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”ひとり”は気にならない?

こんにちは。さなぎです。

春休みが終わりに近づいていますね。
息子も中学生の仲間入りです。

最近こんな記事を見かけました。

その中で著者が話した「内向的であることを受け入れた瞬間から、外向的に憧れることがなくなりました」という言葉。

こちらの本を書かれた八木仁平さんの言葉です。

思わずハッとしました。

わたし自身がまさにその”囚われ”があったのです。

今日はそんなお話。

春休み中、のんびり家で過ごす

さて、息子はといいますと春休み中にずっと仲良くしてくれているお友達と1度だけ遊びました。

スマホに依存していない息子。
全然友達と遊ぼうとしない。

周りはみんなSwitchでオンラインで繋がってゲームしている。
彼がゲームをするときに誰かを誘うことはありません。

のんびり気ままに過ごす息子を横目にわたしが思っていたこと。

『誰とも遊ばなくて大丈夫なのかな?』

でもこれこそが”囚われ”だと気付いたのです。

・休み中誰かと遊ばなければならないのか?
・一人で気楽で何が悪いのか?
・本人は遊びたいと思っているのか?

先ほどの一文から、わたしの脳みその中で一気に過去の記憶やらいろんなことが駆け巡る。

そして得た結論がこちら。

『いや、本人がいいならよくないか?』

そうなんです。
本人が寂しいとも思っていなければ何もマイナスなことはありません。

気になって本人に直撃してみました。

👩わたし「ねぇ、〇〇(息子)くん。春休み、誰かと遊ばないの?」
👦息子「え、特にいいや。」

👩わたし「質問してもいい?そもそも誰かと遊びたい?」
👦息子「いや。思わないよ。」

👩わたし「寂しくはないの?」
👦息子「全然。気楽じゃない?」

息子、わたしより達観している…。

いや違う、わたしが変な”囚われ”にこだわっているんだ。
そう気付いたのはこの時でした。

思い返せば女子の学生時代

そういえばわたしの学生時代(注:現在30代半ば)。
小学校後半になり携帯電話が登場🤙

しばらくは親の携帯電話を借りて友達や彼と連絡を取っていました。

自分専用の携帯電話を持ったのは中学3年生の時。
期末テストで○位以内に入ったら買ってくれるということで張り切りました。
覚えていますよ。めっちゃオレンジ色の携帯電話。

その時までは”直接誰かに会わないと話せなかった”んです。
約束する時は学校か、家の電話か、直接訪問。
遊びに行っても空振りして帰宅することもしばしば。

女子の世界では特にグループが出来上がります。
だから「誰かと一緒じゃないと寂しい」という変な”囚われ”がありました。

中学校、高校も同じ。

高校は1年生の時は女子感満載の人間関係でした。
誰かと一緒にいたいか、と言われたら…どちらでもよかった

でも誰かと一緒にいないと寂しい人と思われる。それも嫌。
だからかなんとなく話せる子と一緒にいました。

その子が休んだ日はもう孤独です。依存していたんですね。
高校1年生のあの日々は本当に思い出したくない。

その後、文系理系選択があり、わたしは理系を選択。
これによりクラスに女子は1/3程度。15人くらいでした。

理系女子はみんなあっさり系です。

「トイレ、一緒に行こ!」もないし、毎日同じ子とずっといることも少なかった。
なんならクラスの女子みんなで1つ。誰と一緒にいてもいいし、一人でも誰も突っ込まない。

2年生から3年生のクラス替えも、2クラスある生物選択の女子が2つに分かれるだけなので半分はそのまま同じクラス。体育の授業も一緒でした。

本当に気楽だったなぁ。
あっさりしているからか、卒業後もあっさり。

LINEでは繋がっていますが、わざわざ定期的に集まることはありません。
40歳になったら集まるのもいいなぁ、なんて思ってますが(笑)

そして専門学校時代。
これが選択をミスった。

女子の人間関係満載の医療系に進学してしまったのです。
家庭の事情で大学進学をあえてやめて入った地元の専門学校。

わたしにはプライドもありました。
(のちにこのプライドが自分を破壊します)

案の定、精神的に病んでしまいみんなが卒業する日に退学。
幸運なことにその後すぐ結婚しました。そして今こんな感じ。

だからずっと「独り」が怖かったんです。

苦手なものは苦手

少々自分語りをしてしまいましたが、何が言いたいかというと『無理をしているとどこかで歯車が狂う』ということ。

わたしは無理をして誰かと一緒にいました。
じゃないと寂しい人間だと勘違いしていました。

だからか今でもなんとなく上っ面の知り合いが大量に存在します。
一人でもいいんだと気づいたのがごく最近のことですから。

祖母には「あなたは人当たりがいいね。たくさん知り合いがいていいね。」と言われます👵

でもわたしが本当に心を許して話せる人はいても3人。

”誰かに囲まれていたら幸せ”というのはあくまで外向的な人。
思い返すとわたしは小学校時代からずっと内向的。

無理をして外向的な人格を装っていたんです。
親を心配させたくなかったし、妹が内向的だったのでわたしくらいはしっかりしなきゃと無意識下で思っていたのでしょう。健気ですね。

しかしそのしわ寄せは見事に30代に入り露呈しました。
わたし自身はフリーランスで働いていたということもあり、じわじわと自分の仕事をスライドさせて自宅である程度形を作れるようになってきました。

正直今、めちゃめちゃ気楽です。
とはいえやっぱりまだまだ”独り”の状況に一抹の不安を覚えることもあります。

かといって誰かとワイワイ交流したいかと言われたら答えは”No.”。
フリーランスのいろんな聞きたいこと、コミュニティとかに参加してもいいのに勇気が出ません。Twitterも見る専門です。

じゃあ一人でいいじゃないか!と思うのにそれもなんだか不安。
脳みその癖はなかなか取れませんよね。

そもそも人間はみんなで狩りをしていた民族。
集団行動をするように脳はプログラムされているし、日本は特に同調圧力が強いお国柄。

でも苦手なものは苦手。

そして息子は「別に今寂しくないし、外に行く時は行くし。」とあっけらかん。

清々しいですね。

もしかしたら今後この考え方がマイナスに働くこともあるかもしれません。
それはその時に修正したらいい。まだ中学生ですから。

いくらでも学んで吸収することが出来ます。
だから我が家はちょっと違う進路を選んだんです。

そうそう。
息子の進路ですが、「N中等部」です。

どこのキャンバスかは言えませんが、通学コース。
ずっとフリースクールと言っていましたが、半分社会勉強を兼ねての選択をしました。扱いはフリースクールになるため、在籍は地元の中学校です。

中高一貫とお話ししていたのも、高校にN/S高等学校があるから。

もうすぐ入学式。
ここからはN中等部での息子の様子もお伝えしていきますね。

新しい学びの場所が彼にとって実りあるものになりますように。

今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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