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エッセイ:陰謀論でしょうか、いいえ、誰でも。


情報の不確かさが不可逆的に拡大していく現代、「正しさ」とは相対的なものであるにしても、ますますわかりにくくなってきている。疑い得ないのは、生存ではないでしょうか。



エコーチェンバー現象(英: Echo chamber)とは、自分と似た意見や思想を持った人々の集まる空間(電子掲示板やSNSなど)内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象。

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不確かな情報

自身の肖像を無断で利用したフェイク動画の詐欺広告をめぐり、実業家がプラットフォーム運営会社を告訴するとか。生成AIによる動画はもう見ただけではフェイクかどうかはわからない。しかし情報の真偽が不明でも、生存している以上、自分の身は自分で守る、これは世の常であります。

聡明な皆様に置かれましては、確実に儲かる投資話などあり得ないことはご承知のはずですが、確実に儲かるのであれば出資を募る必要はないということに尽きる。利回りより低い金利で借金すればいいのですから。

昨今の株高に伴い株価はまだまだ上がる、今買っておいて損はないという言説も同様ですが、証券を「買う」と値上がり分が利益となる、「売る」人よりも「買う」人が多ければ値上がりするので買えという。ある経済評論家がラジオ番組でリスナーに買え買えと呼びかけているのを耳にし、むき出しのポジショントークにドン引きしましたが、正しさとは相対的なものであることを知る聡明な皆様に置かれましては、買えと言われてホイホイ従うなどということはまずないでしょうが。


世界では誰もが「正しい」

しかしポジショントーク的な言説に踊らされる人がなくなることはないでしょう。人は自分が接している情報は「正しい」と思いたがり、その「正しさ」を裏付ける情報をまたさらに求めるものですが、都合のいい情報は容易に見つかります。一家に一台テレビがあってみなで同じものを「正しい」と眺める、もうそんな時代ではありません。

むかし(30年くらい前まで※主観です)は世間があり、世間が「正しさ」を担保していて、それが私たちの「正しさ」でありました。世間の目、世間体などといいましたが、今では一人一台スマートフォン、人の数だけ「正しさ」があるといっていい。世間ではなく世界の中に砂粒のようにバラバラにあって、人は信じたいものを信じる。今さらどうにかできるものではないでしょう。

人それぞれバラバラに「正しさ」があり、誰もが「正しい」、そんな現代にあっても、やはり自分の身は自分で守るしかありません。本稿ではこれを敷衍し、私たちの身もまた、私たち自身で守るしかないと提起したい。
世界の中にバラバラにあって、意見は異なれど、私たちが生存しているということは疑い得ない、ゆえに私たちの生存は正しく、私たちの生存のためにすることが、私たちの正しさであると。

不確かな情報の横溢するこんにち、生存のためには真偽の不明な情報は鵜呑みにしないのはもちろんですが、たとえ真偽の不明な情報であっても、陰謀論といって切り捨てないで、あり得ることだと想像することも、重要ではないでしょうか。


※以下、「こういう言説もあるんだ」
とカッコに入れて目を通して頂ければ幸いです。
あくまでも思考実験として。



陰謀論でしょうか

たとえば所得、、倍増政策を打ち立てたこの国の総理大臣でしたが、いつの間にか資産、、倍増政策を唱え出しましたね。資産運用立国とかいうそうです。高校生には授業で金融の手ほどきをし、金融機関のテレビCMではおカネは大事だからよく考えろと子供が歌う。そして皆様ご存知の、新NISA(少額投資非課税制度)。この資産運用立国なるものの要諦は2000兆円ある日本で暮らす人びとの貯蓄を投資へ回すことらしい。
でもこれで得するのは外国の金融資本ですよね、といったら陰謀論でしょうか。


というのも文雄さん、迎賓館にお招きされて世界の機関投資家と一緒にご飯を食べたらしいんですが、日本の総理が外国人に迎賓館に招かれるって、キ◯タマでも握られているのかも知れません、といったら陰謀論でしょうか。


一兆円を超えるウクライナ支援もそうですがこの国はアメリカの金づる、従順なキャッシュディスペンサーだと見られている、といったら陰謀論でしょうか。


支援によりロシアとの戦争は継続、互いの死傷者はさらに増え、ウクライナはニッポンのお金でアメリカから武器を買う、といったら陰謀論でしょうか。



戦後80年経ってもなお「同盟国」アメリカの軍隊が駐留しておりますが、駐留というよりは「占領」というのが適切である、といったら陰謀論でしょうか。


冗長になるのでもう終わりにしますが、この国は「敵」に取り囲まれている、といったら陰謀論でしょうか。


凡そ世に流布している言説の真偽は不確かなものであります。ですからこの世界は性悪説で眺めるべきである、というのが本稿の主張ですが、これもまた陰謀論でしょうか。



いいえ、誰でも

繰り返しになりますが、人は信じたいものを信じるもの。ですが信じられなくとも、真偽は不明であっても想像することはできます。私たちのありようを考えることも。
私たちとは、私たちとは異なる他者があるゆえに私たちなのであり、それゆえ排他的であるのは私たちのありようであり、それは他者においても同様であります。
私たちの正しさがあれば他者の正しさもある。折り合いがつくこともあれば、相反することも。この意味において、他者とは誰でも潜在的な、、、、、、、」であります。
陰謀とは密かにたくらむ悪事、その企みと字引にありますが、他者の正しさが私たちにとっては悪事となり得るのが世界である。
世界では、性善説は通用しない。それが通用するのは世間だけですが、今はもう――






世界は、無常にして無情であります。

気を許してはなりません。
お読み下さり、有り難うございました。