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正座という一つの所謂抑止力

読書

人の都合を優先せざるを得ない主婦・ヨメの時間配分は
常に流動的かつ細切れである。
だから「分厚いミステリ」を読むことはナカナカに困難で
いや、ちょとずつ読めば?って言うけどさあ
読み始めたら止めたくないじゃなーい?
だから
いつも目に入るたびに「ここに座って」と囁く

「ここ」にはナカナカ近寄れなくて。

そんなある日の夕方、晩御飯を作り始めるまであと30分ある、と思った私はついこの場所の引力にあらがえずに引き寄せられてぺたりと正座して一番分厚い文庫本に手を伸ばしてしまったのだ。
読みたかった読みたかったんだよーだけど細切れでは読みたくなくていつかどこかで時間を作って誰にも何にも邪魔されない時間を作って思う存分に読みたかったから今まで読まずにここに置いていたけどこんなこと言ってたらそんな時は永遠に来ないでしまうってことはわかってたんだ-
30分だけと思ってページを開き本の世界に沈み込んだ。
読みながら気付いたのが、穏やかにオレンジ色に寄せていく窓辺で本棚を前に畳に正座しての読書ってもしかして京極夏彦の読み方として大正解なのではということ。紙のページを柔らかく照らす午後遅くの陽の光も好ましく。
しかも、正座しているとイスに座っているよりも腰がラク、っていうか全く無理が無いのですな。
正座という姿勢は、足はしびれるが腰の・腰椎の形としてははまっすぐに立っているのと同じく負担の少ない・無理のないS字カーブとなるのだ。
これが「あぐら」だと骨盤が後ろに傾いて腰椎が立っているときと逆に後ろ側にカーブして不自然な形になるし、にわかに立つことが難しくなるのだ。だから「〇〇にあぐらをかく」という言葉があるワケで。
その一方座禅を組む場合には、お尻に丸い座布団、坐布を当てて骨盤を浮かせることで腰椎の形が自然なS字カーブとなり長時間の座禅に取り組める。
さらに加えれば、たとえ京極夏彦の文庫本でもiPadより軽いからラク ♪
ハードカバーだったら書見台が必須ではないだろか(汗
などなどというなんちゃらかんちゃらによりまして

ああこの半畳は好ましい

と感じた次第でござる。
さてそこで
本を閉じて棚に戻した・戻せた理由は
80頁を読んだところで30分が経ったのと
何より足がしびれてしまったから。
これも読書し過ぎの抑止力
なのか?

正座して 京極夏彦 陽かぶく

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