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自信ってなに?必要?

「自信がないんだよね」っていう言い訳をよくよくしてきた。

小さい頃は、とにかく自信に満ち溢れていたのを覚えている。運動と美術だけはてんでダメだったが、それ以外は周りに比べてよく出来た方だった。
(運動はシャトルラン最高記録7回、美術は担任の先生に「一時はどうなる事かと思った」などと言われるレベル)

特に
・容姿
・芝居
・勉強
の3つにはとてつもない自信があったし、プライドに関してもそれはそれは高くて、エベレストなんぞ敵ではないくらいの高さだった。


容姿に自信を持っていたなんて言ったら、今の僕を知る人は失笑するだろうと思うが、当時は本当に自分のことをイケメンだと信じていた。し、実際に可愛らしい方だったと思う。
というのも、所属していた芸能事務所ではイケメン枠として扱いを受けていたし、容姿について悪口を言われることは全く無かった。

ただ、この自信は中学入学後すぐにへし折られることとなった。ある日、国語の授業中、友達に鼻の大きさを指摘された。人生で初めての経験だった。容姿について悪く言われるなんて、一生ないと心のどこかで思っていたのだろう。酷く落ち込んだし、そのときの映像は脳裏にハッキリと焼きついている。

それ以来、様々な友人から容姿をいじられるようになった。当時、地味なキャラだった僕はいじられキャラとしての地位を獲得したことに少し喜んだが、やっぱり自分の容姿は特別なんだと信じていたから、ショックの方が大きかった。自分の良いところが分からなくなった。自分のことが少し嫌いになった。死にたくなった。


容姿という武器を失った、もしくは、そんな武器など最初から無かったのだと自覚させられた僕が次に縋ったのは勉強だった。

勉強に関しては、小学校で圧倒的トップの成績を塾なしでキープしていたことが大きい。正直言って周りの子たちを見下していた節もあった。何の科目を取っても負け無しだった。

そのまま塾なしで中学受験に成功してしまったことでこの傲慢さはさらに加速した。中学入学後、周りのレベルが上がったことで一時は平均より下まで成績が落ち込んだが、本気を出して勉強してみたら、あっという間に学年上位10人に食い込むことが出来た。周りは僕を、勉強だけは得意な男として扱った。俺には勉強しかないと思った。

あるとき、僕の上には2人しかいなくなった。どうしても勝てない2人だった。しかも2人は人間としても尊敬できる人で、僕はそのとき初めて、あの人達を追いかけようという気持ちが、あいつらを勉強で負かしてやろうという気持ちを追い越したのを感じた。

当時中3だった僕の耳に入ってきたのは、その2人が3年後、東京大学を受験するという事実だった。その瞬間から、僕は東大志望となった。2人に並ぼうと思った。2人を追いかけたかったし、2人に置いていかれたくはなかった。
しかも、東大に合格出来れば自分が勉強だけは出来るんだということの証明になる。

人生で初めて本気で向き合えたのが受験勉強だった。2人はとにかく素敵な人間だったからモチベーションが途切れることはまずなかった。自分の圧倒的頭脳を見せつけたかったから、モチベーションが途切れることはまずなかった。
加えて、YouTubeなどで東大に通っているたくさんの魅力的な人を見た。
とにかく行きたくて行きたくてたまらなかったから毎日狂ったように勉強したし、休憩中も気づいたら検索エンジンで「東大」と検索している程だった。

結局2023年の3月10日、東大に落ちた。
僕は2人に追いつくことが出来ずに、高校生活を終えることとなった。
僕は自分の頭脳の平凡さを、巨大なハンマーで殴られながら痛感した。

自分の良いところなんて無いと思った。自分のことが大嫌いになった。死にたくなった。


じゃあ次は芝居に縋るのかと言われれば、もう多分そんなことは無い。それは、自分の芝居に自信が無いからでは無い。芝居にはちゃんと向き合ってきた自信がある。

だけれども、それくらい芝居に向き合ってきた人間は僕以外にもいくらでもいる。

僕以上に容姿に優れた人間はいくらでもいる。

僕以上に受験勉強に実直に向き合った人間はいくらでもいる。

でも、こんな僕を大切に思ってくれる人が思いの外いることにようやく気づいた。
こんな僕でも楽しむことが出来て、時間を忘れることが出来る趣味が見つかった。
こっちに目を向けてみたら、実は人生は楽しかった。

なにかで1番じゃなきゃ価値がない、1番しか価値がないというのは思い込みだった。

今、何事においても僕は1番じゃないけど、良いところは別にあると思うし、自分のことは好きだし、死にたくない。

完全に自信を取り戻したと言えば嘘になる。自分なんて、と思ってしまうから人に意見するのは怖いし、誰も僕に恋なんてしないだろうと思うし、お笑いでも短歌でもトップになれるとは思わない。

でも、なんとなく今が楽しい。
ひたすらトップを目指してヒリついてた日々も恋しいけれど、いずれ戻りたくなったらそっちに戻ればいいや、と思う。

トップを目指してひたすら苦しみもがくのも、今あるものに目を向けて気楽に生きるのも、
どちらも尊いし、尊くない。

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