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【FAB23回顧】ヘトヘトになりながらサイドイベントをやる意義

FAB23回顧録の第三弾は、後半のカンファレンスに関してです。これについては、うちのプロジェクトのHPですでに概略をご紹介していますので、そちらも一緒に参照いただけたらと思います。



1.カンファレンスの構成

主催者側で用意した90分フォーマットの「ファブ・シンポジウム」が、7月24日(月)から27日(木)まで毎日午後12時30分から14時まで開催され、それを取り巻くように、前後に参加者自身が企画したワークショップやトークイベント、各種会合などがちりばめられました。

開会式でのニール教授のスピーチ

夕方も、レセプションなどの前にファブラボ・ネットワークの人材育成プログラムの卒業式とか開かれた日もありましたが、各自個別の夕食会などが活発に開かれていたようです。

28日(金)だけは、昼食後に「ファブシティ・サミット」が開催され、その後Fab Bhutan ChallengeとFab Student Challengeの結果発表と閉会式もあったので、午後のサイドイベントはなく、逆に朝から昼食までの時間はすべてサイドイベント開催に充てられました。

「ファブ・シンポジウム」は、主催者が主催者の裁量で呼んできた有識者によるパネルトークでした。ファブ・ファンデーションが連れて来そうな「いつもの顔」もあったそうですが(私、過去のFABxには出たことがないのでわからない)、ブータン側の主催者だったDHIが登壇要請をしたと思われるツェリン・トブゲイ前首相や、GovTech Agencyの総裁代行、DHIが自身展開を考えているプログラムのリーダーであるシンガポールの人などが登壇されていました。

シンポジウムの様子。著名人がパネリスト登壇するので、客の入りもいい

また、サイドイベントは4月30日締切で一般募集されていて、そこで採用されたものがいろいろな会場に割り振られて同時開催されていました。その多くは企画提案者がこの1年間取り組んできたことの発表会のような体で、ワークショップの多くもその提案者のやってきたことを追体験できるといった内容のものが多かった気がします。

ハンズオン・ワークショップはこんな雰囲気で行われた

同時開催だから当然観客の奪い合いが起きます。ファブラボのコミュニティで名が通っている人の主催するイベントは放っておいても参加者は集まりますが、あまり名が売れていない一見さんの場合は、会場が寂しい状況も起こりえます。また、うち(CST)の学生は別に誰が有名で誰が無名かという先入観がなく、各自の興味に沿ってサイドイベントを渡り歩いていました。


2.サイドイベント企画提案の舞台裏

ファブラボ・ブータンのツェワンから、以前、「FABxをブータンでホストする際には主賓で呼ぶ」と言われた話を拙著で紹介しました。しかし、ファブラボ・ブータンなき後、そんな口約束は当然吹っ飛んでしまいました。ブータン側でFAB23ホストに向けてファブ・ファンデーションとやり取りしていたDHI/スーパーファブラボのスタッフは、みな最近採用された若者ばかりで、過去の経緯など当然知りません。

待っていても私の出番など作ってくれる人はいません。自分の出番は自分で作る必要があります。また、サイドイベントはほとんどが外国からの参加者による企画提案なので、ブータンのプレイヤーと組み、ブータン人参加者にも裨益するサイドイベントを多く作りたいと私は考えました。

私の働く業界の人は、国際会議に参加するとなるとすぐ、そこで「存在感」を示せたかどうかを自己評価の基準にします。私にはJICAの技術協力プロジェクトの長期派遣専門家という帽子の他に、JICAの新規事業アイデア「FAB x国際協力」発起人という別の帽子もありますが、これらを組み合わせて、「ファブラボCST」「プンツォリン」「自助具」といったところで「存在感」を示せたらいいと考えていました。(新規事業アイデアの話は、またどこかでしたいと思います。)

対スーパーファブラボ、対ファブ・ファンデーションで、「自分自身」の存在感を示したいという下心もあったことは認めておきます。

「JICA」の存在感については、関係者の間にいろいろなベクトルが存在するので、トータルで見れば「ほどほどに」ぐらいで考えていました。ブータンでいちばん元気のいいファブラボを育て上げたのはJICAのプロジェクトだというアピールくらいはしてもいいんじゃないかと私は思いますが、私の派遣元の部署からは、あまりJICAがファブに前向きだと思われたくないという示唆を去年のFAB17(バリ)の頃からいただいていました。

私の派遣されているプロジェクトの所管部署と現地事務所との間では熱量に差があったということです。その一方で、同じ東京の本部でも、私のプロジェクトの所管部署と前述の新規事業タスクチームとの間で熱量に大きな違いがありました。新規事業タスクの方は、ファブ・コミュニティから振り向いてもらえるぐらいの存在感はアピールしておく必要があったのです。


3.提案サイドイベントの行方

そうした思惑から、私はサイドイベントのプロポーザルを6つも書いて、4月末までに主催者に提出しました。こんなにたくさん1人の名前で出したら不採用もあるかもと思ったので、新規事業タスクの別のメンバーの名前で出したものもあります。結果的に開催にこぎ着けられたのは次の5つです。

①ワークショップ “Experience 3D Printing Assistive Devices - Showcase at Fab Festival”

7月23日(日)、新規事業タスク、ブータン脳卒中財団(BSF)共催、
於クロックタワー広場
7月に入るまで採否が決まらなかったハンズオン・ワークショップです。会場の3Dプリンタの空き問題もあったと思いますが、途中で「ファブ・フェスティバル会場でのブース展示でも構わない」と内容変更を求めたところ、すんなり認められたという経緯があります。

もともと、来場者に自助具の3Dプリント出力体験をしてもらうというのが目的だったので、ショーケースとして市内のクロックタワー広場で出展するのには意義はありました。プリンタはファブラボCSTからPrusaを2台持って行きました。多くの方に来場してもらったし、関心は持ってもらえました。ただし、3Dプリント出力には時間がかかるので、展示された自助具サンプルには関心を持ってもらえたけれども、出力にまで挑戦した人は少なめでした。

展示された3Dプリント出力自助具サンプルの前では、立ち止まる立ち止まる来場者も多かった

②ワークショップ “Experience 3D Printing Assistive Devices - Open Day at Bhutan Stroke Foundation”

7月25日(火)、新規事業タスク、BSF共催、於BSF事務所
前述の通り、オープン会場での4時間限定のワークショップでは多くの人は出力までたどり着けません。そこで、BSFと相談し、BSFの事務所をお借りして、終日の出力サービスを行うことにしました。よって、これは厳密にはFAB23のサイドイベントとはいえません。でも、来場された方のご希望の自助具を出力する時間は十分取れました。実際、来られた脳卒中回復者の方のニーズをヒアリングし、それにもとづきすべりにくい歩行杖の先端のゴムをデザインし、出力してご本人にお渡しするところまでできました。

ただ、これを言うと共催団体の批判にも聞こえてしまうのですが、思ったほど多くの来訪はありませんでした。また、共催団体のスタッフと共同作業して、少しでもモデリングのスキルを移転できたらと思っていた期待もかなったとは思えません。でも、自助具の出力ではなく、動いている3Dプリンタを見たいという近所の小学校のご要望にはお答えして、来られた小学生向けに、即席の3Dデザインワークショップを行ったりすることはできました。

動いている3Dプリンターには子どもたちの目が釘付けに

③パネルトーク “One Year of FabLab CST Phuentsholing as Community Lab”

5月27日(木)、FabLab CST主催、於スーパーファブラボ
いちばん最初に採択通知をもらったのがこのパネルトークセッションでした。再三書いてきた通り、ファブラボCSTはこの国でいちばん元気なファブラボだと自負していますし、世界中の多くのメイカーが、FAB23参加を決めてブータンのファブ事情について情報収集をはじめると、最初にヒットするのがファブラボCSTのFacebookページです。

でも、モンスーン真っ只中のこの時期にプンツォリンまで来てくださいとはなかなか言いづらく、また主催者も、Fab Bhutan Challenge参加者以外のFAB23参加者が地方のファブラボにまで訪問することに対しては、「ルートパーミット(通行許可証)」発給申請などの便宜供与を行わないことになっていました。そこで、逆にファブラボCSTの関係者でFAB23会場に乗り込み、ここでファブラボCSTの紹介を1時間たっぷり使ってやってしまおうと考えました。ファブラボCSTとしては、これがメーンイベントでした。

当初、このプログラムは27日(木)15時から開始予定でした。それで、うちのFacebookでもそのように事前広報していました。

ところが、前日になっていきなり18時への繰り下げがFAB23ウェブサイト上で行われ、提案者の私には何ら通知もされず、慌てて関係者に連絡して18時開始で調整したのに、今度は当日午後会場で主催者から、「17時に予定していたイベントがキャンセルされたので、1時間前倒しを検討して欲しい」と言われました。またしてもパネリスト全員に連絡を取り、開始時刻を変更。こんなことをやっていたので、事前広報していた努力が水泡に帰し、会場はガラガラの状態で進めねばならなくなりました。CSTの学生やOBが桜として会場にいてくれたのがせめてもの救いとなりました。

言いたくはないですが、この度重なる日程変更は主催者による嫌がらせかと思いたくもなりました。

このセッション、私は裏方。各パネリストへの振付けを行った

④ワークショップ “Let's Make Something Small But Meaningful (II) - 3D Modeling of Assistive Tools for Persons with Disabilities”

7月28日(金)、新規事業タスク、BSF共催、於スーパーファブラボ
ある意味、これが今回の目玉ともいえるハンズオンワークショップでした。当初の計画では、1日目にFAB23参加者を会場外に連れ出し、脳卒中回復者のご自宅でインタビューして、それにもとづいて自助具のアイデアを考え、2日目にデザイン、出力を行うという流れを考えていました。

ところが、主催者からは1日分しか承認が下りず、参加者を場外に連れ出すという目論見は暗礁に乗り上げました。最終日の午前中、4時間だけのワークショップにダウンスケールするだけならまだしも、さらに追い打ちをかけたのは、後述する⑤のパネルトークとワークショップの最後の1時間がかぶっていたことでした。もっと早く気付くべきだったと反省しています。かつ、このワークショップ企画を一緒に進めていた新規事業タスクの主力メンバーの1人が、この日午後のフライトでブータンを発たねばなりませんでした。やむなく、4時間のワークショップを3時間に短縮することにしました。

もう1つ当初計画から変更を余儀なくされたのが、会場のアクセシビリティの問題でした。プロポーザルを書いた段階で内容確認を取っていたブータン脳卒中財団(BSF)から、脳卒中回復者をスーパーファブラボのように階段だらけの施設に連れて行くのは不可能だと、7月に入ってから突然言われました。また、脳卒中回復者は成人なので、入場にはチケット購入が必要とされており、そもそも入場自体が難しいという課題にも直面しました。

政府関係者がチケット代を払って会場に来ていたのかどうかは定かではないですが、市民社会組織の関係者やその受益者がチケット代を負担しなければならなかったのは、なんだかおかしいと思います。

さんざん悩んだ挙句、考え出したのがティンプーの青少年障害者向け職業訓練学校「ダクツォ」の生徒さんに来ていただくことでした。後述する⑤のパネリストを、ダクツォのJICA海外協力隊員のYさんに打診した際、それなら生徒さんも連れてきてもいいでしょうかとYさんから訊かれていたのでした。おかげでなんとか形が整い、3人来られた生徒さんには、取りあえずの3Dプリント出力自助具は持って帰ってもらうところまでは到達することができたのです。

当日は、私たちがファブラボCSTから持ってきたPrusa 3Dプリンタ1台でワークショップをはじめました。しかし、どうしてもプリンタを数台使わないと回せない事態に直面しました。そこで、スーパーファブラボにお願いして、会場にあった彼らのPrusaを使わせてもらおうとしました。SDカードが鍵付きキャビネットで保管されていて、使用開始に時間がかかったのに加え、何台かは不具合があって、使えるプリンタを確保して出力開始するまでに、少し時間がかかりました。

このワークショップには、さらに後日談もありますが、それはまた別の機会に。

3人のニードノウアからヒアリングを行うワークショップ参加者

⑤パネルトーク “FabLabs and Development Partners – Cases of Japanese Development Cooperation”

7月28日(金)、JICA主催、於スーパーファブラボ
これも、比較的すんなり採用されたイベントでした。印象としては、会場の機械を使わなくていいトークイベントは、簡単に採用されるみたいです。

しかし、これこそが、CSTの支援も得られず、派遣元の支援も少ない中で、私が1人で調整するのに膨大な時間を要したサイドイベントでした。東京からの出張者1名、インドネシアで昨年度まで行われていた技術協力プロジェクトのカウンターパートの1名、パネリストとして登壇いただくので、その渡航承認にかかるJICA関係者への働きかけから、宿舎や借上車両の予約、インドネシアからのお客様については、航空券の手配やカンファレンス参加チケットの購入手配にも私は関わっていました。

ロジ面では、時差があるインドネシア側関係者とのコミュニケーションと、レンタカー会社とのコミュニケーションを、1人でプンツォリンから取らねばならなかったことで、ものすごい労務負荷が自分にかかりました。

さらにパネリストの発言ポイントの振付けも事前に行い、スライド作成まで代行するというケースもありました。事前広報のJICA事務所への要請も行い、私としては万全の体制で臨んだつもりです。当然、このパネルトークの司会は私自身が務めました。

結果は、客の入りが非常に悪かった。JICAの所長が出られるのだからそれだけでも来るブータン人や現地JICA関係者はそこそこいるだろうと楽観視していたら、ものすごく少なかった。

カンファレンスも最終日に近くなると、観光に出かけてしまう参加者もそこそこいるという不利に加え、競合するサイドイベントが多かったという不利もあったと思います。また、ここまで4日間のカンファレンスを通しでウォッチしていて、ファブラボネットワークの発展に欠かせないのは公的援助資金のフローよりもFDIや国内投資の資金だというメッセージがすでに出されていたので、反論の材料を事前広報の段階から明確に示せていないと、客は今さら公的援助資金に期待するようなセッションに顔を出そうかとはならなかったと思います。

このパネルトークの内容もそこで発せられたメッセージも悪くはないのですが、集客努力はもっとやりようがあったのではないかと思います。誰に聴いてもらいたいかを考えたら、独自にビデオ撮影しておく必要もありました。

パネルでは、ファブラボと協力隊とのコラボの可能性にも話題が及んだ

4.その他、私が絡んでいたサイドイベント

①ワークショップ"Revival of Fab2.0 Project Prototypes"

一方、申し込んだけれど不採用になってしまったサイドイベントもありました。ティンプーのチェゴ・ファブラボとの共催を計画していたハンズオン・ワークショップです。これも参加者をFAB23カンファレンス会場から外に連れ出して、チェゴ・ファブラボでワークショップをやろうと目論んでいたので、採用基準を満たしていなかったのでしょう。また、チェゴ・ファブラボの開所自体も9月に延期になり、FAB23に間に合わなくなったので、不採用という結果についてはやむを得ません。

このリバイバル・プロジェクトでは、FAB23開催直前に、チェゴ・ファブラボのスタッフをファブラボCSTに招き、一緒に作業に取り組んでマシンが動く状態にまで復活させることができました(下記記事参照)。

ファブラボCSTで、ファブアカデミー修了生がこうしてコラボする姿を見られるのは感動的

②パネルトーク"JNW Super Fab Lab presents FAB Network in Bhutan"

もう1つは、7月26日(水)午前にメーン会場で行われたこのパネルトークに、私自身が登壇したことです。これは、ファブラボCSTが自身の活動を紹介するパネルトークを申し込んだのを見たスーパーファブラボが、主催者権限で「後出しじゃんけん」でぶち込んだサイドイベントで、国内の5つのファブラボを平等に紹介するものでした。

うがった見方をすれば、これが先に開かれたために、翌日のファブラボCSTの活動紹介がかすんでしまい、集客が鈍ってしまったとも考えられます。スーパーファブラボがこういうサイドイベントをやりたいという意向を4月の時点で表明していたならば、あえてファブラボCST単独での活動紹介を申し込まなくても良かったわけで、私の労務負担もその分少なくて済んだともいえます。

③FAB23参加日本人オフ会

これはおまけみたいなものですが、7月27日(木)の夜、ティンプー市内の「颯ラーメン」をお借りして、日本人オフ会を開催しました。FAB23とは別のミッションで来られていたJICA関係者の方もいらしたので、30人以上の方々で盛り上がりました。


5.サイドイベント開催に思うあれこれ

ご覧になっておわかりの通り、ちょっとやり過ぎというぐらい、私としては多くのイベントを企画して、7月23日から28日までの6日間に投入しました。おかげで、ファブ・ファンデーションのシェリー代表からは、「よく頑張った」と感謝もされたのですが、これらの連絡調整があったので、私は直前のFab Bhutan Challengeのホストに集中できなかったし、途中何度か「思考停止」状態に陥り、自分の作業処理能力の限界を痛感しました。

でも、振り返ってみると、最初に決まったパネルトーク2件(上記3-③、3-⑤)って、あの程度の集客だったらわざわざ準備調整に時間を費やしてやる意味があったのかどうか、考えさせられるところもありました。集客を増やしたいのなら、もっと会場に顔を出して事前の宣伝にエネルギーを費やす必要もあったようにも思うのですが、そこまで私が1人で負うのには正直限界がありました。

興味深いやり方も発見しました。トークとワークショップをペアで運用し、先にトークセッションで自分の作ったプロトタイプを宣伝し、その追体験をするワークショップを後日行うからそれに来てくれと宣伝した参加者がいました。売りになるプロトタイプや製品があるのなら、この手は使えると思いました。実際、そのワークショップには人が集まっていました。

このキーボードはCSTの学生には超人気。
電気通信工学科の学生が卒業研究で取り組むことになった

あとは、やっぱり、カンファレンス全体の「流れ」を見ていないと、パネルトークの振付けやファシリテーションをその流れに合わせるのは難しいとも感じました。個々のパネリストは当然、自己宣伝的に話したいポイントがあるわけですが、カンファレンスの流れに合わせて各パネリストに発言ポイントを振り付けるのは企画立案者とセッションのモデレータの仕事です。私もカンファレンスに至るまでの準備過程でそれはやっていたつもりですが、いざカンファレンスがはじまってしまうと、自分のサイドイベントの運営に忙殺されてしまい、カンファレンスのフォローが十分できませんでした。

また、一般論として、カンファレンスに出る以上、自分のサイドイベントを運営して目標達成というわけではなく、他の人の主催するプログラムにも顔を出して、全体の流れをつかんでおくことも必要です。ただ単にカンファレンスに出るというだけだと、出張承認もままならないというのではもったいないですし、5日間通しのチケットを主催者から融通されていた方が、自分の組織に関係しているイベントしか見に来ないというのも、もったいないと思います。

私費で来られている場合は自分の興味に応じて選択的に行動されるのは仕方ないところではあります。でも、公費で来させてもらっている場合は、出番がある日とその時刻だけ会場にいればよいというわけではなく、通しで出てカンファレンス全体のメッセージが何だったのかをつかんだり、世界中のメイカーとのネットワークを広げたり、やるべきことがあると思います。もちろん、「お前だって同じく公費で派遣されてるんだろ?」というツッコミがあることは重々承知しています。

こうして反省点を述べても、ブータンでのFABx開催はこれが最初で最後でしょうし、私自身も、ブータンがホスト国だったから当事者の1人としてこれだけ頑張っただけで、今後同じような苦労を自分が1人で背負うことは二度とないでしょう。今後のFABxに私が出席する機会があるとしても、そこは一参加者としての気楽な立場で出られることでしょう。サイドイベントの1つぐらいはやるかもしれません。今回サイドイベントを主催していた参加者の中には、今年のファブアカデミーの修了生がかなり多かったようでしたし。

ただ、パネルトークを自前で組み立てられるほど過去にファブラボ開設支援や現地レベルの協働の実績を持っているJICAは、こういうイベントへの対応について、もう少し組織として踏み込んでもよかったのではないかとは思いますけどね。

とにかく、小手先の現地対応としては、個人的にはできるだけのことはやったと思います。



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