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過去は変えられないけど、過去の持つ意味は変えることができるよね、という話

今日は「過去のとらえ方」について日頃考えていることを書きたいと思います。


「過去と他人は変えられない」という言葉があります。

私は長く薬物依存症の界隈で過ごしていたのですが、この言葉はよく耳にしました。

薬物依存の人たちやその家族が回復していく過程で「変えられるものと変えられないもの」を見極めて、未来に進んでいくためのスローガンのようなものです。

確かに依存症という病気(共依存も含め)は、他人をコントロールしたくなったり、変えられない過去について悔やんだり、囚われたりしがちです。

だからこのスローガンは、私にとっても自分の行動や思考の暴走に歯止めをかけてくれる良いストッパーになりました。

とても好きな言葉ですが、私はこの「過去は変えられない」という点に関しては、言葉通りに受け取るのではなくて、もう少し柔軟にとらえておくといいんじゃないかなと思っています。

なぜなら、過去そのものは変えられないけど、過去の持つ意味を変えることはできるからです。

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私自身、過去の見え方はずいぶん変わりました。

過去の意味が変わると、本当に人生が楽になります。


そこで、私が「過去の持つ意味」が変わるきっかけになったものをリストアップしてみたいと思います。


自分のかたよった思考のクセを知る

極端に偏った思考パターンは、過去の見え方をゆがめてしまいます。

若かりし頃、私の思考もかなり偏っていました。(もちろん、今も偏りはあります)

そこで、20代前半でアサーティブ・コミュニケーションに出会いました。
これは大きかったです。

※アサーティブとは自分も相手も大切にした自己主張のこと。

そこから少しずつアサーティブな物の見方ができるようになっていきました。

もちろん「歩くアサーティブ人間」みたいになったわけではなく、泥臭く、のたうち回りながらも、いつもかたわらにアサーティブの考え方があった、という感じです。

また、母を亡くしてからは空虚な心を埋めたくて、何を血迷ったか、働きながら大学に編入して心理学を学びました。

そこで統計立てて「人の心」について学べたのも、自分という人間を客観視するいい機会になりました。

仕事が忙しくて2年で卒業できるところを3年かかってしまい仕事との両立は大変でしたが、アサーティブについての専門性も整理されたので、キャリア上もとてもプラスになりました。

このように「知らないことを学ぶ」「新しい考え方を手に入れる」というのは、過去の意味づけを変える助けになります。

なにも大学に入る必要は全くありません。図書館で本を借りる、勉強会に参加してみる、そういう系のYouTubeを見る、これで十分です。

要は、思考にはクセがあって、そのクセが不条理に私たちを苦しめている、ということを知るのが大事です。

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恥ずかしい過去も含め、安心して話せる場を持つこと

一般の人に比べ、私はかなり自分の過去について話してきた方だと思います。

20代は、薬物依存症を家族に持つ人たちの自助グループに長いこと通っていました。12ステップという依存症回復のためのプログラムのミーティングです。

言いっぱなし聞きっぱなしのグループで、ここで人生で初めて自分の過去について人に話しました。苦しい思いをしているのは自分だけではないと知ってとても励まされました。

30代は、カウンセリンググループに通い、ひたすら自分の過去に向き合って、泣く、という時間を取りました。涙を流すことで、心の中にあったゴツゴツした岩が川の流れで丸くなっていくかのように、私の心も穏やかになっていきました。

これらの20代30代の過去に向き合う作業は、過去のとらえ直しという点で明らかに効果的でした。

今も自分に向き合う時間は定期的に取っています。

2年くらい前から性的マイノリティ女性と一緒にコンシャスネスレイジングというグループをやっています。女性特有の社会での生きにくさや性差別について、自分の経験や感情について話し合う会です。

これがめちゃくちゃいいです。マジで。ずいぶんこの会の存在に助けてもらってるし、フェミニズムに関してさらに深く考えられるようになりました。

話はそれますが、私はめっちゃフェミニストです✨️

日本ではフェミニストという言葉がマイナスイメージで語られることが多くて本当に残念だなと思います。

※フェミニストに関してはまた別のnoteで書きます。

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社会の抑圧の構造を知ること

先ほどのフェミニズムとも関係しているのですが、傷ついた過去の背景にどんな社会的構造があるのか、それがわかると少し違う視点から眺められるようになります。

社会に存在する抑圧(ステレオタイプ)が、伸び伸びと自分らしくいることをどれだけ阻害しているのか、知れば知るほど「これは深刻な社会問題だな」と思います。

私はこの辺はアサーティブを実践していく中で理解を深めていきました。

そもそもアサーティブが人権尊重を土台としたコミュニケーションなので、教える側としても社会の抑圧について敏感でないといけないし、ましてやそれに加担するようなことがあってはならないからです。


たとえば、男性がなかなか本音を言い出せずに大事な人と別れることになったとします。

そこにはやはり、男は強くなければいけない、男は弱音を吐いてはいけない、といった「男はこうあるべき」という社会的抑圧が大いに関係しています。

そこで、うまく対応できなかった自分を責めるのはなく、社会的抑圧の構造を知った上で「男としてこうあるべき」から離れることができれば、少し違う景色が見えてくると思うのです。

一人の人間として仲間に助けを求めたり、信頼できる人に話を聞いてもらったりすることで「ダメだった自分」という過去が、「社会的抑圧に影響を受けていた自分」へとフェアなものの見方へと変わっていくのではないかなと思います。

これと似たようなことは女性にもあるし、性的マイノリティの人にもあるし、病気を抱えた人にもあります。

というか社会に存在するさまざまな立場の人に共通する問題です。


私自身、つらかった子ども時代の記憶は、ずいぶんと景色が変わりました。社会的な視点から私に何が起きていたのか、父親、母親にはどのような葛藤があったのか、そんなことを想像できるようになったら、つらかった過去すらも一人一人が賢明に生きた証としていとおしく思えるようになりました。



もちろん、本当に辛い過去もあるし一人で思い出すには過酷すぎる過去もあると思います。

それで、もしその過去について「自分がダメだったからだ」というループに入っているとしたら、そこからは少し抜けられたらいいなと思います。

専門家の助けが必要な場合もあるので、どうぞ無理しないでほしいなと思います。


ということで、

つらつらと思ったことを書きましたが「過去は変えられないけど、過去の持つ意味は変えることができるよね」という話でした。

(「他人は変えられない」の部分に関してはまた別の機会にnoteに書きます)

トマトのあんかけ

(今日の夜ご飯、鶏挽肉と豆腐とトマトのあんかけ丼)


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