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配信「ホームレッスン」を見て

どうしようか迷って結局ギリギリに配信を買って見始めた。
もう何度も見てるけど、配信で見ると自分では見れない角度で切り取られててそこが新鮮だった。
ただ準備を整えず見始めたので、途中途中イヤホンの音声だけだったり、気を散らして何かしながら見ていた。

そんな5回目の鑑賞で思ったこと。

家訓があるということは全てそれが決めてくれるから思考が停止される。それは楽なことだ。何かがあった時いちいち考えて、家族でやり合って乗り越えていくことはめんどくさいことだ。

大人は家訓で思考を停止しても周囲と折り合いをつけながらなんとかやっていける。
純粋に幼い頃から家訓のなかで育った朔太郎は大きくなるにつれ、疑問を抱いたことだろう。
周りから揶揄われることもあったかもしれない。それで孤独になっていったのかもしれない。それで一年半の監禁に至ったのではないだろうか。

失敗をさせないための家訓。家族を守るための家訓。それがお父さんから「こんな家」と言われる家になる。
誰かが怪我をしていても、平然と「ご飯」という家、血だらけになりながら食後の体操を踊る家、電話の電源を入れてはいけない家。歪みのマックスだ。

ラストの朔太郎の表情。それまでの張り詰めたものと違い、やさしそう。冒頭の大夢もやさしそうだが、なんか上っ面だけの笑顔であり、言葉だった。朔太郎は違っていた。その対比。

今回はお父さんが心に残った。
お母さんを守ろうとして始めた家訓に縛られて家族が壊れていった。でもどうすることもできない無力さを抱えたお父さん。

何回見ても毎回考えさせられてしまう。ほんとにこれで最後だ。

一番見たかったアフタートークが見れて良かった。田中さんの舞台、またぜひ見てみたい。

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