おばあちゃん、今日桜を見に行きませんか
私の祖母は認知症だ。それも結構な。
最近だと、平日はデイサービスを利用して、帰ってきたらヘルパーさんがご飯とか掃除とかしてくれる。
もちろん、私たち家族も祖母の生活を手伝う。でも、10分前、いや5分前言ったことをすぐに忘れて、何度も同じ話をするのはしんどい。「さっき言ったやん!」何回か、きつく当たってしまって、そのあと死ぬほど後悔する。
私はおばあちゃんっこだったと思う。嫌なことがあったらおばあちゃんのところに。親と喧嘩したらおばあちゃんのところに。
いつだっておばあちゃんは歓迎してくれて、「じゃがりこあるけど食べる?」って言ってくれた。じゃがりこはいつも、私のために何種類もストックされていた。テレビも、本当は「相棒」の続きがみたいはずなのに、「好きなチャンネルに変えていいよ」ってリモコンを渡してくれた。
なにより、毎朝学校に行くとき、「行ってきまーす!」って言ったら絶対家から出てきて見送ってくれた。「今日はいい天気だね」「学校はいつまであるの?」とかそんな世間話と一緒に。
敬老の日、誕生日、いつも手紙を渡す。「いつもありがとう。ずっと元気でいてね。おいしいご飯食べようね。」おばあちゃんは、毎回そんな同じような内容の手紙にいちいち感動して、棚に飾ってくれた。子供にしては多すぎるお小遣いもたびたびくれた。
とにかく、私はおばあちゃんが大好きだった。
だから、だいぶショックだった。最初は甘く考えてた。別に認知症だからっておばあちゃんは、おばあちゃんでしょ、くらいに。
でもどんどん、日付がわからない、季節が分からない、物の場所がわからない、どんどんどんどん悪化していくのを、一番近くで見ているうちに辛くなった。
だから私は、勉強が忙しい、バイトが忙しいふりをしてどんどん離れていった。認知症の事実から逃げるように。私がこれ以上、おばあちゃんのことを「面倒くさい」なんて思わないように。
先週の水曜日、久しぶりにデイサービスに行く準備を手伝った。「おはよう」、そんな簡単なあいさつでさえ、久しぶりに言った。
「今日デイサービスだから、マスクしといて」「ああ、そうか。今日は何日や?」「今日は3月24日」「あーそうか。○○ちゃん学校は?」「今は春休みやで」「そうなんか!えーっと今日は何日や?」「3月24日やで」「あー24、24、…水曜日やな」「うん」「学校は休み?」「うん、春休み」
おんなじ会話の繰り返し。だけど、流してたテレビの音で変わった。
『桜の開花が――――』
そこで、そういえばと思いだす。家の近くに桜がきれいな並木道がある。毎年、この時期になるとその桜を見に、散歩して、写真を撮って、近くのコンビニでお菓子を買ってもらって家に帰る。毎年桜を楽しみにしていたのに、今年はすっかり忘れていた。
今年は家から出ていないから近くの桜がどれくらい咲いているかさえわからない。慌ててスマホの画像フォルダをさかのぼる。
去年の写真の日付は、4月1日だった。
画像の下には私と、おばあちゃんが笑顔で映ってた。
今は、まだ3月。まだ間に合う。桜を見に行くのも、もう一回、おばあちゃんと笑いあうのも。だってまだこんなに元気で、いっぱい話しかけてくれて。それなのに、私だけが勝手にしんどくなって勝手に逃げて。大好きなおばあちゃんと何も変わっていないのに。
おばあちゃんは桜の開花を告げるテレビを見て「ああ、もうそんな時期か~」って言ってた。毎年、一緒に近くの桜を見に行っていることは覚えているのかわからない。
でも、別に覚えてなくてもいい気がする。忘れたらもう一回行けばいいだけ。
だから私は明日、久しぶりに孫の特権のおねだりをする。
「おばあちゃん、今日桜を見に行きませんか?」って。
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