明日、私は官僚を辞める #14「反対と、賛成と」
父の一言目は桜の予想通り、けしからん、だった。
「小説家になりたいなんて、そんな馬鹿げた夢を未だに持っていたのか。今更そんなもののために人生を捨てるなんて馬鹿馬鹿しい」
「小説家になるということがそんなに馬鹿げたアイディアだと、お父さんはどうして思うの? どの職業に就こうと私の自由でしょ」
今日こそ父に対峙して、自分の意見をちゃんと主張するのだという強い意思を持ってこの場に臨んだ桜は、並大抵のことでは後に引かない。父がどれだけ機嫌を悪くしようと、怒ろうと、言うべきことは全部言うつもりだった。
「東大を出てなくても、誰だって小説家にはなれる。桜は東大に入って官僚にまでなったんだ。東大を卒業したら東大にふさわしい職業に就くものだろう。何でわざわざ官僚の地位から降りたいのか、父さんには理解できん」
「お父さんのそういうところ、私にとっては理解できない」
桜が断言すると、何だと、と父が腕を組んでぎろりとにらんできた。
「東大を出たとか、官僚になったとか、そういう肩書きにお父さんは弱いよね。肩書きがあれば人生楽勝だと思ってるの? 私はそれは絶対違うと思う」
桜は自分の言葉にしっかり力を込める。
家庭の平穏を求めて波風を立てないように生きていた幼い頃の自分は、もういない。いるのは、誰のどんな言葉にも左右されず、自分の頭で考えて進むべき道を決めることができる自立した一人の女性だ。その姿を父に見せるため、ここで引くわけにはいかなかった。
「もちろん、東大を出たり、官僚になったりっていう経験は素晴らしいものだと思う。でも、大事なのはその事実ではなくて、その経験を通してどんな自分を手に入れたかじゃない? 肩書きや地位に縛られて自分の本心に気づけなかったり、気づいても行動できなかったりするのは本当にもったいないことだと思う。それに、これまでの成功で得たものとか、成功に至るための努力っていうのは必ず今後の人生で生きてくると思ってる。だから、たとえ東大を卒業したりキャリア官僚だったりっていう肩書きが無駄になるような選択をしたとしても、人生をトータルで見るときっと無駄にはならないって私は信じてる」
そして、桜は父に向かって堂々と言い放った。
「お父さんはそこまで考えずにただ肩書きだけを大事にしてるように見えるから、浅いなって思うよ」
娘に浅い、ときっぱり言われたことでむっとしたようだ。父が桜の言葉に被せるように返した。
「30年も生きていないような桜が、何を人生分かったように言っているんだ。父さんは、桜がむしろ馬鹿にしているような肩書きが社会で重宝されているところをたくさん見てきたんだ。せっかく手に入れた肩書きをみすみすふいにするようなことをするな」
「お父さんが私のことを心配してくれてるのはすごくよく分かる。でも、だからこそ、私が好きなこと、得意なことを通して社会に貢献したいと思っている気持ちをお父さんにも分かってほしいの」
父は少しの間黙って、それから組んでいた腕をほどき、立ち上がった。これ以上話す気がないのだろう。去り際に一言だけ口にして、自室に戻って行った。
「言いたいことは分かった。だが、売れなくても何も支援してやらんぞ」
父の背中が見えなくなってから、桜は息を吐いた。
ここまで父に対して何かを強く主張したことはなかった。幼い頃あんなに怖く思えた父は、今は娘を心配するがあまりつい強い言葉が出てしまった親バカな存在にも思えた。
「お父さんはいつも頑固で、今回も桜に迷惑をかけてごめんなさいね」
母が申し訳なさそうにしながら、桜にお茶を出してくれた。ありがたくお茶を一口飲み、気にしないでと桜は答える。
「お父さんがあんな感じなのは子供の頃から慣れてるから大丈夫だよ。私もちょっと言いすぎちゃったかも。それにしても、いつになったらあの頑固が治るんだか」
母と顔を見合わせて苦笑する。
「お父さんはああ言ってるけれど、お母さんは桜の決めた道を応援するわよ。私も桜と同じ立場だったからね」
「どういうこと?」
「実はね、私も自分の父親、桜にとってはおじいちゃんね、に夢を反対されて、もう少しで叶うっていうところで諦めたことがあるの」
それは初耳だった。そういえば、母の学生時代や就活期の話は聞いたことがなかった。この機会に聞いてみたいと思い、桜は尋ねてみる。
「お母さんの夢って何だったの?」
「お母さんはね、客室乗務員になりたかったの」
その言葉を聞いて、桜は妙に納得した。母は身長が高くてすらりとしており、目鼻立ちの整った美人だ。大学時代は英語を頑張って勉強していたと聞いたが、普段の仕事では英語を使っていなかったようなので、何があったのだろうと桜は不思議に思っていた。
「大学時代に英語を話せるようになって、就活のときにはセミナーにも通って客室乗務員の内定をいただくことができたの。でも、客室乗務員になるって両親に話したら、おじいちゃんが飛行機は危ないからよしなさいって言って。心配する気持ちは分かるけれど、どの仕事も多かれ少なかれ危ないじゃない? そう言って説得しようとしたんだけどどうしても反対されて、お母さんは泣く泣く内定辞退したのよ」
「そうだったんだ」
作家になるという夢を反対された10歳のときの自分の姿に、母が重なった。
「新卒で就いた仕事にはどうしても身が入らなくて、あのとき客室乗務員になっていればどんな未来があっただろうかって想像してしまう日も多かったのよね。全部おじいちゃんのせいにしたいわけではないのに、おじいちゃんがああ言わなければ夢が叶っていたのにと思うと、後悔の気持ちでいっぱいになるの」
そこまでは悲しそうな表情で話していた母が、今度は真剣な顔になり、桜の目を見つめた。
「大事なことは、誰の言葉がきっかけだったとしても、最終的に自分が決めたって言えるかどうかよ。自分の頭で考えて、自分の心に従って、誰のせいにもせず、自分の選択に全て責任を負う覚悟があれば、どんな道でもうまくやっていけるはずだからね」
桜は、母の視線を受け止め、うん、としっかりうなずいた。
そのあとは母と一緒にテレビを見ながらゆっくり時間を過ごし、お風呂に入って自室に戻った。
これで、退職と小説家への転身の報告を両親に済ませることができた。あとは人事に退職の意向を伝えないといけない。
まだまだ気を抜けないな、と思いつつも、明日だけは心配事も全て忘れ、久しぶりの帰省を楽しもうと思った。
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