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猪突猛進【ねずみのフレデリックは詩人か詐欺師か】

レオレオニさんの「フレデリック」という絵本に出てくるねずみのフレデリックが大好きで、ぬいぐるみを、大中小ミニ持っています。
 
そんなフレデリックの物語、少し気になることがあります。
あらすじを簡単に説明すると、冬に向けて一生懸命木の実を集める仲間たちを横目にフレデリックは働きません。
フレデリックの言い分としては、冬は何も無いから色や言葉を集めてるとのことで、実際この後鬱々し始める仲間たちを救うのはフレデリックの言葉でした。
「君、詩人だね」と言われて照れくさそうにはにかむフレデリックの絵でこの絵本は終わります。

私は思いました。

いや、働きながらでも色や言葉は集められるでしょ!
何ならおひさまの光を浴びるどんぐりの暖かさとかそういうのって働いてないと分からないでしょ!

そう思いました。
ですが、就労移行支援所に通っていたときのことです。
書店で実習を始めた私は、なんと詩のことを考える暇もありませんでした。
疲れ果てて、詩的感性は全滅。
そのときに書いた詩がこちらです。


【堕落】
 労働が時間を食い破る

 忙しなさが詩を忘れさせる

 いつぶりだろうか、4日も不在の詩作脳

 「寂しい」「何か足りない」と感じる暇もない疲労が

 在り来りな生活を味気なく動かす

 社会不適合者のほうが性に合っていたなんて

 どうしようもないな


改めて読むとなんというやさぐれた詩でしょう。
もう一編私は詩を書きました。

【労働詩人】
 五月の雨空にぽっかりと溜息を浮かべて   
 生活の真ん中に時計の針を刺す
 無音の秒針が回り始めたのを見届けてから 
 私はビルの建ち並ぶ都会へと出る
 都会と言ってもただの中都市の真ん中である
 それから私は数年ぶりに働く 
 それとない微笑みを拵(こしら)えて
 年に合わない腰痛を抱え
 靴の底はすぐにぺったんこ
 失敗のいちいちに物憂い
 今朝描いたばかりの眉の位置を気にする
 下がってないか
 また吊り上がっていないか
 平坦な、そして平凡な「それっぽさ」の演出
 そして現在(いま)は昼休み
 気怠い体をもって
 椅子の上にかろうじて座っている
 ああ、どうしようもなく、
 悲しい
 社会に出ていなかった頃の
 烈々な…
 もう言葉にするのさえ疲れてしまった
 ねずみのフレデリックは働かなかった
 働きながらも詩人はできるものなのに
 しかし、今や私は働きねずみ
 フレデリックは詩的な眼差しに神経を注いでいたのかと今頃知る
 フレデリックに 
 「君、詩人だね」なんて言うものか
 詩的感性よりも疲労状態に気づいてしまった私は
 最早詩人なぞとは呼べる者ではない
 ああ、虚しい
 詩が書きたいとさえ思わない
 しかしそれでも浮かぶ詩を
 取り留めもなくノートに書き込み
 昼休憩が終わろうとしている

 フレデリック、お前は呑気なものだ

 働かなくてもペテン師のような口ぶりで
 詩ひとつで食って行けるのだから

 私は労働者であり、詩人である
 そのような者を目指すのだ
 決してフレデリックになんぞなりはしないと………

フレデリックに対しての対抗心が凄い詩です。
この詩を書いたとき、私は本当に絶望していました。
労働と創作の二刀流をこなすにはいかにパワーが足りないかを感じたからです。
ですが、私はやはり労働詩人を諦めきれません。
フレデリックのような生粋の詩人より、労働で得たものを詩に変換したり、社会とコミュニケーションを取って私の詩的感性を広げたいのです。

とかなんとか言いながら今はB型作業所に通っていますが、これからも目指せ!労働!で頑張っていきたいです。

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