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黄金を運ぶ者たち2 ポーター

 二〇一五年。年明けて、いよいよ利根川に詳細を話してもらう時が来た。待ち合わせの場所として彼が指定してきた場所は、渋谷の道玄坂にあるロイヤルホストだった。人目を偲ぶ話は意外にも、明るいファミレスで繰り広げられるのである。
 初詣やら初売りやらで人出も多く、華やいだ雰囲気が漂うスクランブル交差点の雑踏を足早に抜け、約束の時間より少し早目に店に到着した。それでも案の定、利根川さんは僕らより先にそこにいた。話しやすいボックス席をしっかり確保し、ノートパソコンを広げ、自身の仕事を処理しているようだ。一心不乱にキーボードを叩いている利根川に、声をかけた。
「あけましておめでとうございます。こちらが電話で話した仙道くん」
「良い年になりそうですね。仙道さん、利根川です」
 利根川は高揚した表情で仙道に手を伸ばし、力強く握手をした。体育会系の利根川さんからすれば、とらえどころがなく茫洋とした、いかにもゆとり世代の仙道の雰囲気に対し、もしや拒絶反応が出るかもと思っていたが、杞憂だったようだ。今のところは利根川にとって、仙道は僕のおまけという認識だろう。その分僕が注意深く接して、判断を下さなければならないと思い、笑顔の裏で心を引き締めるのだった。
 詳細な話といっても、提示されているのは「香港から金を運ぶ。税関をうまくやりすごす。日程は一泊二日、持ち帰るのは一人四本程度。運ぶ方法は現場で『上の人』の指示に従う」といういたってシンプルな内容で、以前電話で聞いたことと大差なかった。僕が気になったのは『上の人』のことだった。前の職場で『上の人』に散々な目にあわされたからである。
 十万円のバイトという、気楽な儲け話のスタンスで取り組むにせよ、やることが犯罪だけに、『上の人』がろくでもない人だと後から痛い目を見ることになりかねない。それに『上の人』からの罵倒や蔑みで自尊心を引き裂かれる苦痛は、もう二度と味わいたくない、という気持ちもあった。それを利根川にぶつけてみると、
「私もこの件で初めてボスと知り合ったものですから、付き合いは浅くてね。知らないことも多いですが、ヤクザとか半グレとかではなく、金融関係のエリートサラリーマンだった人ですよ。とても優秀で腰も低い」そこまで言ったところで口調がやや苦々しいものに転じた「ただその取り巻きというか幹部どもが、人の扱いが下手な奴らでね」
 ボスがいて、中間管理職がいて、その下に運び屋がいるという階層の組織のようである。その中間管理職が、横柄なところでもあるのだろうと理解した。その程度は仕方がない。
「では、僕が『運び屋をやりたい』となると、その取り巻きの面接を受けるということになるのですね?」
「その『運び屋』というのはいかにもなので、ウチらでは『ポーター』と呼んでます」
利根川が僕らに言い含める。他人の耳もある中で「運び屋」と連呼するのも憚られる。それに何か後ろ黒いことに友人を誘う際は倫理観を刺激する言葉を使わないほうが良いだろう。そういえば利根川は「密輸」を「脱税」と言い換えている。
 予測される次のステップの話に移ったが、彼の答えは意外なものだった。
「面接なんて必要ありませんよ、真田さんと仙道さんは『ポーター』合格です」
 利根川から話を聞いたあとで、人相の悪い男に品定めされてから、いよいよ話が決まるのだろうと悠長に考えていたが、違った。何より驚きなのは、利根川にポーター採用の決定権があるということだ。
「利根川さんに、決定権があるんですか!?」
 唐突な面接の合否判定に、僕は驚いてストレートに聞いた。
「そうですよ。あとは、お二人がやるかやらないかを自分で決めるだけ。ボスからも『資金は豊富にあるものの、ポーターの数、それを束ねるリーダー、どれも足らないので協力して下さい』と頭を下げられましてね。別にボスに取り入るつもりはないのですが、結果的に相談役のような立場になっておりまして」
「なるほど、いうなれば創業間もない企業で、知り合いなら信用ありきで即採用ということですかね」
 進展の早さに困惑しつつも、自分自身を納得させるように、僕はそう言った。
「私だって見込みがある人にしか声かけません。真田さんだって、仙道さんを見込んで声をかけたんでしょう。真田さんの人を見る目は確かだと信頼しています。イベント運営でスタッフ集めから、人心掌握まで、その才能をこれまでの仕事の実績として見てきていますから。すぐに、私以上にボスに重宝されるはずです」
 僕は常々、仕事があることで、お金が動き、人が集まり、結果的に心も集まる、と考えてきたまでで、才能があるとは思っていない。しかし前職での出来事で、すっかり自信を失っていた僕の心に、利根川からの褒め言葉は染み入り、素直に嬉しかった。
 仙道は「上の人がどう」とか「組織がどう」とかの話には興味がなさげだったが、事前に「利根川さんは体育会系だから、年上の人間が話している時は口を挟まず、真剣な表情で黙って聞いておくこと」と言い含めておいたため、おとなしく聞いていた。しかし本題から徐々に脱線していく様子を見かねたらしく、おずおずと口を開いた。
「あの…合格ということでしたら、スケジュール的にはいつ頃.になりますかね。あと必要なものとか、あったら教えていただけますか?」
 その言葉を聞いて利根川は相好を崩した。
「お!やる気満々だ!その意気込み、イイね。だいたい土日のフライトなんだけど、仙道さんは一月の予定はどんな感じなの?」
「土日なら今週でも、来週でも大丈夫です」
 仙道の言葉に迷いはなかった。
「真田さんは?」
「僕はニートなんでいつでも」
 盛り上がる空気の中、いつしか僕も、やってみるかという気持ちが固まった。
「では早速スケジュールの確認をして、今晩連絡しますよ。連絡したらすぐ指定の航空券を、自分で手配してもらわないといけなくなるけど、航空券代立て替えるお金はある?それから、パスポートの有効期限が半年以上必要だけど、大丈夫かな」
 利根川の矢継ぎ早の確認に、仙道は自信満々の表情で頷いている。一方僕はと言うと、この進展の早さを予想してなかったため、パスポートも期限切れのままなのだった。
「とりあえず、先に香港行ってきな、仙道くん」
彼の稼ぐチャンスを、僕のパスポート待ちで引っ張るわけにもいかなかった。
「しっかりロケハンしてきますよ」
 仙道からはいつになく力強い答えが返ってきた。利根川とのやり取りを見て、一緒に行ける日まで待ちますよ、という言葉までは期待してはいなかったが、ここまで積極的な態度は意外だった。
「なかなかいい度胸だ。準備も万端だし、流石は真田さんが見込んだだけのことはある」
 利根川の中でも、仙道株は上昇したようだ。

 仙道のファーストフライトは、二週間後となった。スケジュールの調整は当事者に任せていたため、僕が受けた報告は
「明後日行くことになりました、とりあえずやってみます」
 という、電話でのあっさりした宣言のみで、自宅で猫に餌やりをしていた最中の僕にはまるで現実味がなく、置いてけぼりを食ったような、取り残された気分になり、少しすねた。

 帰国予定の日の夜更けに、待ちに待った仙道からの電話が鳴った。
「帰国時の税関の検査は、何も聞かれず、何も言われず、何も見られず、素通りでした。あれじゃあクスリも持ち込めてしまいますよ」
 あまりに簡単に事が終わったせいか、シラけた様子で仙道は語り始めた。
「金の運び方については、身体にペタッと添わせるように身に着けて、その上からお腹型のシリコンで覆うという方法でした。口で説明するのは難しいので、ご自身で現場で見たらすぐに分かります。素の自分と比べると、妙に太って見えることが気になりますが、触られても感触が自然なので、絶対にバレませんよ。今回同行したのは、ボスとその側近、更にポーターが四人。男ばかりでした。利根川さんの幼馴染で、武井さんという人も来ていたんですが、この人がものすごいおしゃべりで、付き合わされて参りました」
 苦笑いしながら武井という男の名前を出してきたところを見ると、ちょっとした問題児なのだろうか。
「ボスも一緒だったのか。どんな人だった?」
 問題児よりも、気になるのはそこだ。
「かなりの切れ者だという印象ですね、言葉数は少ないのですが、注意事項の説明も非常に的確でした」
「注意事項ってどんなことを言われたんだい」
 気になることがあり過ぎて、つい電話の向こうの仙道を質問攻めにしてしまう。
「帰国時に万が一見咎められて、スマホを押収されたりした時に、組織という証拠が出ると芋づる式になりかねないから、例え現場で仲良くなっても集合写真やツーショット写真は禁止。摘発を受けた場合は、香港のどこで金塊を購入したのか、自分なりのストーリーを語る必要があるため、香港の繁華街を歩きながら、店なり通りなりを具体的にイメージしておくように。税関の検査を通る時は、自分以外のメンバーの通関状況が気になるだろうが、絶対にそちらを見ずに、単独フライト装う。色々ありますが、ザッと話すとそんなところですね」
 この程度なら、僕でも事前に予測していたレベルの注意事項だ。イベント運営を担っていた立場で、危機管理マニュアルも作っていた僕からすると、常識の範囲内だ。おそらくボスの話しぶりや、手慣れた立ち居振る舞いなどが、仙道の目には切れ者として映ったのであろう。
「ところでさっき話した武井さんという人なんですけどね…」
 彼の話はまだまだ続く。当初は冷静な口ぶりだったが、ミッションをやり遂げた自分に興奮しているのか、話は徐々に熱を帯びてきて、この日の電話報告は夜半まで及んだのだった。

 僕に最初の依頼が入ったのは、その数日後のことだった。
 まず最初に、チャットアプリを通じて、航空券の手配の細かい指示が出された。第一に「必ず自分自身で手配する」ということ。次に言われたのは、羽田空港を深夜に出発する「香港エクスプレス」というローコストキャリアを予約すること。香港に一泊するホテルはボスが段取り済みだということで、宿泊手配は不要だった。
 帰国便として指定されたのは、成田着日航便だった。なぜわざわざ高い料金を払ってまで、片道チケットで復路は日航を予約するのか。僕は疑問に感じたが、理由は後に知った。
 羽田空港を深夜二四時過ぎに発つ香港エクスプレスに乗ると、空港でのチェックインタイムは香港着の「前日」の二三時ごろとなるため、出国審査の際にパスポートに押される出国スタンプの日付も前日となる。
 そのため日本に帰国してきた時に、入国審査や税関検査でパスポートのスタンプ履歴を見られても、スタンプを押された日付から割り出す分には、香港二泊三日の旅となる。
 一泊二日は短過ぎる。何か目的があるように見えて、怪しまれる可能性が上がる。しかし二泊三日なら、飲茶と買い物、観光が目当ての一般的な香港旅行として、ノーマルな日程だ。もしくは商談の設定でも良い。二泊あれば取引先と酒を交わし、話を纏めて帰国する事が可能だ。少しでも長く滞在したと思われた方が、密輸を怪しまれない。この手段を用いるのに適当なフライトは、羽田空港深夜発の香港エクスプレスしかないのだという。
 復路が成田空港着の日航便なのは、ちょうどその便の到着時間帯には、世界各国からの到着便が集中するからだそうだ。荷物受け取りのターンテーブルから税関検査レーンまでのスペースが、多国籍状態になり、混み合い、その分一人一人に対する検査も甘くなるという見込みがあるという理由であった。
 当日の羽田空港内での集合場所についての指示は、各自で航空会社カウンターでのチェックインまで済ませてから、チャットアプリ経由で初めて連絡を取る。出国するまでは単独行動が原則なのだ。アプリで出された指示に従って集合するように、とのことで、ボスの計画はいたって慎重なように思え、僕は安心感を持った。

 仙道のフライトから二週間後の二月某日が、僕のデビュー戦となった。ついにこの日を迎えたか、という感慨を胸に抱きつつ、フライトの二時間前に羽田空港のカウンターにて単独でチェックインを済ませ、アプリで利根川に一報を入れる。彼は僕よりも随分前にチェックインを済ませたようだった。相変わらず早い。
「出国審査の先の免税エリアに、フードコートがあるんです。つけ麺屋の六厘舎前の席で、集合しましょう」
 保安検査のX線を通過し、出国手続きを終えると心が浮き立ってきた。七年ぶりの海外渡航で、旅行気分が湧き上がってくる。久々に目にする、免税店のタバコの値段の安さにもいちいち感動した。
 立ち寄ったトイレで手を洗いながら、ふと鏡を見上げた僕の眼に映るのは、興奮と不安が入り交じった、にやけた顔の僕自身だった。利根川も仙道も成功していて、自分だけ失敗したら、相当ヘコむだろうな。それだけは勘弁だ。 濡れた手でぴしゃりと頬を叩く。(失敗のイメージは持たないようにしないと)
 機内持ち込みサイズのキャリーケースを片手に、トイレを出た僕は、集合場所の六厘舎前へと足早に向かったのだった。

次話 3 生還

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