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人生を変えるコツは「無自覚の自覚」である。

人はみな、自分のLIFEを生きる力を持っている。

そう私は信じている。

「自分の"人生"を生きる」って言い方もできるけれど、"人生"という言葉を使った途端、その"いのち"という生物学的にも詩的にも特筆すべき存在であることや、その日々の営み、"生活"から成り立つさまが、勝手にそぎ落とされたラベルが自動的に貼付される傾向が強いので、今のところ抗って「LIFE」って単語を挿入してみている。

「自分のLIFEを生きる力」とは

よく言われる「他人が敷いたレールの上を走る」のではなく、唯一無二の存在であるあなたが、あなたのLIFE(いのち・人生・生活)をより活かして生きてく・・・そのための知恵や勇気やエネルギーのこと、なーんて何となく分かったフリをして読み進めてほしい。

生きていると本当にいろんなことがあって、ときにめげるし、どうしたらいいか分からない、ってことも多い(世の中はなんて理不尽なんだって天を仰ぐこともある)。

そんなときにも、乗り越え立ち上がったり、ピンチをチャンスに変えたり、見える景色を変えていく力が、「自分のLIFEを生きる力」のひとつ。

タイトルに略して書いたように、それが「人生を変える」力とも呼ばれる。

そして、渦中にいればいるほど、到底そうは思えないが、この力は自分の中にあったりする。ある条件が重なると発動する、という仕組みのようで、その条件を知らなければ、いつまで経ってもその力を引き出せずに、悶々としたり、諦めたりする、ということも多い。

過去の延長線上には答えがない

実は自分が引き起こしたことでも、そうではないことでも、行き詰まるような不全感や出来事が噴出する(問題発生の)とき、それは何かしら

「これまでのあり方・考え方・やり方が通用しない」

という局面にあることのサインであると考えた方がいい。

「問題を解決する方法は、ただ一つ。
 その問題よりも自分(の器)を大きく広げることである。」

という言葉があるほどで、では何を拡大しているか、というと

「自分自身や、自分が生きている世界は"こういうものだ"
 と認識しているパラダイム(ものの見方)」

なのではないか、と思う。

ここまできて、「パラダイム」とか「次元」とか、はたまた「マインドセット」を変える、なんて話にすると、薬にも毒にもならない「自己啓発系話題」か、と早合点する人も多いだろう。

なぜ、そんな陳腐なラベルを貼られる危惧がありながらも、この話題をしているか、といえば、なんとあまりに自分自身が使っているパラダイムに無自覚な人が多いか、、、自分も含めて日々、驚愕するからだ。

最近、話題となった「ファクトフルネス」にも

最新の情報にアクセスできる人でさえ、無自覚に(本能的な脳の機能が原因で)「ドラマチックすぎる世界の見方」の罠にはまり、「事実に基づく世界の見方」ができない。

と、知的レベルに関わらず、己のパラダイム(ものの見方)の無自覚さが根深く蔓延っていること、その弊害が指摘されている。

では、いかに無自覚に持ってしまったパラダイムをアップデートできるのか?

これがタイトルにある「人生を変えるコツ」であり、その答えが「無自覚の自覚」にある、と確信する。

「無自覚の自覚」とは

呼吸・姿勢・言葉・生活習慣・思考・・・

いずれもLIFEの生物学的側面においても、科学的人間的側面においても大切な要素・領域であるが、これらには別の共通点がある。

「無意識に行われているが、意識的にも制御することが可能な領域」

パラダイム(ものの見方)もその一つである。

自覚できないことは変えられないけれども、
自覚できることは(相当のエネルギーが必要であっても)変えられる

なので

自分がどのようなパラダイムを(無意識に・無自覚に)持ってしまっているか

それが自覚できて認識できれば、目の前の問題発生を契機に新しいパラダイムを意識的に選び取ることもできるのではないか?

そう平時の机の上では思いつきがちだ。

ただ、大抵の「問題発生時」、何とかしないといけないが、どうしたらいいか分からない、といういわゆる「キャパ越え」の中では、捉えどころの無い「パラダイム」を認識してそれに介入するなんて、とてもじゃないが赤子がエベレスト登頂を目指すほど難しい。

一方、面白いもので、同じLIFEを成り立たせている「呼吸・姿勢・言葉・生活習慣・思考・・・」といった各領域は、それぞれが相互に関連し、作用し合っている。

(それぞれのメカニズムは割愛するが、)「パワーポーズ(姿勢)」や「アフォメーション(言葉)」、「筋トレ(生活習慣-運動)」など上記の領域それぞれで『人生は変えられる!』的な本が数多く出回っているほどだ。

少なくとも、自分が無力であると思い知らされるような局面にあって、"無自覚の自覚"は力になる。

つまり
・浅く短くなっている呼吸を自覚して、意識して深呼吸してみること
・硬く縮こまってしまっている顔面から全身の筋骨格の様子を自覚して、無理矢理にも口角をあげてみること、背筋を伸ばし胸を開いてみること
・ぐるぐる絡まった思考をそのまま、ただ書き出して「どうしたらいいか分からない」という声から紙に走り書きをすること
など、何でもいい。

自ら働きかけられることがある

ということが、自己効力感になって力になることもあるし、標語のように"無自覚の自覚"というキーワードを思い出せるようにしておくことで、自分の状態をメタ認知するキッカケにする、という"力のなり方"もある。

さらに、いずれかの領域へ自ら働きかけをすると、捉えどころもないが、変えるにも変えづらい、という厄介な性質の"パラダイム"自体にも、ゆらぎが起こり、アップデートしやすくなる。

具体的に、先のような深呼吸や姿勢の立て直しを通じて、問題の渦中にあって弱ってしまった、内界・外界の認識力を上げてることができる。それから例えば頭の中の絡まった糸のような思考を書き出すことから、自分の考え方をメタ認知するキッカケをつくることができる。

「そう思うのはなぜ?」「え、それって本当に?」「他の考え方もあるんじゃないか?」とパラダイムのアップデートにつなげていくメソッドもある。

自覚できないことは、変えられない。

その中で、「無自覚の自覚」というキーワードを覚えておくだけでも有事に役立つ。

そんな「自分のLIFEを生きる力」「自分の中にある力」に気付くための一章でした。

あるコンセプト概説のような一章になってしまったが、「娘が寝静まった後」という時間だけでは、もっと役立つ「詳解」まで書き上げられなかったので、また次の機会に。

(自分のためにも以下、備忘録)
※なぜ「無意識の意識化」と、言わないかも、また別の機会に綴りたい。

※※「パラダイム」ではなく「系」と言いたいところだが、その話もまた綴りたい。(苦笑) 

追伸:"人生"という代わりに「LIFE」という言葉を敢えて挿入してみる、というのも、「無自覚の自覚」のチャレンジでした。

まだ道半ばではあるものの、実体験とともに「人間の理解」を深めて「よりよく生きる力」の探求を積み重ねてきたことを、生乾きであっても書き綴って、自分の外に外部化していきたいと思います。誰かの何かのヒントになれば嬉しいですし、見守っていただけたら幸いです。

ありがとうございました。

@sanae_latorche



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