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マリア・レッサさんのことば

so-netブログからnoteに移行するも、まだ記事を1本しか

書いていないという状況!しばらくお休みをいただいていましたが、

また「書きたい!」という思いがむくむくと湧いてきたので、

再稼働します。ただ、前回のような「絶対毎日アップ」という

自己縛りはやめて、適宜ということで。よって、タイマー投稿も

noteの場合は有料会員のみのようですので(私は無料会員!)、

ランダムアップの予定です。あ、「ランダムアップ」も和製英語だ・・・。

さて、今日ご紹介したいのは2021年にノーベル平和賞を

受賞されたマリア・レッサ(Maria Ressa)さんのことば。

今朝の日経新聞朝刊に寄稿されていました。

昨年秋にノーベル賞発表の同時通訳を民放で担当させていただいた際、

レッサさんのお名前が出てきたときは本当に驚きました。

というのも、事前予想ではリストに上がっていなかったからです。

レッサさんと言えば、私にとってはむしろCNNマニラ記者時代の方が

印象深かったのですよね。私はロンドンに留学していたころ、

フィリピン人の友人がいたのですが、レッサさんも

フィリピンのご出身。CNN記者時代の彼女の英語も、留学仲間を

思い起こさせるものでした。

さて、本日の新聞記事で印象に残ったのは、以下の発言。

「偽情報は一種の腐食作用として働く。

嘘か事実かわからないときは嘘がまん延し、

全てを侵食し、信頼や真実、人々が共有している

現実を破壊する。」

「すべての嘘の目的は信頼を失わせることだ。

何を信じればいいかわからないとき、

行動を起こすことができない。」

「誰を信じていいかわからずに人々が孤絶してしまう」

インタビューはウクライナ危機とロシアによる嘘拡散について

だったのですが、この3つの発言は国家や偽情報に限らず、

日常生活でも当てはまると私はとらえたのですね。

たとえば人間関係。嘘がきっかけで人を信じられなくなり、

人間不信に陥ってしまう。助けを求めようにも余計動けなくなって

レッサさんの言う「孤絶」につながりかねません。

随分前に「善き人のためのソナタ」という名映画を観ました。

国家による監視、嘘などが大きなテーマです。鑑賞後、

私は「何を信じるべきか」ということを強く考えさせられたのでした。

人であれ国家であれ「嘘」というのは、本人からすれば

「ちょっとした現実の誇張表現」に過ぎないかもしれません。

でもそれが肥大化すると大きな問題になるように思います。

レッサさんのことばをきっかけに、改めて色々と

考えさせられたのでした。


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