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恐怖!迫りくる老化現象

大谷先生への手紙を、わたしは改めて読み返した。
いろいろあった後なので、「読みたくないなぁ」と先生に思わせないよう苦心した。冒頭に「果たし状でも来たか」とぶち込んだのは、クスっと笑ってリラックスして欲しかったからだった。

先生の笑顔にわたし弱いんです。私は先生の言うことならなんでも聞きます、御しやすい女です。

冒頭、文中、文末で繰り返しそのことを伝えた。手紙全体から、先生への好意をほんのりにじませることに心を配った。先生は仕事で女性ばかりを相手にしている。患者から告白されたり、ラブレターをもらったりしたことは何度もあるはずだ。それとなく好意を示されたぐらいで、先生の気持ちに刺さることはないだろう。好意をにじませたのは「私は先生の敵じゃない」と理解してもらうことが目的だった。

「この手紙は他の方々とは共有せず、先生の手元にとどめていただきたいというのが私の希望です」
この部分も重要だった。”他の方々”とは、具体的に言うと鈴木さんのことである。これ以上、鈴木さんにこの件に関わってほしくなかった。しかし、何度か自分の手紙を読み返すうち、わたしはこう思うようになった。

(もし私が先生だったら、自分の手元にだけこの手紙を置いておくだろうか?)

前回・前々回の診察のとき、わたしは先生と鈴木さんの関係にあることを感じた。
「先生は診察に専念してください、患者の対応は私が全部やります」
こんな話し合いが二人の間でなされていたに違いない。もしそうなら、わたしが禁止したところで、先生は鈴木さんに手紙を見せるだろう。

他の人に手紙を見せることを私が禁止したら、先生は罪悪感を覚えながら鈴木さんに手紙を見せなければならなくなる。私としては見せてほしくないけれど、先生の考えに合わせます。そんな思いで、以下の文を付け足したのだった。

「先生が必要と感じた場合は、その限りではございません。その時この手紙をどうするかは、先生にお任せしたいと思います」

私がこれほどまでに心を砕いて手紙を書いていることを、大谷先生は察して下さるだろうか。そうであってほしい。わたしは心の中で願った。

この手紙の本丸は、後半に書かれた鈴木さんの印象についてである。言うまでもなく、わたしは鈴木さんのことを快く思ってはいない。しかしそれはビジネスパーソンとしての鈴木さんであって、鈴木さん個人に恨みは全くなかった。ご近所の奥様とかだったら、普通に仲良くやっていたと思う。鈴木さんにムカついてしまう自分が嫌だった。

この手紙は十中八九、鈴木さんの目にも入るだろう。鈴木さんが読んでも傷つかないように配慮しつつ、鈴木さんへの不満を伝えるように努めた。鈴木さんの対応が自分には的外れに感じてしまうこと、鈴木さんが診察に同席していると見張られているみたいで気分がよくないこと、などである。

わたしは手紙をA4サイズの封筒に入れて郵送した。医師に手紙を出しても、返事が返ってくることはまず期待できない。院長に手紙を出したとき、大谷先生はノーリアクションだった。この手紙への反応もおそらく同じだろう。でも、わたしが鈴木さんの同席を快く思っていないことは伝えることができた。きっと何かしら対応をとってくれるはずだ。診察は約2ヶ月後である。
(大谷先生と元の関係に戻りたい)
わたしはその一心だった。

手紙を出した後わたしは車を運転し、ひとりで「わさだタウン」に向かった。わさだタウンは、トキハ(地場百貨店)系列のショッピングモールである。略称は「わっタン」。この日はわっタンにある献血ルームに行くのが目的だった。

わたしは以前から献血に通っている。40歳を過ぎてから、γ-GTPや中性脂肪の値が少し悪くなっていたのだ。おそらく酒の飲みすぎが原因だろう。しかし再検査レベルではない。同年代の平均よりかなりいい値であったが、血液検査代わりに献血を利用していたのだ。何度か献血をするともらえる、オリジナルグッズも集めていた。

献血ルームで、タモキシフェンとパロキセチンを飲んでいることを伝えた。すると、窓口の人にこう言われた。
「タモキシフェンは病気の治療ですか?その病気が治るまで、献血はできません」
考えてみれば当然だろう。ガンの人から採った血を輸血されたいですか?という話である。ホルモン治療の5年間は献血もできない。お酒を飲まなくなった今となっては、血液検査代わりに献血をする必要はもうないのだが。パロキセチンも、服用後三日間は献血ができない。どっちにしろ献血するのは無理だった。

せっかくわさだタウンまで来たのだ。このまま帰るのももったいない気がする。わたしは映画を見ていくことにした。
映画が終わって外に出ると、空は薄暗くなっていた。わさだタウンから別府に帰るには、「鳥越峠」という山道を通るのが近道である。交通量が少なく、信号もほとんどない。日が暮れた鳥越峠を運転しているとき、わたしはあることに気が付いた。

夜目が利かなくなっていたのだ。

暗がりが真っ黒に塗りつぶされたようで、何も見えない。たまに通る対向車のヘッドライトが、異常に明るく感じられる。夜道の運転が怖くて仕方がなかった。

翌日、わたしは近所の眼科に行った。検査の結果、わたしは老眼になっていた。それに加え強い乱視も入っていることが分かったのだ。老眼は以前から少しはあった。しかし、ごく軽度で生活のほとんどは裸眼でできていた。手術の前に裸眼で見ていた地図の文字が、今は全く読めない。こんなに急に、老眼が進むものだろうか。「突然、強い乱視になる」というのも聞いたことがない。

Xで見た投稿を思い出した。タモキシフェンを飲み始めてから、シワやシミが増えた、太りやすくなった、疲れやすくなった…etc. わたしもホルモン治療が始まってから白髪が一気に増えた。「おっ!これは坂本龍一みたいな髪色になれるチャンスか?」と思っていたのだが、白髪は増えただけで真っ白にはならなかった。肌には変化は感じていない。しかし白髪が爆増したということは、肌にも変化はあったのかもしれない。

目もしかり。

わたしは眼科の先生に「タモキシフェンを飲んでいる」と伝えた。先生は角膜と網膜の検査を念のためして下さった。結果は、角膜も網膜も異状なし。
「今後も異常が出ていないか調べに定期的に検査に来てください。3ヶ月に一度ぐらいでいいです」

わたしは手元用メガネと遠近両用メガネの処方箋をもらい、メガネを作りに眼鏡市場へと向かった。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。