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連休明けの登校しぶり

こんにちは。さなぎです。

GWが明けましたね。
息子、元気にN中等部に通っています。
(タイトルが釣りみたいになってすみません)

思えば彼の小学校時代、大型連休明けはわたしも憂鬱でした。

低学年の時は半ば無理やり。
中学年ではご褒美で釣る。
高学年では必要性を話す。

わたし自身も手探りの連続。
6年間彼も苦しみましたが、見ているわたしたち親も悩みました。

今回はそんな「連休明けの登校しぶり」のお話。
小学校時代を振り返ってみようかと。

もし今「どうしよう。」と悩んでいる方がいたら参考にしてみてください。

無理に行かせるべきか

以前こちらのお話をしました。

毎朝繰り広げられる「行く行かない」のバトル。

お父さんに無理やり運ばれていく子。
お母さんと1時間近くの話し合いの末、帰宅する子。
10時ごろに来て、12時に帰宅する子。

息子はどうだったかなとふと思い出してみると、1年生から行きたくなさそうでした。

今思えば”大人数が苦手だもんな〜”ですが、当時はまだ誰も気づいておらず、連休明けの数日は毎朝30分ほどわたしと話し合い。

ひどい時は教室の外に机を出して授業を受ける。
でも保健室や相談室に逃げ込むことはしませんでした。

6年生になり、N中等部を目指し始めた途端にプツッと糸が切れる。

それでも彼は通うことはやめませんでした。

とりあえず職員室で過ごしてみよう。
ずっと職員室なのも行けないから、相談室に行ってみよう。
相談室なら過ごせるかもしれない。

そうして小学校生活最後の半年を相談室で過ごしていました。

さてさて、振り返りはここまでとしましょう。

議題は『無理やり行かせるべきか?』ということでしたね。

わたしの結論は『 ノー。でもしっかり話し合うべき。』

とあるお父さんが少年を運搬している時はだいぶびっくりしました。

「行かないと警察に捕まるぞ👮‍♀️」と半ば脅迫

これはいけません。嘘はいけません。

とはいえ、最初から”行かなくていいよ”も違うと思います。

分かりますよ。行かせたい気持ち。

学校に行かないと取り残されてしまう気がするし、お友達の会話に入れないかもしれない。
取り残されてしまったらこの子の将来はどうなってしまうのか?と不安になる気持ち。

すごくすごくすごく分かります。
わたしもそうでした。

でも本人の気持ちになってみましょう。
人によって理由は違うと思いますが、必ず何かしらの理由があります。

本人も気づいていないレベルの理由かもしれません。
その答え合わせは高学年以降になることが多い。

年齢を重ねて、本人も考えられるようになります。

息子もそうでした。

「今思えば、年長さんくらいからたくさん人がいるの苦手だったんだよね。」と最近になり本人からカミングアウト。

わたし「なんで言わなかったの?」
息子「分からなかったもん。なんで嫌なのか。何話していいか分からないし。」。

本人が分からないものに対して、親が聞きもしないで無理やり連れていく。
そうまでして学校って行かなければならない場所なのでしょうか?

学校は何を学ぶ場所?

こうやって言葉にしていると、”某少年革命家YouTuberくんと似たような思考なのか?コイツは”と思われるかもしれません。

先に言っておきます。

『全然違います🙋‍♀️』

”行きたくなければ行かなくていい。”なんてそんな甘い世の中ではありません。

”本来行った方がいいけれど、行けない理由もある。”
それに向き合いもせずに初めから逃げているのはよろしくない。

最近よく言われます。

『日本の教育は軍隊を作るために出来た。時代遅れだ。』と。

それは確かにそうかもしれません。
でもその”レール”の上にいれば”それなりの教育”が受けられます。

子どもたちが平等にそれなりの教育が受けられる国は多くはありません。

確かにそう思います。

ただ、忘れてはいけないのが”そのレールに向かない子もいる”ということ。

息子もまさにそうでした。
幸いなことに(いや、幸いでもないのか)息子はガッツリ気づいたのが高学年。
卒業を次の春に控えたタイミングだった。つまり残りの我慢期が短かったんですね。

これが残り数年残していたら…。

当時わたしは無我夢中でした。

学校までの送り迎え。
どんな日も行きました。

本当に辛い日は”給食食べたら迎えにいくね”と約束をする。

「ほんのたまにお休みしてもいいよ。リフレッシュの日ね。」と声をかける。

毎週お友達と帰宅後に遊んでもらっていました。

で、がむしゃらに動いていたら6年生になっていた。
正直これが良かったのかどうかは分かりません。

1つ言えるのは「学校、通ったもん。」と本人が今思えていること。

常々彼に伝えていたことがあります。

わたし『学校を楽しんでとは言わないよ。お友達をたくさん作ろうねとも言わない。たまたまこの地域で生まれた同じ年の子たちと仲良くしようとも言わない。でも生きていくと必ず人と関わる。だから人を学びに学校へ行く。学校でいろんな人を観察してごらん。本当にいろーんな人がいるよ。学校で小さな社会生活を学べたらいいね。』

時間はかかりましたが、彼なりに多少は解釈出来たみたいですね。

時々お休みを挟みつつも、卒業まで通うことが出来ました。

学びの場所を変える

小学校3年生後半あたりから中学受験を考えるように。

「学びの場所や人を変えれば楽しく通えるかもしれない。」

しかしこの夢はあっさり崩れました。

理由は「大人数が苦手ということが判明」したから。

いくら学びの場所を変えたとしても、人数が多いことがそもそも苦手なら希望は薄い。
そうなると別ルートからの模索。

5年生の終わり頃に気づいてから、正直手詰まり。
一旦、そのまま進学する予定で話を進めていました。

そしてふとわたしは思いました。
「高校は通信でもいい。卒業はしないとなぁ。今はN高が大きくなってるし、楽しそうだよなぁ。調べておくか。」

中学校の3年間を棒に振う可能性もあることを考えつつ、その先を考えてN高について調べてみる。

「ん?N中等部?」

光り輝く”N中等部”の文字。

フリースクールの扱いになりそうだけど、楽しそうだぞ。

恐る恐る夫に伝えてみる。

わたし「ねぇねぇN高の中学ver.があるらしいよ。」
夫「何それ?調べてみる!…(数分後)よし、見学行こうか。」

お前さん、神や👼

”新しい可能性があるならやってみないと分からない”

夫がそう言ってくれたのは本当にありがたい。
(というか現実問題お金かかるし)

その後とんとん拍子で入学が決まりました。

そして初めてのGW。

息子「ねぇ、連休っていつまで?」
わたし「なんで?5月7日までだよ。」
息子「早くN中始まらないかなーって。」

わたしビックリ😳
夫もビックリ😳

環境を変えるだけでこんなに変わるんだ…と思ったのです。

ただ間違って欲しくないのは『全ての人が環境を変えるだけで変わるわけではない。』ということ。

その子に合った環境で、
家計の身の丈にあった環境で、
送迎の現実問題をクリアした状態で通えること。

蓋を開けてみないと分からない一種の賭けでもあります。

でも逆もそう。

そのまま何もせず、ただただ苦しむ彼をみることが出来るかと言われたら私たちには出来なかった。

何か変えないと。
何かしないと。

息子が楽しく通えている今、決断して本当に良かったと思っています。

別にそれはN中等部でなくてもいいんです。
たまたまその場所を我が家が選んだだけ。

その子にとって”家以外の居場所”となる場所が見つかったらそれは本当に幸せなこと。

連休明けの今。

辛いな、辛いなと思っているお子さんも多いと思います。

見て見ぬふりをせず、そっと話す。
時間はかかるかもしれないけれど、根気よく話す。

まだまだ人生長いです。
親が環境を作らなくてどうしてあげられるのか。

親も責任を持たないといけないなと改めて思います。

ゆっくり。でも時間はすぐ過ぎます。
お父さん、お母さん。ともに頑張りましょうね!

今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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