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舞台「ホームレッスン」からまたまた考えたこと

昨日は3回目の「ホームレッスン」鑑賞だった。上手側の端っこだったから、見づらいところもあったけど、演者さんたちの汗や「三上家の家訓」の文字も見えた。特に主役の田中さんを近くで見ることが多く、微妙な表情の変化もじっくり見ることができた。

昨日はラストのほうでの花蓮の「めんどくさいことをしようよ」がずしんと響いた。

わたしはめんどくさいことが嫌だから、夫と、子どもたちと向き合わずに逃げてきたのではないかと。

家訓があると全ての判断基準はそれになる。思考が停止することだ。それは絆、繋ぎ止めるものかもしれないけど、朔太郎が物置部屋で繋がれていた鎖と一緒だ。

堀夏喜くんと武田さんは目の力の強さが似ていて、きょうだいだ、と思った。めが語る。

家訓を他言しないことを定めたルールがあるということは他言したら批判される、おかしいことに気付かれるというのは作ったお母さんにもわかっていたのではないか。それがわかっていて止められなかったお父さん。めんどくさいことから逃げてたんだよね。

ラストで家訓ではなく、母親の息子への愛情として「ダメ」「もう家訓はやめる」と言った言葉で怒った花蓮。そうなんだよ、うちの実家もそうだった。わたしにはダメ、と言ったことが弟にはOKだった。わたしは親の言うことを聞いていい子にしてたのに、母は最後まで弟を頼りにしていた。

お母さんは数学の教師。数学は⚪︎と×の世界だ。こんばんは、とこんにちはの間はない。曖昧さが許せない。
大夢は心の根っこがない、弱い。だから家訓のような判断基準に染まってしまった。大夢の心の根っこは三上先生の言葉だったのかもしれない。

あの後、あの家族はどうなったのか。ラストの朔太郎の様子から幸せになったのだと信じたい。

物置朔太郎と食卓朔太郎、ラスト朔太郎と微妙に違うんだよ。そこも素晴らしいと思った。ラストの語りを全部聞けるかな、と思ったけど、前にいても聞こえなかった。

今回で私の「ホームレッスン」は終わり。でもああ、もう一回見たい。千秋楽の当日券、昨夜チャレンジしたけど、タイミングを逸して買えなかった。他のプレイガイドで買えるかなー買えたらいいな。

多分自分の人生に影響を与えた作品の一つになったと思う。見るきっかけをくれた堀夏喜くんありがとう。

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