明日、私は官僚を辞める #07「せっかくなら応募してみる?」
安田とは大学時代からの知り合いだ。三年生のときに同じゼミに所属していて、グループ発表で同じグループだった。それ以来、顔を合わせれば話す仲になった。ゼミ仲間数人で飲みに行くことも何度かあった。
そのゼミは官僚志望者の学生が多いことで有名だった。桜も安田ももれなく官僚志望だったので、就活の面接会場でも安田を見かけたときは雑談した。
同じゼミに所属し、同じ省庁に内定した。
そんな二人の関係が変化したのは、四年生の秋のことだった。
当時の桜は、彼氏とうまくいっていなかった。彼氏は民間就活をしていたが、第一志望の企業から内定をもらうことができず、志望度の低かった企業に行くことになっていた。そのため、官僚というエリートキャリアを歩むことになる桜が羨ましく、また悔しかったようで、厳しく当たってくるようになったのだ。
そんなある日、彼氏と一緒にキャンパスの食堂でランチを食べている最中、また彼氏の機嫌が悪くなったので桜は冷静に言い返した。正論を返されて何も言えなくなった彼がたまらずテーブルをどんっと叩く。周りで食べていた学生が引き気味にこちらを見てきた。
これ以上注目を集めるわけにもいかないので、一旦食堂を出た方がよいだろう。そう判断して彼氏を外に促そうとしたときに、仲裁に入ってきたのが隣のテーブルの安田だった。
「彼氏さん落ち着いて。あんまり大きな声出すと、食堂から追い出されるよ」
誰だよお前、と言いながらじろりと睨む彼氏の視線に臆することなく、安田は平然とこう返した。
「白川さんと同じゼミで、同じ省に内定した安田です。白川さんの優秀さは俺から見てもよく分かる。こんな素敵な方と付き合えて彼氏さんめっちゃ恵まれてるよ。大切にしてあげなよ」
安田の態度はあくまでも紳士的。しかし、返された内容が彼氏の気に障ったようで、彼氏は悪態をつきながらその場を去った。
「桜、あんな彼氏と付き合って大丈夫か?」
彼氏が去った後、安田が気遣わしげに桜の顔をのぞきこんだ。
本当は大丈夫じゃない。もう別れたい。そう素直に答えたかった。
でも、これ以上安田に優しくしてもらうわけにはいかない。弱って他の男に頼るなんて行為を、真面目な桜は自分で許せそうになかった。
「助けてくれてありがとう。彼、最近あんな感じなんだけど、多分就職のことで悩んでるみたいだから、しばらくしたら落ち着くと思う」
安田は何か言いたげな顔をしている。しかし、桜がおもむろに席を立つのを見て、最後に一言だけ言葉をかけた。
「なんかあれば話聞くからな」
「うん、ありがとう」
おそらくそんな事態にはならないと思うけど、と心の中でつぶやいて、桜は安田に背を向けた。
それからほどなくして、桜は彼氏と別れた。
あのとき止めに入ってくれた安田は、正直に言ってかっこよかった。それまでは安田のことをただの友達とした思っていなかったけれど、荒ぶる元カレに毅然と接してくれた姿を見て、心のどこかで意識するようになった。
だから、話聞くよと言ってくれたときも、元カレと別れたときも、本当は安田に愚痴を聞いてもらいたかった。安田とその流れで付き合うという展開になってもよいとさえ思った。
でも、そうすると桜は元カレから安田に乗り換えたということになる。軽率と取られかねないその行為を、真面目な桜は望んでいなかった。それに、悪意のある人が見れば、むしろ安田が弱った桜をそそのかして略奪したとも言える。そう見えてしまうのは安田のためにも何としても避けたい。
色々と考えすぎてしまった結果、桜は食堂での一件以来、安田に話しかけることができなくなってしまった。安田も何かを察したようで、話しかけてくることはなくなった。
四月を迎えて入省した二人は、別々の部署に配属になった。学生時代のように仲良く話したりごはんに行ったりする機会は完全に失われた。たまに職場同期の飲み会で顔を合わせても、簡単に近況報告をする程度だった。
しかし、前回の異動で同じ部局の配属になってからは、先日の田中議員のときのように仕事でやり取りすることが増えた。あくまでも仕事の話しかしていない。それでも、当たり前のように言葉を交わしていた学生時代の関係が少し回復したようで、桜は懐かしく、また嬉しくもあった。
◆ ◆ ◆
職場を出て霞ヶ関駅まで歩く中、桜は安田との過去を思い出し、ふわふわとした気分に浸っていた。
別に、今更安田と付き合いたいとか思っているわけではない。安田も安田でモテるようで、今も彼女がいるかもしれないし、それは桜には知る由もない。
けれど、気軽に声をかけ合えたあの頃の関係を、取り戻せるなら取り戻したいと思っているのもまた事実だ。自分が一方的に変にこじらせてしまった関係をもとに戻すことができたらいいなと、ひそかに桜は願っていた。
今日は、だいぶいい感じだったんじゃないか。
そんなほろ酔い気分のまま電車に乗り、ふとバッグからスマホを取り出す。何件か通知が来ていた。ブログに投稿した小説に、今日もいくつかのいいねがついているようだった。
しかし、いいねを知らせる通知の中に一つだけタイトルが異なる通知があった。
「XXXブログコンテスト応募受付中! 締め切りまであと〇日!」というものだった。
ブログコンテストなんて初耳だ。そんなものあったっけ。
桜は興味を惹かれて、いつものブログアプリを開いて詳細をチェックすることにした。
そのブログでは、ユーザーを対象にコンテストを開催しているとのことだった。さまざまなジャンルの作品を受け付けており、その中には小説部門もあった。
ちょうど桜は小説を執筆中だ。せっかくだから応募してみたらどうだろうか。
安田のおかげで機嫌の良い桜は、いいアイディアを思いついてほくほくした気分になった。
小説部門の大賞に選ばれた場合、賞金のほかにいくつかの副賞もあると記載されていたが、桜は特に気にも留めず読み飛ばした。別に大賞が欲しくて応募するわけではない。自分の小説を色々な人に読んでもらう良い機会になるならば、桜にとってはそれでよかったのだ。
応募の締め切り日は来週末に迫っていた。まだ小説は書き上げていない。急いで仕上げないと。
桜は、明日朝も早起きして執筆すべく、今夜も早く寝るぞという決意を固くした。
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