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明日、私は官僚を辞める #08「予期せぬ通知」

キャリア官僚6年目の桜は、軽い気持ちでコンテストに自作の小説を応募した。応募から2ヶ月ほど経ち、仕事に邁進する充実した日々を送っていた中、コンテスト主催者よりとある連絡が入る。

 年が明け、一月も過ぎ、はや二月も終わりに差し掛かる頃。

 桜は無事に小説を書き上げてコンテストに応募した。ただ、応募できたこと自体に満足したので、その後軽く燃え尽きてしまい、しばらくは更新が滞っていた。しかし、最近になってまた執筆意欲が戻ってきたので、今度はまた別の長編小説への挑戦を始めた。

 応募したコンテストの結果のことは特に考えなかった。結果に期待していたわけではないし、仮に入賞できたとしても、桜はただでさえSNS利用に注意が必要な国家公務員だから本名の公表は難しく、その後の書籍化などの仕事を引き受けるわけにもいくまい。
 次第に、コンテストに応募したことすら忘れかけていた。

 仕事の面では、室長の手塚とともに作業している報告書の前書きが順調に進んでいた。年明けに手塚に見せた草案はとても高い評価を得ることができた。手塚曰く、「あの膨大な量の資料がこんなに簡潔にまとまるなんて、文章の才能があるよ」だそうだ。

 文章を書くというのは、こんなにも楽しいことなのか。

 仕事も趣味も充実している日々が今後もずっと続けばいいのに、と桜は願った。
 しかし、それは難しいということも分かっていた。前書きの作業は現時点で終わりかけており、最近の桜の業務はこれまでのような国会対応や他部署、他省庁との交渉作業がメインになってきていた。
 好きな業務ばかりできるわけではない。得意なことを生かせる業務ばかりでもない。 
 分かってはいるけれど、どうしても「その他」の業務に関してモチベーションを保つことができていない自分を桜は自覚していた。

◆ ◆ ◆

 この日の桜はほとんど残業せず、早めに帰ることができた。

 今日は何件のいいねが来ているだろうか、とブログの通知を確認するのが毎日の退勤時の楽しみとなっている。桜はこの日も、帰りの電車の中でスマホのロック画面に目を通した。
 「〇〇さんがいいねしました」という通知がいくつも来ている。その中に一つだけ見慣れない通知が紛れていたので、桜はあやうく見落とすところだった。

 ブログ公式アカウントからの通知だった。

「公式アカウントよりサクラ様にメッセージが届いております。ご登録のメールアドレスから内容をご確認ください」

 いったい何だろう。もしかして何か規約違反でもしてしまったのだろうか。

 多くのいいねで舞い上がっていた桜の心が、一気にしぼんだ。戸惑う気持ちを抑えながら、メールアプリを開いて新着メールを確認する。
 そのメールは、思いもよらないタイトルから始まっていた。

「XXXブログコンテスト小説部門大賞に選ばれました」

 ・・・大賞?

 見間違いかと思って、何度もタイトルを読み返す。しかし、何度見ても内容は変わらない。心臓が早鐘を打ち、スマホを持つ手が震えた。

 あの小説が? 私が人生で初めて、軽い気持ちで書いたあの小説が?

 にわかには信じられなかった。脳がストップして、何も考えられない。

 そのとき、電車が揺れたはずみで桜の手からスマホが転がり落ちた。スマホは耳障りな音を立てて、電車の床に着地する。すぐに隣のサラリーマンが拾ってくれた。

「すみません、ありがとうございます」

 桜は恐縮して受け取った。もうスマホを落とさないようにとしっかり握りしめる。
 そこで少し冷静になれたので、桜は続きの文面に目を通すことにした。メールの文面はこのように続いていた。

「このたびは、XXXブログコンテスト小説部門に応募いただき、誠にありがとうございます。
 厳正なる審査の結果、サクラ様は大賞に選ばれましたので、ご連絡いたします。 

 入賞者の皆様方には、来月中旬の授賞式へのご参加をお願いしております。
 また、大賞受賞作品は書籍化されることとなっておりますところ、サクラ様の作品は本コンテストのスポンサーであるV出版様より書籍化される予定でございます。
 それに加えまして、V出版様より、ぜひともサクラ様に新規連載もお願いできないかとのご相談も承っております」

 そして、詳しいことについては一度電話で話したいので、都合のつく日時を教えてほしいとの言葉で締めくくられていた。

 一度目を通しただけでは、内容が全く頭に入ってこない。タイトルの衝撃で一旦働きを止めてしまった桜の脳では、どうも処理が追い付かないようだった。しかし、電話の日時を決めないといけないことだけはかろうじて読み取ることができた。

 ちょうど明日はテレワークの予定だ。お昼休みの時間なら家で落ち着いて電話ができる。桜はひとまず、できれば明日の昼、難しければ夕方以降を希望する旨の返信をした。

 返信を終えてスマホをバッグにしまう。
 先ほどのメールの内容は、いまだに信じられなかった。心臓の鼓動は早いままで、気づけば体も熱くなっていた。
 ひとまず冷静にならなくては。とりあえず電車を降りたらコンビニでいつものプリンを買って、平常心を取り戻そうと思った。



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