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残り45日で修論を0から書き上げる

こんにちは。最後の記事からいつの間にか数ヶ月が経ってしまった。

大学院も終盤に向けて、重い課題が3つあって、それをやっているうちにいつの間にか日数が経ってたようだ。

今日は2020年11月29日。修論提出日は1月15日。そして、私の論文は今現在1ページも書けていない…汗

ここ3ヶ月間、「バルセロナモデル と修論テーマに関するレポート」「修論の方法論レポート」「修士論文」を進めていたはず。

一つ目の課題「バルセロナモデルと修論に関するレポート」は過去最低点を叩き出した。こっちだと、50点以上で単位習得になるのだが、初めて50点をとった。本当は単位が与えられるようなレベルじゃないのに、修論が近づいているから先生がお情けでくれたらしい。

二つ目の課題「修論の方法論レポート」は論文のテーマと分析方法、そしてどのように取り組むかを一通り授業を受けて、レポートに書いて提出するのだが、これは35点で再提出…

修論は担当の先生が配属されるのだが、仲のいいクラスメートと違う先生の配属になり、その先生に配属されているのは私だけ。マンツーマンで有利な環境のはずなのに、方法論レポートを出しても何の連絡もなく、他の子に聞いたら大学院のディレクターが担当になった子達は毎週2、3回のゼミをやっていると…

「え?」って感じ。担当の生徒が赤点取ったのに何も言わないの?

大学院のディレクターに聞くと「連絡しないのが悪い」と。日本の大学では、連絡しなくても毎週絶対ゼミがあったし、必ず先生に会える環境があったから、先生に指導をしてもらっている感じがあったので「え、同じ授業料払っているのに、受け身じゃダメなの」と一瞬思ってしまった。大学院は現在12人の生徒がいて、そのうち7人がディレクターが修論の担当になっている。

スペイン語が母国語じゃない学生は、なぜかその7人のうち1人しかいなくて、ディレクターが中国人の学生や私を避けて他の先生に振り分けたのではないかとネガティブに考えてしまう。

スペイン語が母国語じゃない学生、主に私と中国人の学生は、年も比較的に若く、他の南米の学生に比べて論文提出の経験も少ないため、より指導が必要な状況にあると思うのだが。

基本的に希望の先生に配属される。私はディレクター志望だったのに別の先生に配属された。第二志望の先生は、授業のスタイルからみて、計画的でしっかりとした先生に見えたから、その先生にしたのに、毎週どころか1、2ヶ月連絡がなくても何とも思わない。その先生からしたら「質問がなく、困っていないのだろう」という感覚らしい。

私が再提出になった「方法論のレポート」もディレクター曰く、先生たち全員が目を通しているはずなのだが、ディレクターと別の先生からのコメントが添付されていたものの、担当の先生からは一言もコメントがなかった。

確かに、スペイン語がネイティブじゃない私の立場からして、私から先生に積極的にアポを取るべきだとは思うのだが、どうしても毎週ゼミがしっかり行われるディレクターのゼミの子達の方がうらやましく思えてしまう。複数人だと、周りの子の状況と比べやすくて張り合いが出るし。

この言葉は適切ではないと思うのだが、ディレクターのゼミがトップダウンで私や中国人の学生がボトムアップ形式のゼミに配属されたのが納得できない。ましては、都市デザインに関する論文を書いているのに、都市デザインが専門のディレクターでは無く、都市政策が専門の先生に配属されたのが納得できない。公共空間の分析方法もわからないと言われてしまった。

ディレクターに「君とあの先生の関係は悪いね」と言われた時は、反論したくなったが「考え方が違うんだ、こっちではこれが普通だから、これ以上考えるだけ無駄だ」と割り切ることにした。

大体、自分が修論を責任を持って書き終えなければならないと考えれば、普通のことだ。

ディレクターが「中国人の学生は、毎年期限間際に担当の先生にいきなりメールで完成品を送ってくるから、先生たちはびっくりするし、エラーばかりで残された期間での修正ができない」と愚痴っていたが、これはもう文化の違いだと思う。きっと中国でも、面倒見のいい先生たちが多いのだろう。先生も生徒もお互いの連絡を待っている状況なら、そのような結果になってもおかしくないと思う。

取り敢えず、期間も少ないことだし、私から強制的に先生を巻き込む形で進めるしかない。

学部論文は一年以上前から書き始めていたのに、修論を1ヶ月ちょいで書き上げることになるとは思いもしなかった。

なんとしても、恥ずかしくない修論を書かなくては。あと45日で。


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