました(笑)。

昼間のクロックタワー広場、こんなすべり台をブータンで見かけるとは!
ちょっと前までこんなところで活動していたのだからなぁ。

のどかな地方の町で15カ月暮らしていて、こうして首都に上がって来ると、キラキラ過ぎて戸惑うことが多いです。物欲が減退しまくっている自分には、首都の品揃えは驚きでしかありません。首都でお目にかかった邦人の方々が、会話の中で「どこどこのお店では○○が買える」といったお話で盛り上がっているのを聞いても、そんな選択肢があるところに住んでなかった自分には別世界の話で、ついて行けないものを感じていました。

街並みへの戸惑いだけではありません。たった2週間前に首都に出張した際、「次回離任前の最後の上京の時に一緒にやろう」とチェゴファブラボと約束していたプログラムがありました。しかし、それすら反故にされてしまうほど状況の変化が早く、とてもついて行けません。

今回、空き時間はチェゴファブラボで過ごすようにしていました。昔、暇があればファブラボブータンに行って他の利用者と話していたのと同じようなことをやってみました。ただ、彼らも建国記念日の式典で外国から来られる要人の方々に王室から贈呈されるウイスキーのボトルにレーザー刻印をほどこす作業に追われていました。

回転型エングレーバーを持ってない中で曲面にレーザー刻印するのは大変そう…
王立ボランティア「デスープ」がレーザー刻印されたボトルを箱詰めする

首都にあるもう1つのファブラボが行ったワークショップで作られた障害児向け自助具のできが良くないという噂は、地方でも耳にしていました。今回上京して来て実際にその自助具を見ましたが、確かに良くない。利用者とコミュニケーションを取りながらデザインを仕上げて行っていない、忙しいのでやっつけ仕事をしちゃったんじゃないかと思われます。それに、材料への理解も足りてないかも。「ファブラボCSTの方が進んでいる」と複数の方からご評価はいただきました。ありがたいことです。しかし、首都のファブラボがグダグダだと、ブータンのファブラボ全体の評判に影響が出るのではないかと気になりました。

ここに、インドのMuseum of the Possibilitiesを模した、障害者自助具の展示スペース「ATラボ」の設置が予定されている。3Dプリンタも導入し、さながらミニファブラボになりそう

でも、今さら「手伝ってくれ」と言われてもなぁ…。

「延長しないのか?」———けっこうな頻度で訊かれました。プロジェクトの協力期間は12月17日で終わりなんだから、仕方ないじゃないですか。今さらながら、パンデミックや国政選挙のこともあったのだから、せめて4カ月ぐらいの協力期間延長が検討されても良かったのかもしれないけれど、そういう意思決定ができる場がまったくなかった。だから、協力期間が終わるんだから、私の派遣期間が延長なんかされるわけがない。

平気で「延長」を口にする人が比較的身近にも大勢いたので、そもそも「プロジェクト」とは何たるかが意外と理解されていないのかもしれません。

「また来るんでしょ?」———そう訊かれることも多いのですが、今のところそのような予定はありません。

1年以上にも及ぶ長期の海外駐在生活は、たぶんこれが最後でしょう。ここまで弱音は吐かないように心がけてきましたが、今だから言うけれど、「一人任地」は精神的にきつかったです。特に、交通遮断が頻発するモンスーン期に、部屋の雨漏りで夜中にベッドが水浸しになったり、屋外は豪雨なのに屋内は断水で、雨水をポリバケツに溜めて生活用水に使用せざるを得なかった時は、本当に苦しかった。

CSTは丘の上だったので、自炊のために野菜を買いに行こうとプンツォリンのタウンまで行くのも面倒で、大学構内のカンティーンで食事を済ませてましたが、これが学生向けの味付けなので、塩分も油分も多め。還暦を迎えた自分の体には絶対良くないと思っていました。自分の住居も大学構内、勤務先も大学構内、せめてウォーキングをやろうと思っても、モンスーン期は外は土砂降りということが多く、「1日10,000歩」が確保できるのは乾期に限られます。足腰が相当弱ったという自覚もあります。

朝5時台の早朝ウォーキング@CSTヘリパッド
今年のモンスーン明けからは、ほぼ毎日ここにお世話になった

だから、今の自分の体力や健康状態では、長期の海外生活にはとても耐えられない、そう思っています。帰国後しばらくは、体力と健康状態の回復に努めることになるでしょう。歳のせいも当然あるでしょうが、この2年半で、髪が相当白くなりました。

話が脱線しまくりました。

私が派遣されていたプロジェクトに対する私自身の評価は、すでに二度にわたってご紹介していますが、離任直前にもう1つだけ書き残します。

これはもともと、11月16日の第6回(最終回)プロジェクト合同調整委員会(JCC)の席上、「最後にこの協力の3年間を振り返っての思いを述べよ」と議長から振られる場合を想定して、ノートに事前にメモしていたものです。しかし、議長からはそういう「振り」がなかったので、発言機会がありませんでした。大半はすでに述べた二回の自己評価でも書いたことではありますが、書いてなかったこともあります。


今から20年以上前、私が東京で働いていた頃、ある上司からこんなことを言われました。私たちが言う「プロジェクト」には、①協力期間中に持続可能な仕組み(人材、制度)を作るものと、②協力期間中にできる限りのインパクトを残すもの、の2種類がある。制度構築やカウンターパートの能力強化をやって、終了後も自立発展していく組織制度を作るのだけが、プロジェクトの目的ではないと。

開き直るつもりではないですが、ファブラボCSTができたあとの15カ月間、自分の気持ちの中で、このプロジェクトについては上記②に近い捉え方をしていました。短期間でできるだけの活動を盛り込み、成果指標は全部クリアし、内外の注目を集められるファブラボにはなったと思います。

教員を巻き込むのには苦労しましたが、学生の過半は利用者になってくれました。彼らが在学期間中にファブラボCSTを利用し、卒業後どこに行ったとしても、その知見は、新たな勤務地で同様のファブスペースに近いところで活動してくれれば、生かしてくれることでしょう。

プロジェクトがなくなっても、ファブラボCSTで学んだ知見をもって、近所のファブスペースを利用してくれれば大きなインパクトが残せる。離任直前の首都滞在中、お世話になった人と会う中で、「帰国後も手伝ってほしい」と言われるケースも多々ありますが、私は、「ファブラボCSTで経験を積んだCST卒業生が首都にはいっぱいいるので、彼らを活用して下さい」とお願いするようにしています。

ファブラボCSTに関しては、これをCSTの現実的な実施能力や制約要因にもとづき、適正規模に組織制度を縮小均衡させていくことになるのでしょう。言い方悪いけど、ファブラボCSTが万が一立ちいかなくなるとしたら、それは大学としてのCSTの組織制度の硬直性に起因するところが大きいと思います。ファブラボCSTの経営の持続性に関する議論がおろそかになった責任が私にまったくないと言うつもりはありませんが、CSTの経営層で議論する場がなかなか設けられず、後回しになってしまったのは、議論する場を設けること自体が難しく、設けても建設的な議論になりにくい、何か構造的な原因があるのではないかと感じていました。後回しにし続けた議論が今後本当に行われるのかは、私としては見守るしかありません。


立場上大っぴらには書けませんけど、JICAにはもっと「ファブラボ」にコミットしてほしかったなと思います。

利用者のすそ野を拡大するには、ファブラボ自身による単独努力だけでではなんともならない部分もあります。今回首都に来てから痛切に感じ続けている、地方でファブラボCSTがやってきたことが中央ではまったく伝わっていないという実態は、プロジェクトやファブラボCSTがプンツォリンでいくらあがいても、克服できるとは思いません。首都での打ち込みはCSTだけではできないのです。

事業広報として、私たちにできることはやりました。ファブラボCSTのFacebookのフォロワー数は3,121人に到達し、JICAの日本語HPでのプロジェクトニュース掲載数は55件を数えます。では、逆にJICAがFacebookやHPでファブラボや当プロジェクトを取り上げてくれたケースが、ブータンに関わらずどれだけあったかといえば、片手の指でも余ります。

首都でのプロジェクトの成果発信は必須だと思っていましたが、国政選挙の期間中ということもあって、成果発信のためのセミナーなどは行うこともかないませんでした。「セミナーはやらなくてもいいのか」とJICAに尋ねたら、「いい」との回答がありました。それなら新政権が発足した2月以降の早いうちにやれないのかと提案してみたのですが、それも「やらなくてもいい」との回答でした。肝心なところで必要なピースをはめ込んでもらえないんだと思うと、もうなんだか、「これ以上は自分のせいではない」という諦めの気持ちにとらわれるようになってきました。

繰り返しになりますが、JICAがプロジェクトの成果をちゃんと訴えたいなら、新政権発足後に、首都で成果普及セミナーをやるべきです。それをやらなくてもいいと言うなら、彼らにとって「ファブラボ」とはその程度のものだったということなのでしょう。

新閣僚や国会議員を招いて、こういうセミナーをやったらいいのではないかと…
(写真は、2018年11月下旬に行われたセミナーの様子)

かく言う私も、日本に帰ると翌日から新しい部署で新しい仕事です。ファブラボとは全然関係のない仕事だそうです。これまでnoteで縷々述べてきたことを体系化できたらとひそかに思っていましたが、かないません。来年2月になれば、未消化の有給休暇を一気に取得するつもりなので、その時にやろうと考えています。

前回のブータン駐在では、ブータンに最初のファブラボを作りたいとの目標を掲げました。その体験談は本にまとめました。今回のブータン駐在は、地方に第二のファブラボを作って活動を軌道に乗せるのが目標でした。残念ながら「第二」ではなく「第六」になってしまいましたが、これも一定の目標は達成できたし、今回は自分が関わった部分が相当多く、しかもこれまでnoteで書き溜めてきた文章も多いので、また本にできたらと思っています。

有給休暇取得を明言するということは、3月末で早期退職することを意味します。その後のことはどうなるかわかりませんが、辞める理由は自分がやりたいと思ったことに充てる時間を作りたかったからであり、そしてそれが今回のブータンでの3年間の技術協力プロジェクトの延長線上にあることは言うまでもありません。

ブータンを離れても、ファブラボとの関わりは続けられればと思っています。noteでの記事も、今後はブータン中心ではなくなるかもしれませんが、ファブに関しての私の近況や雑感を、今後は書き綴っていくつもりです。

とりあえず、ここまでご愛読下さりありがとうございました。




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