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自分に対する使命

この2年間、何かと不自由な生活が世の中全体で続いてきた。世界に目を向ければ、壮絶な環境下に置かれている人たちがいる。気候変動で家を失った人も多い。国内に目を転じれば、かつてニュースにさほど掲載されなかった「防衛」という単語が頻出するようになった。ツイッターの広告には「防衛省 中途採用」とある。ヨーロッパの東で端を発した出来事が、こちらにも影響を及ぼしている。

自らを振り返ってみると、色々なことがあった24カ月だった。過日ここに書いた通り、家族同様だったペットを、そして、長年私を支えてくれたロンドンの友を見送った。幸い仕事のおかげで日々を過ごせてはいるけれど、やはり心の中の空洞を「無かったこと」にはできない。

重なるときは重なるのだ。誰かが、あるいは何かが悪いわけではないし、自分だけに非があるわけでもない。ただただ、人生とはそういうものなのだと思う。だからこのような状況に直面した際、どっぷりとその事実に浸り、自らを見つめるというのも一つの方法だ。なぜなら、そこから目を背けたとて、またいつかどこかでその「未解決課題」が頭をもたげてくるから。よって、とことん向き合うのも大事だと思う。

でも、ある程度の「省みる時間」を経たら、進むことも大切。さもないと、負の思いがさらに自分を巻き込んでしまう。だから「負の思いに吸い込まれる人生」を選ぶか、「自らを幸せに近づける人生」を生きるかを選ばなくてはいけない。

どちらもある意味、自分の思考癖にかなりかかっている。私自身、どちらかというと前者に翻弄されがちだ。

ただ、英語学習も筋トレも食生活も、自ら意識して大事なことを繰り返して習慣化していくことが次のステージへとつながる。一朝一夕ではできない。人生もそれと同じだと思う。

でも、焦らなくたって大丈夫。気持ちさえ持っていれば、人生の次の良きステージにきっと到達できる。せっかくの人生、限りのある生命だ。自分という大切な存在を、少しでも幸せという境地に近づけてあげることこそ、生きていく上での「自分に対する使命」なのだと思っている。

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