”普通”を選択しない勇気
こんにちは。さなぎです。
”学校=勉強する場所”という認識は正解なようで、正解ではありません。
なぜなら勉強は自分でするものだから。
個人的には”学校は社会を学ぶ場所”なのかなと思っています。
言い方は難しいですが、小学校と中学校というのは「その地区でたまたま同じ学年に生まれた子」の寄せ集め。
お受験をすれば環境は変わりますが、多くは自分の住む地域にある小学校や中学校に通います。
だからその場所が合わない、というのは往々にしてあり得ること。
学校に行きたくなくなったり、行けなくなることもあるでしょう。
いわゆる”普通”から少しはみ出してしまう時だってあります。
とはいえ日本には義務教育法という法律があり、親は子どもに教育を受けさせる義務があります。
なので親は子をなんとかして学校に通わせようとするし、自身も少なからず苦しみながら通い続けたのです。
ただ近年はこの義務教育の考え方も変わっている様子。
最近、某少年革命家YouTuberくんが話題になっていますね。
個人的には「なんらかの理由があって行けない子もいる」というのは理解出来ます。
(彼の場合は少々方向性が違うようには思ってしまいますが…)
若いって素敵だな、と思わせてくれる反面、
彼はどう歳を重ねていくのだろうか、という心配もあります。
…これ以上は語りません(笑)
さて、今回は「義務教育とフリースクール」についてわたしなりに考えてみようと思います。
義務教育とは
義務教育とは国や政府、保護者などが子どもに受けさせなければならない教育のことを言います。
日本では憲法第26条第2項にこんな記載があります。
義務教育の対象期間は「満6歳に達した日の翌日以後の最初の4月1日から、満12歳に達した日の属する学年の終わりまでの6年間。さらに子どもが小学校の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまでの3年間。」を指します。
日本ではそれを”小学校6年間+中学校3年間”、合計で9年間になります。
一般的にはここに高等学校(高校)もプラスして「6・3・3」という考え方になります。
地域の寄せ集め
義務教育という概念については『すべての子どもを平等に育てる』という意味で素敵な制度だと思います。
難しいのが”同じ地域で、たまたま同じ学年で生まれた人間を集めた”という環境であること。
もちろんそんなことはどこでもありえますが、みんながみんなそこに馴染めるとも限りません。
ある場所ではいじめが起きてしまったり、ある場所ではなぜか非行にはしる子どもが多かったり。集団が苦手な子だっているでしょう。
持って生まれた境遇、と言ってはそれまでになりますがその環境が難しい子も必ず出てきます。
日本では平等な教育をするために、成績の良い子も成績の悪い子も小学校中学校を同じ方法で学びにつきます。
これは戦後のモノづくりを基盤とした産業を発展するために必要とされていたため、どちらかといえば成績の良い子を伸ばすことよりも成績の悪い子に合わせるという文化が浸透したことが現在まで残っているそうです。
わたしが高校生だったのはかれこれ20年くらい前になります。
思えばその頃からほとんど何も環境は変わっていません。
そりゃネットが普及した現在、違和感を感じる人が増えてくるわけです。
強いて言えば英語が明らかに難しくなっていることと、タブレットなどを使った授業をしていることが変わった部分でしょうか。あとスマホが学校に持ち込める、とか。(よく携帯を持ち込んで注意されたなぁ。)
英語といってもやはり文法先行の勉強法。
頭の中にさっぱり残らなかったわたしの英語力はどこかへ消え去りました(笑)
「みんなが行くから行く、みんながやるからやる」
良し悪しなのかもしれません。
少なくとも現状、息子は地域の小学校に通うことがとても辛かった。
このまま中学に進むことは本人にとってはさらに辛いでしょうし、親としても”このままでいいのかな”と思わざるを得なかったのです。
フリースクールの位置付け
そんな中、我が家が選んだ進路は”フリースクール”でした。
怖くないわけありませんよ。だって私たち両親も普通の教育を受けてきたのですから。普通から外れることにはもちろん恐怖を感じます。
正直頭の片隅にもなかったところから、突然選択肢に躍り出てきたフリースクール。
一体どんな場所なのでしょうか。
公的な機関ではなく、個人や民間企業、NPO法人によって運営されています。
ここでポイントなのは”公的な機関ではない”こと。
先ほどお話ししたように小中学校は義務教育期間。
なのでフリースクールに通う場合は地元の小中学校に籍を置いた状態で通うことになります。
そして在校している学校の校長先生が認めてくれる場合はフリースクールに通っている時間を「登校扱い」にしてもらえることもあります。
(学校とのやりとりについてはまた別の機会に)
近年は国がフリースクールの重要性を認め始めてきています。
これは小中学生の不登校が爆増してきているから。
特にコロナ禍以降、さらに増えてきており、1つの重要な要素として議題に上がってきています。
そんな中2018年に「教育機会確保法」が施行され、フリースクールなどの重要性を認めて、小中学校と連携を求めるなどの支援を本格化してきました。
また、2019年秋の文部科学省の通達によると「学校に復帰すること」よりも「社会的な自立を目指した支援」に照準が変わってきています。
少しずつですが、時代は変わってきていますね。
フリースクールと一口に言っても種類はさまざま。
息子が春から通う場所では”社会的自立に向けた支援”がとても強いように思いますし、親としてもその要素の強いところを選びました。かなり前のめりです。
入学したらお話ししますね。学ぶのが好きな息子には楽しそうな場所ですよ😊
”普通”を選択しない勇気
今でも大声で「フリースクールに通います!」とは言えませんが、少なくとも「違う場所で頑張るんだ」くらいは言えるようになりました。
それでもやはり親としては『普通ではない進路を後ろめたく感じてしまう』というのは事実。
もちろん選択に後悔はないし、必要なことだと分かっているけれど、周りから見たら”普通”の選択ではないですから。
私たち親が振り切れた理由は「私たちとは時代が違う」ということを受け入れたから。学校が「テンプレ」だとしたら、息子は「ちょっとだけオーダーメード要素があった」しただけ。
そしてもう1つの大きな理由。
お金の部分をクリアすることが出来たから。
フリースクールは公的な機関ではありません。
だから義務教育法で言われている”無償”の部分からは外れています。
1ヶ月通うだけで数万円かかります。
交通費も入れると、ねぇ(笑)片手では全然足りませんよ。
幸いにも夫が「子どものためなら良いと思う」という考えを持っており、わたしも「子どものために駅までの送り迎えする」という考えがあった。
せっかく私たちの宝として生まれてきてくれたのですから、できることはしたいのです。
環境が恵まれていることは言うまでもありません。
家族の力を存分に借りられる環境がとてもありがたい。
”普通”を選択しないことは今ではなく、将来きっと意味があるはず。
そう信じて前を向いていこうと思います😊
今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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