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江戸時代の科学コミュニケーター

勉強
コミュニケーション

ファラデーの「ロウソクの科学」を久々に読んで
改めてファラデーが市井の労働者から大科学者に成長した軌跡を目にして
おやあ、いつかどこかで見たような?と思い起こしたらば
そうだ
江戸時代の人物、魚屋から望遠鏡製作者・天文学者になった
岩橋善兵衛がいた、と。
ファラデーは著名人だが岩橋善兵衛の方は科学史などやった人でなければまだまだ知られていないと思う。これは非常にもったいないことなのでちょっと紹介してみようと。

今から10年以上前になるが「善兵衛ランド」に行ったことがある。

「善兵衛ランド」と言うと大体「全米ランド?」と聞かれるんだぜha!ha!
すごい名称なのは間違いない。
善兵衛ランドというのは岩橋善兵衛の資料館である。
岩橋善兵衛は江戸中期の人で、優れた眼鏡レンズの製作者で
そればかりでなく、望遠鏡も製作し、天体観測も行った人だ。
おそらくはレンズ磨きをする中で西洋の望遠鏡について知ることがあったのだろうと。
これはファラデーが製本工の見習いをする中で本を読み、科学の世界に入って行けたことと通じる、と思う。

岩橋善兵衛が生まれたのは1756年。もともとは魚屋の家に生まれたが、手先の器用な人だったらしくそこを飛び出してレンズ磨きの職人となり、のみならず当時の知識人たちを集めて天体観測会を催して太陽の黒点を見せたりしている。おお、江戸時代の科学コミュニケーターではないか ♪ 望遠鏡を製作した折の記録を始め、天体観測の記録を残すために、ずいぶんと勉強したらしい。当時の知識人たちから学んだことも多かっただろう。
善兵衛の望遠鏡は1797年の寛政の改暦時に幕府の天文方に用いられまた伊能忠敬も用いていた。
さて善兵衛ランドの展示を見て一番興味を惹かれたのが、一見地味な「平天儀」。これは、日にちと時刻による月の満ち欠けと潮の干満をあらわした「早見表」だ。太陰暦ならではである。貝塚市は海辺で善兵衛の実家は魚屋でもあったから、潮の満ち引きは生活の大きな関心事であったと思われる。
一般人からは縁遠いように思われがちな天文知識だが、実は月の満ち欠けと潮の干満を知るという、特に漁師や船乗りの生活に密着したものであるということを「平天儀」は示している。
科学と生活を結びつけた善兵衛だが、これは、彼が魚屋出身の町民であったことと無関係ではないだろう。

ほんの一部の階級にだけ独占されていた知識が少しずつ広がっていったきっかけは印刷術の発明と、ラテン語の聖書を一般人が読めるドイツ語に翻訳した言語の解放だった、とされている。
こう言った出来事がゆくゆく民主主義につながって行くことを科学コミュニケーションの勉強をする中で理解できたのであった。

「窺天鏡」と名付けた望遠鏡を善兵衛が自作したのが1793年、かのマイケル・ファラデーが生まれたのが1791年と、二人の市井の科学者の活躍した時代は重なっている。
私は科学コミュニケーションの勉強をするうちに岩橋善兵衛を知り
善兵衛ランドはどうしても行きたい場所になっていた。
そこは関西空港に程近い貝塚市にあって
貝塚から水間鉄道で三ヶ山口へ、そこから歩いて10分弱の場所にある。
ローカル列車に揺られながらかいだもみ殻を焼く匂いが忘れられない。

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