2012年のこと③
仕事終わりに飲み屋に寄って帰るということを毎晩のようにしていたけれど、それは束の間の解放感が与えてくれた安らぎに安住しているだけだという感覚に襲われるようになった。
襲われるという表現は大げさかもしれない。でもだんだんと「このままではいけない、何でもいいから結果を残すように動き出さねば」と思い始めたるようになる。
2011年の暮れにうつ病と診断されたけど、処方された抗うつ剤がよく効いて見違えるように活動的になった。抑うつ状態に陥る以前よりも。
特に何か嬉しいことや楽しいことがないのに多幸感に溢れ、“今なら何でもできる”という根拠なき自信のようなものが体から湧いてくる。
と言ってコレ!という定まった目標や、やりたいことは分からないままだったのでとりあえず仕事を頑張ることにした。
当時は学生時代に借りていた奨学金の返済があったので、少しでも多くお金を稼ぐことが必要で、それを動機として本業に加えて土日は副業をすることに決めた。
本業では別に誰からも求められていないのに、自分が勝手に「こういう資料があれば助かるだろう」という思い込みの元、日常業務に加えてせっせと次から次に資料を作り上司に提示する。(今から思い返すと特に評価もされていなかったが。)
副業はアルバイトをした。社内規定では禁止されていたけど全てはお金のため。最低時給ぐらいの賃金で早朝から夕方まで働く。仕事内容自体はおもしろくもなんともなく、自分のためになること何一つなく、それでも必死だった。
そんな生活をこの年の秋の終わりぐらいまで続ける。この時期には平日と土日合わせて50連勤ということも経験した。全くしんどくなかった。活き活きと動けていることに喜びを感じていたから。たまたま土曜日のアルバイトが入らず連勤記録は途絶えたが、もしこれがなかったらどれだけ働き続けていたか分からない。11月の終わりだった。
12月になっても意欲的で「来年は資格の勉強をしよう」と思い立ち、とある資格の講座を申し込んだ。1月~6月上旬までの期間で、平日19:00~21:30までの講義。仕事は大体定時で終われるので、終業後そのまま学校に通うスタイルになる。後々これらの一連の行動は過活動として扱われることになるのだけど、そんなこともつゆ知らずとにかく年明けが楽しみだった。「この資格を取ってステップアップして、最終的には独立も・・・」と妄想は膨らむばかり。抗うつ剤も11月には飲む必要もなくなり心療内科も通わずに済むようになった。嬉しかった。
こうして心身ともに力あふれる状態で2013年に入って行くことになる。
その年に自分がどんな状態になるかも全く分からないままに。
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